「缶コーラとほぼ同じ大きさだった」体重374グラムで誕生した男性が30歳に(豪)

豪クイーンズランド州ハービーベイで暮らすジョナサン・ヒーリーさん(Jonathon Heeley)は1992年7月3日、体重わずか374グラムで誕生した。

当時、オーストラリア国内で最も小さな赤ちゃんとしてブリスベンの「Mater Hospital Brisbane」で生まれた彼は、医師から「生存率は5%」と告げられていたという。

母親のゲイルさん(Gail、66)は出産した時のことをこのように振り返っている。

「妊娠中にエコー検査で成長が十分でないこと、また羊水が少なく危険な状態であることが確認されて、妊娠28週で帝王切開により出産しました。息子の出生体重は375ミリリットルの缶コーラとほぼ同じだったので『Coke Can Kid(缶コーラキッド)』と呼ばれていましたが、実際には息子よりコーラの方が大きかったと思います。」

「脚は私の指と同じくらいの長さで、手は私の爪ほどしかなかったんです。それは健康な赤ちゃんの10分の1ほどの大きさでした。その後、体重が338グラムまで減ってしまい生存の可能性は極めて低いと言われました。ですが当時、新生児科医で大学教授だったデビッド・トゥデホープ氏(David Tudehope)から『ジョナサンと同じ大きさで生まれて生き残った赤ちゃんは世界で5人しかいない。そして彼がそのうちの1人になれないわけがない』と言ってくれたのです。私はその言葉を信じ、希望を持つことができたのです。」

生後6週になるまではジョナサンさんを抱くことができなかったというゲイルさん。メリーバラの自宅に連れて帰ることができたのは生後5か月のことで、退院届には「Future unknown(将来については不明)」と書かれていたそうだ。

「当時は息子が感染症になるのを防ぐため、ベビーカーにシートをかけて人が近寄ったり触ったりしないようにしていました。その後の成長過程はとても順調で、息子はすべてを乗り越えてきました。小柄だったのでサッカーなどには参加させられませんでしたが、協調性を高めるために3歳からダンスを習わせたんです。ジョナサンはそれが大好きになって夢中になりました。」

そのように明かしたゲイルさんは、早産児の家族を支援する非営利団体「早産児親の会(Pre-Term Infants Parents’ Association)」のメンバーとして現在も活躍中で、これまで何度もジョナサンさんを連れて「Mater Mothers’ Hospital」を訪れ、早産児を持つ家族に自らの経験を共有してきたという。

「Mater Mothers’ Hospital」の新生児学部長であるピタ・バーチ博士(Pita Birch)は「小さな赤ちゃんをケアする体制が整っていなかった時代に彼が生き延びたという事実は、本当に素晴らしいことです。現在の新生児集中治療室のようなハイテク機器を一切使わずに、小さな赤ちゃんに機器をつなぎ合わせて治療を施すことができたのですから。本当にすごいことです」と述べており、ジョナサンさんの担当医であったトゥデホープ氏を称賛している。

一時は「生存している最も小さな早産児」としてオーストラリアのギネスブックに登録されたこともあるジョナサンさん。現在の体重は約60キロで、それはコーラの缶150本分の重さに相当するという。

幼い頃からダンス教室に通ったことがきっかけで、ダンスに情熱を燃やすようになったジョナサンさんはダンススクールを経営しながら幸せで健康な生活を送っているそうで、このように語っている。

「毎日生きていることがとても幸せです。自分がいかに小さく脆い存在だったかを思うと、非現実的で時に恐ろしくなります。時々『ああ、もしかしたら私はここにいなかったかもしれない』と思うこともあります。私はこれまで健康上の問題もなく、ごく普通に育ってきました。私が誕生したことで、医師がたくさんの小さな赤ちゃんを救えるようになったこと、また早産で生まれた子の母親が希望を持てるようになったことは本当に良かったし、とても嬉しく思っています。」

画像は『ABC 2022年6月26日付「‘Coke Can Kid’ Jonathon Heeley’s survival as Australia’s smallest baby was uncertain in 1992. Next week he turns 30」(Supplied)(Supplied: Annette Dew)』のスクリーンショット

(TechinsightJapan編集部 上川華子)

2022/7/2 22:00

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