夫が部下の女性の上で…自宅で不倫現場を目撃した妻の苦しみの20年
「今でも後悔していることがあります」
そう言うのは、大学を卒業したひとり息子が実家を出ていき、現在夫婦ふたりきりで暮らしているサトコさん(51歳・仮名)だ。
一回り年上の夫は2年前に脳疾患で倒れ、リハビリを重ねたものの今も麻痺が残っている。日常生活にも介助が必要だから、サトコさんはパート仕事以外は夫から目を離せない。
「要介護1なので、リハビリに通ったり入浴介助にヘルパーさんが来てくれたりはするんですが、夫は私に頼りたがる。家の中ならなんとかひとりで歩けるはずなのに、支えてほしいという。
体の大きな夫を私ひとりでは支えきれず、私が転倒して足首を捻挫(ねんざ)したこともありました。そのたびに私の中で恨み辛みが大きくなっていくんです。あのとき離婚していれば、今、こんなことになっていないのに、と。それが大きな後悔」
◆夫が自宅に招いた部下の中の女性が…
“あのとき”とは、26歳で結婚、27歳で出産してから3年目のことだった。当時、夫は会社で昇進し、部下たちを呼んで家でごちそうしたいと言い出した。
「夫には毎日、お弁当を作っていました。私は料理が大好きだったから。それが愛妻弁当と評判になって、奥さんの手料理を食べさせてほしいということにつながったんだと思います。小さな子もいるし、何人も来るのはつらいと思ったけど断り切れませんでした」
夫は金曜日の夜、6人もの部下を引き連れて帰ってきた。サトコさんはその前の日から仕込んだ料理を次々と運んだ。子どもには先に食べさせていたが、自分が食べる間などとてもなかった。
「キッチンにお皿を運んできてくれた女性が、『お忙しいのに押しかけて申し訳ありません』と丁寧に言ってくれたんですよ。私が食べてないのを察したんでしょうね、『私が手伝いますから、奥さんも何か召し上がってください』って。タイミングを見て食べるから大丈夫よと言いながら、いい子だなと思っていました。彼女は息子にもおもちゃを持ってきてくれたんです」
アサミと名乗った彼女は、20代半ばで就職して4年目だった。こういう気の利く社員がいると夫も心強いでしょうねとサトコさんはお世辞抜きで言った。
◆深夜、夫が女性の上に乗っていた
サトコさんは9時過ぎに子どもを寝かしつけ、またキッチンへ。いつまで宴会が続くのかわからないと思っていると、夫が「もうサトコは休んでいいよ」と言ってくれた。
夫婦の寝室に引き上げて一眠りし、ふと目が覚めると午前1時を回っている。リビングから物音はしない。みんな帰ったのかなとリビングを通らず、そのまま玄関脇のお手洗いに行った。
「玄関を見ると、いくつか靴がある。女性物もありました。あら、みんなリビングで寝てしまっているのかしらと思いました。アサミさんを雑魚寝(ざこね)させるわけにはいかないから、夫も彼女だけは和室の客間に案内したんだろうとは思いましたが、ちょっと確認してみようとリビングを覗(のぞ)いたら……」
暗がりの中で何かがうごめいている。一方で部屋の隅からいびきが聞こえた。サトコさんは思わずリビングの電気をつけた。
「夫がアサミさんの上に乗っていました。彼女と目が合ったんです、私。夫は振り向いて急に酔ったフリをしはじめました。彼女の胸が露(あら)わになっているのに、よくそんな芝居ができるものだと後から思ったけど、そのときはびっくりして何も言えなかった。電気を消して寝室に駆け込みました」
その後、夫とアサミさんがどうしたのかサトコさんは知らない。ただ、早朝、誰かが玄関を出ていく音だけは聞こえた。
◆写真のように脳に刻まれ、よみがえってくる
まんじりともせずに迎えた翌朝、サトコさんはリビングに男性ふたりが寝ているのを確認した。夫はどうやら和室にいるらしい。
「簡単な朝食を作ってリビングのテーブルに置き、私はまた寝室にこもりました。しばらくすると夫が彼らを起こす声が聞こえ、3人で食事をしたようです。そこで初めて出ていって、コーヒーを入れました。夫に笑顔は見せたくない、でもお客さんに仏頂面(ぶっちょうづら)というわけにはいかない。つらかったですね」
ふたりが帰ると、夫が「酔いすぎて何がなんだかわからない」と先手を打った。サトコさんは何も言う気にならなかった。
「あのときのことが写真のように脳に刻まれてしまったんです。そしてふとその写真がよみがえってくる。なんともいえない怒りと裏切られた悲しさで、時間が経てばたつほど頭がこんがらがっていきました」
夫はなにごともなかったかのように生活している。数週間後、サトコさんはやっと、「私は夫に対して怒っていいのではないか」と気づいた。
「寝室で、この前のことだけどと言いかけたら、夫は『ごめん、今日は疲れていて。明日聞くから』と。翌日になると飲んで午前様。とにかくあの日のことは話したくないらしいということだけはよくわかりました」
そうこうしているうちに、子どもが熱を出したり遠足に行ったりと忙しさに心身がまぎれこんでいく。改めて問題を蒸し返すには時間がたちすぎていると、「何かをあきらめたような気分に」なっていった。
◆夫が帰らなかった翌日、女性から電話
ところがその4年後、息子が小学校に上がる直前のことだった。夫が連絡もなく帰ってこない日があった。
「携帯に電話しても電源が切ってある。何かあったのではないかと心配しました。翌朝6時ごろだったかしら、夫から電話があって『仕事で緊急事態になって会社に泊まった』と。今までそんなことはなかったのに。
その説明を信じたふりをしましたけど、信じてはいなかった。その日はパート仕事がなかったので家にいたんですが、午後2時ごろです。アサミさんから連絡があったのは」
アサミさんの名前を聞くだけで、電話をもつ手が震えた。サトコさんの怒りはおさまっていなかったのだ。
「部長、昨夜は本当にずっと仕事だったんですと彼女は必死に言うんです。どういうこと、何をかばっているの、本当はあなたが朝まで一緒だったんでしょと怒鳴ってしまいました。すると彼女、態度が一変、低いドスの利いた声で『奥さんが拒絶するからじゃないですか。ベッドの下手な女は愛想つかされますよ』と言って電話を切ったんです」
◆4年も関係を持ち続けていたのではないか
その日ばかりは、夫を許せなかった。彼女が勝手に電話をしてきたのか、夫がかけさせたのかはわからないが、自分がふたりに愚弄(ぐろう)されているような気がしてならなかった。
「息子が寝てから帰ってきた夫に、いったいどういうことなのか説明してほしいと詰め寄りました。夫は黙っていましたが、『心配しなくていい』と。心配なんかしていない、怒っているんだと言いました。
『彼女が好きなら、出て行って。離婚したいならする。息子は渡さないし会わせないから』とガンガン言っても夫は黙っている。ぽつりと『誤解だよ』と。その後、夫は以前より早く帰ってくるようになりました」
おそらく、何年もつきあっていたアサミさんは業を煮やして離婚を迫ったのではないかとサトコさんは言う。だが夫は家庭を捨てる気はなかった。そこでアサミさんが腹いせのようにサトコさんに電話をかけてきたのではないだろうか。
「うちに来たときからつきあっていたとしたら、4年もの間ですからね。30歳を迎えて彼女も焦ったのかもしれません。もっとはっきり乗り込んできてくれたら、私も離婚する決意ができたかもしれないけど」
◆夫を見捨てたら非難する世間に対抗できない
そこから月日は流れ、夫とは可もなく不可もないような日常生活を送ってきた。息子は大学を出て就職し、配属先は関西だったので家を離れた。その直後、夫は倒れたのだ。定年にはなっていたが仕事を継続、会社に着いたとたんに倒れたのだという。
「私は夫を許せないまま、息子がいるから離婚には踏み切れなかった。でも息子が就職し、夫が65歳で仕事をやめたら別れようと本気で思っていました。
ただ、以前のような体ではなくなった夫を見捨てることができなくて……。愛でも情でもないんです。ここで見捨てたら世間がうるさいでしょう。それに対抗できるほど私は強くない。息子も『おかあさん、大変だろうけど僕が東京勤務になるまでがんばってよ』と言われてしまって。息子はあの一件を知りませんから」
◆ずっと後悔しながら生きていくのはつらい
まだ50代になったばかりなのに、この先はずっと介護の日々なのだろうかと思うと気が滅入(めい)るとサトコさんは言う。
「夫の不倫が許せないと思ったら、徹底的に話し合うか離婚するか、とにかく自分の納得がいくような道を選んだほうがいい。私のようにこれからずっと後悔しながら生きていくのはつらいですから」
サトコさんは疲弊したような表情でそう言った。
―シリーズ「不倫、その後」―
<文/亀山早苗>
【亀山早苗】
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。Twitter:@viofatalevio