『千年女優』ついに解禁で大反響! 今敏&平沢進の共鳴が生み出した奇々怪々な魅惑

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 たった一つの出来事が、今見る世界を大きく揺るがすことがある。それはまるで、白で埋め尽くされたオセロ盤が、一瞬で黒に覆るように。見事なまでに美しく欺かれる体験は、『千年女優』が初めてかもしれない。

 2001年には、『千と千尋の神隠し』と共に第5回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門の大賞を受賞し、国内外から大きな反響を呼んだ名作が、6月1日よりNetflixにて配信開始された。これまでも一部配信サービスにて視聴可能であった本作だが、大手ストリーミングサイトに登場したのは今回が初となる。

 今敏といえば、初監督作品にして世界に衝撃を与えた『パーフェクト・ブルー』(1997)、驚きの狂気的演出が話題を呼び、今なお監督の代表作として君臨する『パプリカ』(2006)、さらには『東京ゴッドファーザーズ』(2003年)、『妄想代理人』(2004年)と、名だたる作品ばかりが連なるが、とりわけ前者二作品のインパクトと拡散力は凄まじいもので、今敏監督作品を後追いした人の中には、『千年女優』を見落としていたという人も少なくない。さらには、ヘヴィーなテーマ性と最後のどんでん返しに、当時は理解が追い付かなかったという人もいるだろう。

『千年女優』は、たった一人の男を追いかける女性のひたむきな愛を追いかけるドラマであり、さまざまなギミックを通して“真実”の在り方を探す旅路でもある。今回のNetflixでの公開を機に、あらためて『千年女優』の色褪せない魅惑や、今敏×平沢進のタッグが編み出した、映像と音楽の深い結びつきについて考えてみたいと思う。

一人の女優の波乱万丈な人生と狂気にも似た愛

 “騙し絵みたいな映画を作ろう”というテーマから始まったという(※1)本作は、その名の通り視聴者を鮮やかに欺いてゆく。本作のあらすじとしては、映像製作会社「銀映」社長・立花が、かつて一世を風靡した大女優・藤原千代子の半生を振り返るドキュメンタリーを制作するにあたり、若手カメラマンを連れて千代子の元へ訪れ、その波乱万丈な人生を紐解いてゆく…というもの。千代子の生い立ちから辿ってゆくが、たちまち過去に演じた役が入り混じるようになり、リアルともフィクションとも言い切れないストーリーが展開されていく。勢いのあるアクションからぬるりとした描写まで、繊細かつ大胆に切り取るカットに千代子の華麗なる七変化といった、アニメーションならではの豊かな表現と壮大なスケールに誘われ、我々はのめりこむように彼女の人生に巻き込まれていく。千代子が過去に出演した作品には、日本映画の名作になぞられたシーンが散りばめられており、さらにあらゆる映画が繋がる仕組みは戸川純の「遅咲きガール」のミュージックビデオから着想を得た(※2)という、オマージュ要素も見どころの一つだ。

 千代子の女優人生の始まりは、“鍵の君”との出会いにある。彼が満月の一歩手前の欠けた月を見上げて零した「“明日”という希望」という一言は、千代子の夢となり、動力となって彼女の人生を突き動かした。鍵の君が残した千代子の肖像画と、妄想の雪国で見た鍵の君と自分が並ぶ姿を糧に、生涯に渡って鍵の君を追いかけに行くわけだが、けして彼女は恋心に翻弄され、自分を見失っているわけではない。自身の行動にも感情にも、そのすべてに自覚があり、純真のまま己の道を進んでいる。都合良く湾曲され、現実と虚構の境目がなくなった記憶のヒストリーは、第三者からすれば偽りに見えるかもしれないが、“藤原千代子”という一生においては、紛れもない真実となるのだ。

 そして最後に訪れる「だって私、あの人を追いかけている私が好きなんだもの」という一言ですべてが一転し、これまで見ていた千代子は“永遠に想い人を追いかけ続ける藤原千代子”を演じ続けているのだという新たな真実が突きつけられる。我々は“千年女優”というタイトルの意味を知ると同時に、美しくも恐ろしい、狂気にも似た愛を目の当たりにするのだ。

 生き生きとしたアニメーション描写と併せてこの作品に大きなうねりをもたらすのが、劇中に流れる音楽だ。今は映画を制作するにあたり音関係に比重を置くことを決め、音楽制作を敬愛するミュージシャン・平沢進に依頼した。

 平沢進といえば、「テクノ御三家」の一角として歴史に名を刻んだバンド・P-MODELの中心人物であり、日本のテクノミュージックのムーブメントを牽引してきた。そして、オーディエンスの反応でライブのストーリーが変わる「インタラクティブ・ライブ」の主宰や、国内で初めてMP3によるデジタル音楽配信を行うなど、独創的な発想とデジタルを駆使した実験的なアプローチへの追及を重ね、類を見ない音楽体験を生み出してきた革命人である。今はかねてから平沢から強い影響を受けていると公言しており(※3)、前作『パーフェクト・ブルー』から未完の遺作である『夢みる機会』に至るまで、平沢の楽曲からインスピレーションを受けて生まれたアイデアが数多く散りばめられている。(※4)

 劇伴といえば、すでにある映像に対して音楽が寄り添うものが多数だが、今は音楽をもとにイメージを構築し、アニメーションに仕立てていくスタイルを取る。平沢の音楽はアニメーションに彩りを与えるどころか、地盤となって物語にエネルギーを与え、熱情や歪さ、狂気といった根底にうごめくものたちを、肌身に感じるまでに昇華させていく。

 切なさに打ちひしがれるシーンも感動的なシーンも、なぜか心の深くやお腹の奥の方がむずむずとしてくる。この“違和感”は次第に熱を孕み、まるで触れてはいけない人間の深淵に今触れようとしているような、得もいえぬ高揚感をちらつかせる。この奇々怪々な体験は、『千年女優』が“騙し絵”であることを暗に示すと共に、他には代えられない本作の魅惑となって、我々を虜にするのだ。

千代子のこれまでとこれからを余すことなく描いた「ロタティオン-Lotus2」

 そしてさらなる衝撃を与えるのが、本作のエンディングシーンである。平沢は『千年女優』が1時間半をかけて紡いだ千代子の“これまで”と、輪廻の恋路に旅立った“これから”を音楽で踏襲してみせた。

もともとは、平沢進のソロアルバム『Sim City』に収録されている「Lotus」という楽曲を使用する予定だった。しかし、予定通りに楽曲を使用することができず、その代わりとして平沢は「ロタティオン-Lotus2」を提供したという(※6)。この楽曲を受けて、今は「千代子と制作者の目指すべき地がそこにあった」と発言している。(※5)

 まず、両曲のタイトルにあるように、“睡蓮”が一つのキーワードとなっているのは言うまでもない。冒頭とラストを飾る、千代子がロケットに乗って無限の彼方へ飛び立つワンシーンは、睡蓮の花が咲くように射出口が開くのが印象的だ。睡蓮には「清純な心」「信仰」といった花言葉がある。そして朝になると花を咲かせ、日が暮れる頃に花を閉じる習性があることから、エジプトの最高神である太陽神の象徴とされ、“再生”を意味するものとしても捉えられているそうだ。それを頭の片隅に入れて歌詞を追ってみると、幾度も再生しては、いつかの夢と衰えぬ愛を追いかけるという、本編で描かれた千代子の一生が浮かび上がってくるような気がしないだろうか。

 そして“輪廻”というキーワードも欠かせない。劇中では、千代子が走っては転ぶ描写や、人力車の車輪や老婆が持つ紡ぎ機の円環といった、輪廻を示唆する描写が繰り返しクローズアップされる。また、老婆が繰り返した「未来永劫、恋に身を焼く運命」という言葉も、重要な描写だったのだとのちに気付く。それぞれの出来事から、終わりにして始まりとする、ラストシーンに向けた一連の流れを「パラレルに行く船団に全てのキミの日を乗せて」という一文で再現した平沢の妙は、素晴らしいの一言に尽きる。

 冒頭のシーンで流れる「Lotus GateLandscape-1)」に対し、平沢は「全てを見終わった時、冒頭の選曲の意味を知り、背筋が寒くなった。この曲の構造に、あの地滑りのように変転する千年女優の時空トラップを読み解くカギがある。」といった。(※7)平沢がかつてユニット名義でリリースした『Landscapes』に収録されている楽曲が元となるのが、この作品ではCG制作に用いる“フラクタル幾何学”というプログラムを音楽に流用しているという。

 願望や理想のすべてを含めた、小さくて複雑な記憶がいくつも積み重なり、現実と虚構が入り混じる大きな記憶が形成されたとする。それがいつしか自己相似性を持つようになり、虚構さえも取り込んだ一つの“真実”となり、“千年女優”である藤原千代子を形成する。そう考えてみると、今敏が描いた本編と平沢進が手掛けた音楽がより濃く繋がり、オープニングシーンにも深みが増すような気がしないだろうか。とはいえ、私自身が専門的な知識を有していないため、正確な解釈にはまだまだ及ばないことだろう。幾何学的な観点や別角度から見える繋がりや光景があれば、ぜひとも話を聞かせてほしいと強く思う。

 わかりやすく、端的に、スマートに。短縮を極める三か条は、いつしかビジネスの売り文句を越え、映画や音楽、漫画といった芸術分野へ、さらには人と人との関わりにまで侵食している。しかし、言葉にすれば陳腐になってしまうような思いや感情は、わかりやすくも端的にも、スマートにも伝えられないものだ。

 時に、心や思考が共鳴すれば、言葉というフィルターは必要ないのかもしれない。ものづくりでは、提示したものがすべての答えを持っており、それが言葉以上の信頼を勝ち取ることになる。それは互いへのリスペクトと愛があってこそ叶う所業ではあるが、今敏と平沢進の間には、その二つが確実に存在していたに違いない。言葉の解を待たず、互いの感性で魂を受け取り合い、形にする。そんな元来のクリエイティブ精神とその真髄を、『千年女優』から感じざるを得ないのだ。

【参考】
※1 http://konstone.s-kon.net/modules/interview/index.php?content_id=15
※2 ユリイカ 2020年8月号 特集=今敏の世界 –
※3 http://konstone.s-kon.net/modules/interview/index.php?content_id=3
※4  http://konstone.s-kon.net/modules/pb/index.php?content_id=2
※5  http://teslakite.com/1000nen/
※6/※7  http://konstone.s-kon.net/modules/interview/index.php?content_id=15

 

  • 6/26 12:00
  • サイゾー

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