元ちとせ・宇多田ヒカルの生歌に衝撃…圧倒的な“個性”の副作用

◆元ちとせの生歌に賛否

 4月18日放送の『CDTVライブ!ライブ!』(TBS)で「ワダツミの木」を歌った元ちとせに対して、賛否両論が巻き起こっています。東京の亀戸天神からライブで披露した歌が、まったく精彩を欠いていたのです。

 

 高音は出切らず、苦しい息継ぎ。本来ならば小気味良い奄美民謡独特のこぶしも、咳を飲み込むようにブツ切れで、ひとつづきのフレーズではなくなっていました。ギッコンバッタンとつまづき続ける歌が、壮大なサビのメロディを引き裂いてしまった。曲が台無しになった怒りよりも、歌い手が心配になるほどに悲痛な場面でした。

 屋外で雨という悪条件は考慮すべきなのかもしれません。一部ネット上では、不調だからこそ“プロの気迫に感動した”との感想もありましたが、大半は音楽として聞くにはキツいと感じたようです。

◆独特すぎる歌唱法の副作用か?

 それでも、元ちとせを擁護する点があるとすれば、それは独特な歌唱法の副作用です。奄美民謡をバンドサウンドにぶつけて高いキーで歌うことは、相当にアクロバティックな特殊技能だからです。

 特に「ワダツミの木」は、デビュー曲にして歌手の120%を引き出すほどに鬼気迫る楽曲です。その儚さゆえに、危ういバランスの上に成り立つ個性がきらめいたと言っても過言ではありません。その意味で、今回の“放送事故”は想定しうる事態だったわけです。

 キーを下げる選択肢もあったはずですが、そうすると楽曲全体のトーンが変わってしまう。2002年に「ワダツミの木」が与えたインパクトを思えば、オリジナルのまま歌わざるを得なかった。そんな苦しい判断がもたらした不幸だったのではないでしょうか。

◆宇多田ヒカルも…

 アメリカ最大の野外フェス「コーチェラ」に出演した宇多田ヒカルも、同様のケースでした。不安定だった「Automatic」や「First Love」などのパフォーマンス。その音程や声量に、少し残念な気持ちになってしまいました。

 確かに、声量の乏しさや不安定な音程をあえて強みとしてパーソナルな歌詞と物憂げな曲調にリンクさせる表現方法はユニークです。筆者もMTVアンプラグドバージョンの「Final Distance」には、何度も心を動かされてきました。

 けれども、そうしたアプローチは王道というよりはニッチであって、元ちとせと同様に、“危ういバランスの上に成り立つ個性”なのですね。

 ヘッドフォンで聴くと親密になる音楽は、野外の大音量で再現すると一気に別物になってしまう。にもかかわらず、宇多田ヒカル自身の歌い方とフィジカルの能力はすぐには変えられない。すると、音源では“味”として楽しめていた不安定さが、致命的な瑕疵にまで増幅されてしまう。

 もともと圧倒的な歌唱力よりソングライターとしての才覚が強みだったとはいえ、想像以上に頼りない歌声に戸惑ったことは否めません。

◆あえて“生歌至上主義”に疑問を投げかけたい

 元ちとせ、宇多田ヒカル。いずれも日本では実力派として認識されてきたアーティストですが、直近のパフォーマンスを見た限りでは、いまだにそう呼んでもよいものか迷いが生じてしまう。

 名曲を聞きたいのはやまやまだけれど、どこかでがっかりする可能性も覚悟しなくてはならないのは残念です。

 そこで、あえて“生歌至上主義”に疑問を投げかけたいのです。かつてほどに歌えないのならば、“口パク”にしてもよいのではないか。

 もちろん、熱心なファンにとっては今現在の姿で歌ってくれれば嬉しいでしょう。けれども、大多数の部外者にとって優先されるべきは、ライブ感の希少性ではなく良い楽曲のクオリティが維持されることではないでしょうか。

◆「生」で歌うことの弊害

 曲を歌いきれないということは、歌手だけの問題では終わりません。『CDTV』での元ちとせは、跡形もなく曲が崩壊し、残ったものは音楽とは無関係の“気迫”でした。コーチェラの宇多田も、体力と筋力の不足によって国民的大ヒットのエバーグリーンなみずみずしさが失われてしまいました。

 曲はグダグダではないのに、肉声の不可抗力で全体が引きずられてしまうのですね。

 

 それぐらい歌手の与える影響は大きいもの。リハーサルなどの状態によっては、決断を下す必要もあるのではないでしょうか。CD音源を超えるのはおろか、そこに近づけることもままならない状態なのだとしたら、“口パク”もオプションのひとつとして受け入れるべきなのかもしれません。

 楽曲と歌手の尊厳を傷つけてまで生歌にする理由など、どこにもないのです。

文/石黒隆之

2022/4/22 15:53

この記事のみんなのコメント

3
  • ゼリー

    4/25 10:39

    生歌至上主義?テレビはむしろ、生演奏無し、被せを含めた口パクの方が多数派だろう。 アスリートだって能力が衰えたら引退するんだから、歌手が生歌が歌えなくなったら引退すればいいだけ。

  • 厳しい記事ですが、敢えて本当のことを言っているのかと思います。宇多田の方の映像は見ました。いま思うと…あれ?宇多田ヒカルって、こんなだったっけ?と漠然と感じたことを覚えています。とにもかくにも時代を作ったアーティストです。これからもずっと活躍して欲しいです。

  • まる☆

    4/25 9:45

    声楽家は20代の声帯はまだまだ、40代、50代で完成されると言われていて、実際若い頃から知っている人が今のほうが断然良い声で音域も広がっている方をたくさん知っています。年を経るごとに声が低くなるのはたしかですが、鍛錬で克服できます。ボイトレが足らないのでは?衰えるような年代ではないです、決して。

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