家族に興味がもてない。ひとり暮らしで解放された私に届いた母からの連絡

「家族」に興味をもっていなかった家族

by Laura Fuhrman

年が明けると、母から新年のあいさつと共に弟の写真が送られてきた。

5年ぶりに見る弟は、髭を生やし、髪型もおしゃれにまとめ、体格も少しよくなっているようだ。そこには、私の記憶のなかに存在する弟とは異なる誰かがいて、「あ、本当に他人になってしまったのかもしれないな」と、関係を継続させる努力なんて一切してこなかったくせに小さな衝撃を受けた。

私の家族は仲が悪い。そう思っていたのだが、どちらかというと誰も家族という関係性に興味を持っていなかったという感覚に近いような気がする。

家族のなかで唯一連絡先を知っている母から弟や妹の近況が送られてくる度、何の感情も持てずに「この情報を私に送ることで、母はどうしたいんだろうか?どんな回答が正しいのだろう?」と考えてしまう。どんな反応をすべきかわからなくて、いつも返信に時間がかかる。文章を打ち、削除し、更に打ち直す、という作業を繰り返し、ようやく1つの文章を完成させる。できるだけ、当たり障りのないように。波風が立たず、会話も続かないように。そして、何の興味も持てない自分と意図の汲み取れない母の発言への苛立ちが静かに湧いてくる。きっと、母なりの努力で共通の話題がほとんどないからというのはわかっている。ただの普通の世間話だ。弟と妹にも同じことをしているのだろう。

私にまったく興味を持っていないのは、弟と妹も同じだ。特に妹とは、思い出らしい思い出がひとつもない。私たちは、家族にもきょうだいにもなれなかったのではないか。血の繋がりだけがそこにあって、私はもう彼や彼女のことを「弟」「妹」と呼ぶ資格をすでに手放してしまった。

母は弱い人間だったのかもしれない。大人になった今ならわかる。滋賀の田舎から父の元へと嫁ぎ、父の就職とともに家族や知り合いの誰もいない横浜で過ごす日々のなかでは、長女である私が一番の話し相手だったように思う。人と向き合えない。本音で話をしたり、悩みを相談したりできない。誰を信じていいのか、頼っていいのかがわからない。明るい性格で友達や世間話のできる相手は多いはずなのに、あらゆる他者に対して見えない壁を作ってしまうところが、母と私はよく似ている。

私の母は、父の悪口やママ友のよくない噂を、一緒にスーパーに買い物に行ったときや夕食を食べているときに、なんでもない日々の会話のひとつとして話す。今考えればそのやりとりは教育には不要で不健全なのだが、誰ともうまく繋がれなかった母は、日常のあらゆることを抱えきれずに、私に話をすることでなんとか耐え抜いていたのかもしれない。

家族と和解し向き合える日は来ないかもしれない

ここ1年くらいは、興味のない弟や妹の近況に混ざり、祖父母の介護や母自身の病気、生活やお金の問題を相談されるようになった。やはり大きく感情が動くことはないのだが、どんな対応が適切なのか、どうすれば母が満足するのかわからなくて押しつぶされそうになる。LINEのやりとりでは、「困ったことがあったら言ってください」と伝えているが、本当は手を貸す気なんてまったくない。

本音を言えば、巻き込んでほしくなかった。その癖、母に認められなかった過去の自分を救うために、今からでも家族の仲を修復する努力をすべきなのではないか? という気持ちも心のどこかにはある。「引越し先を探している」という母に、「じゃあ私が家賃を出すから一緒に住もうよ」とでも言えればよかったのに、一緒に住んでいた頃の窮屈な気持ちを思い出すと絶対にそんなこと言えない。自分のことしか考えられない部分にも嫌気がさす。

子どもの頃と何も変わらないな、と思う。母の吐き出し先や支えになった私は何に頼ればいいんだろう。どんな反応をすれば母は満たされるのだろう。家族として何が模範解答なのだろう。私にはわからない。顔色を伺い続けるところも変えられない。だから家族に興味が持てなくて、周囲の人との人間関係もうまくいかない。自分に何が足りないのかわからなくて、その足りない何かに失望をする。

そういえば私の記憶のなかで家族を信じられた瞬間って一度だってなかったな。私は人のことを信じられない。信じた先に何があるのか、常に自分の味方でいてくれる人がそばにいてくれるという感覚がまったくわからない。だから私にとっての家族は興味の対象外で、その気になればいつでも切り捨てられる存在なのかもしれない。決して実行は移さないけれど。そんなことを頭のなかを駆け巡る。

やっと家族のなかから抜け出せて、必要最小限の連絡を取りながら一人で暮らしてきた。私にとってのその自由は幸福の象徴で、この生活が変わらないままで、ずっと続けばいいと思っている。でも、家族も私も老い、死に向かっていく。時間が経てば、何かが変わる。よいことも、悪いことも。死ぬまで同じことなんてこの世にひとつだってない。

でも、分かったしまった。私はきっと最後まで興味を持てずに、家族という最も近しい人間関係すらもわからないままであることが。周囲の人の持っている普遍的な人間関係を、この先も手に入れられないことが。日々老いていくなかで、感情が緩やかになり、色んなものが許せるようになる。家族を許せる日が来ても、壊すものがなければ修復できない。家族というひとつの人間関係を少しも築けなかった私が家族と和解し向き合える日は、来ないのかもしれない。

Text/あたそ

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2022/1/18 11:00

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