近代の宿痾、「陰謀論」の真の害悪とは?<著述家・菅野完氏>

◆急拡大し、過激化した反ワクチン団体

 警視庁公安部は去る4月9日、東京都港区白金にある「神真都(やまと)Q」なる団体の本部や団体幹部の自宅など関係先数軒を家宅捜査した。同団体メンバー男女四人が、都内の幼児向けワクチン接種会場に不法侵入し現行犯逮捕された事件を受けての捜査だ。公安部は事件に組織的関与があったとして調べを進めている。

「神真都Q」は昨年末ごろから「トランプ大統領から公認されたQである」と自称し、「コロナは詐欺」「ワクチンは人殺し」などと叫びながら各地でデモや集会を繰り返すようになった団体で、本年3月ごろからは「ワクチン接種を推進する医療関係者は処刑する」「警察や政治家はDS(ディープステート)の回し者だから処刑する」などと主張が過激化していた。通常の刑事事件捜査としてではなく、わざわざ公安部が出張ってくることも無理はなかろう。

 注目すべきはこの団体の急拡大ぶりだ。当初は珍妙な〝陰謀論〟をネット上で交換しあっていたに過ぎなかった彼らが「神真都Q」と名乗りだし団体の様相をとり始めたのは、昨年11月末のことに過ぎない。デモも昨年12月が初めてのことだった。それからわずか5ヶ月弱で、この団体は北海道から沖縄まですべての都道府県の県庁所在地でデモを隔週頻度で開催する規模までに育っている。参議院選挙でさえ合区で行われる鳥取と島根でも、それぞれ別個のデモを開催しているのだから、その急拡大ぶりと規模の大きさが窺えよう。

「神真都Q」の短期間での急拡大ぶりが象徴するように、コロナパンデミックやロシアによるウクライナ侵略など世界史的な出来事が打ち続く中、世間はいま、一種の〝陰謀論ブーム〟とも言うべき様相を呈している。読者の中にも、「コロナウイルスは、人口削減を狙う連中が仕掛けた生物兵器」だの「プーチン大統領はDSの傀儡であるウクライナ政府を駆逐しようとしている」だのといった珍妙な理屈を開陳する人物と遭遇したことがある方もおられるのではないだろうか。

◆陰謀論の次に湧いてくる「陰謀論」論

 ここまで陰謀論が流行し、「神真都Q」のように実害まで発生させる団体が出てくると、次に流行ってくるのが〝「陰謀論」論〟であろう。とりわけ昨今の陰謀論がその誕生と流行の場をSNSを中心としたネット空間に置いているため、「ネットにいる滑稽な人々を紹介するぞ」という、使い古された〝ネット批評〟のフォーマットに適用しやすいという側面もある。そしてこうした批評フォーマットでは「陰謀論」および「陰謀論を信じる人々」は単に、「頭の悪い無知蒙昧な人々」として処理されてしまうのが通例だ。

 例えば、古谷経衡氏は「Yahoo!ニュース個人」に寄稿した「『プーチンさんを悪く言わないで!』という〝陰謀論〟動画の正体」と題する論説の中で、陰謀論を信じ込む人々を「『世界は複雑であり、一言で説明することができない』という複雑性から逃避しているだけにすぎない。何故逃避しているのかと言えば、世界の理解に必要な最低限度の知識が無いからである。何故知識がないのかと言えば、ある程度の読書習慣や情報リテラシーが少ないか絶無だからである」と切って捨てている。また、日米両国で流行している陰謀論ムーブメント「Qアノン現象」を特集で追いかける朝日新聞の取材に応じた江川紹子氏は、日本におけるQアノンを考えるうえで重要な点として、「事実と科学、思考の軽視の風潮」をあげている。(「米国発のQアノン、日本でも急拡大 垣間見える独自の『カルト性』」、2022年4月7日、朝日新聞)

 だが、昨今の「陰謀論ブーム」を「陰謀論を唱えたり信じたりする人の知識のなさや科学の軽視の風潮」に求めるこうした総括は、いささか早計と言えよう。

◆陰謀論の入り口を「知識の無さ」に求めるのは無理がある

 そもそも古谷氏の総括にはいささかの自己矛盾が含まれている。氏は前掲の論考で、氏がロシアのプーチン大統領を批判する論考を開示したところ、各所から「プーチンさんを悪く言わないで」とするメールが届き、そのほとんどに、元駐ウクライナ日本大使の馬渕睦夫が登場するYouTube動画が引用されるというエピソードを紹介している。動画を確認したところ、なるほど確かにその内容は荒唐無稽であり、「ディープステート」「ユダヤロビー」など使い古された〝ネタ〟を散りばめた陳腐な陰謀論でしかない。だが少し待ってほしい。馬渕氏は曲がりなりにも、元外交官である。しかもイスラエル・タイ・ウクライナなど日本の外交にとって重要な諸外国に駐在した経験を持つ第一級の外交官だった。本人の経歴も、京大法学部在学中に外交官試験に合格しその後ケンブリッジ大学経済学部に留学したという折り紙つき。決して、古谷氏の言う「世界の理解に必要な最低限度の知識が無い」「ある程度の読書習慣や情報リテラシーが少ないか絶無」であるような存在ではない。

 江川氏のコメントも、あのコメントが氏によるものであることを踏まえるといささか残念と言わざるを得ないだろう。オウム真理教事件に関する知見の豊富さにおいて、江川氏の右に出るものはいないはずだ。林郁夫や早川紀代秀など、難関大学を卒業し医師免許をはじめとする難関国家資格を取得したいわば〝エリート〟たちが、なぜか麻原彰晃に絡め取られ、あの珍妙な教義を信じ込み果てにはテロ行為に手を染めたというオウム真理教事件の不思議さについて、江川氏こそが当代随一の知見を誇るはずである。江川氏は「事実と科学、思考の軽視の風潮」とは対極にあるような人々が、珍妙な理屈に絡め取られていく不思議さを誰よりも知っているはずではないか。

 相当な学識や学歴を誇る人々が陰謀論を唱えたり信じ込んでしまう事例は枚挙にいとまがない。古谷氏が事例として挙げる馬渕睦夫氏もそうだろうし、「神真都Q」のメンバーにも、連邦議会襲撃事件に関与した本家本元アメリカの「Qアノン」にも高学歴者も頭脳労働者も多数存在している。陰謀論の入り口を「知識のなさ」や「事実と科学、思考の軽視の風潮」に求めるのは無理があるのだ。

◆近代社会の近縁に常に存在していた陰謀論

 まず事実を直視しよう。陰謀論は近代社会の近縁に常に存在していた。そして社会が不安定になると必ず大きな勢力を持つようになる。

 最も顕著な事例が、近代的ユダヤ陰謀論の嚆矢「シオンの議定書」だろう。この偽書は、帝政ロシアの末期にロシアで作成された。どうやら民主化要求を弾圧しようとする帝政ロシア政府側の人物が、弾圧の材料としてでっち上げたようである。しかしその後、ロシア革命がおこり、世界に衝撃を与えると、革命への拒否反応とともに世界中に流布されることとなる。アメリカではなんとあのヘンリー・フォードがこれに惚れ込み、彼が私財を投じてこの偽書を英訳させたところ、50万部を超えるベストセラーになったという。そしてドイツではヒトラーがこれに魅了され、のちのホロコーストの遠因の一つとなった。日本も例外ではなく、シベリア出兵帰りの陸軍将校がこの偽書を和訳のうえ出版し、陸軍のパンフレットとして全国の中学校に配布される事態に至っている。ロシアで生まれた陰謀論が、日米独をはじめとする世界各国で流行した背景には、当時の世界各国が例外なく直面していた、第一次大戦後の社会不安があったのだ。

「シオンの議定書」の事例は他にもさまざまな示唆を与えてくれる。なにより見逃せないのは、この陰謀論が、ユダヤ人差別を利用し民主化運動や社会主義運動を弾圧しようとする帝政ロシア政府側の「特殊な意図」を背景に生まれたという点だ。それを受容した各国も、同じく、労働運動や民主化運動を弾圧するためにこの陰謀論を利用している。「シオンの議定書」をわざわざ全国の中学に配布した当時の日本の陸軍には「社会主義運動や労働運動はユダヤ人の陰謀だ」と示唆することで、当時の旧制中学でも盛んであったデモクラシー運動を牽制する意図があったのだ。

 これは昨今の〝陰謀論ブーム〟でも同じである。アメリカで生まれた「Qアノン陰謀論」「ディープステート陰謀論」が、ドナルド・トランプの選挙運動に最大限利用された(いる)ことは記憶に新しい。今回、警視庁公安部の捜査の対象となった「神真都Q」の場合は、幹部連中にマルチ商法や金融商品詐欺グループとのつながりが示唆されているし、代表格のうちの一人は、なんとかして売れようともがき続けてきた売れない俳優であることが判明している。

◆陰謀論を利用する連中

 こうして腑分けしてみると、陰謀論の背景には、政治的であったり経済的であったりあるいは単純に自己顕示欲求だったりと、なんらかの「特殊な意図」が必ず潜んでいることがわかるだろう。そしてその特殊な意図を有する連中が、騙されやすい人を見つけては、次々と取り込んでいく。社会不安が増大するといつの時代も陰謀論が流行してしまうのは、社会不安が、普段は騙されないような人にも陰謀論につけこまれる間隙を生むからに他ならない。

 陰謀論の害悪とは、その主張内容の非科学さにあるのではない。陰謀論を利用し「特殊な意図」を達成しようとする連中の〝手口〟こそが問題なのだ。社会として直視すべきは、「騙される側」ではなく「騙す側」である。そうである以上、社会として必要なのは、陰謀論を生み・信じる人を、「リテラシーのない、科学を尊重しない愚者」と切り捨てることではなく、陰謀論を利用し邪な意図を完遂しようとする連中への監視と注意喚起であるはずだ。

<文/菅野完 初出:月刊日本5月号>

―[月刊日本]―

2022/5/14 8:52

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