内田也哉子が思う、母・樹木希林における父・内田裕也の存在「ある種“カオスの塊”みたいな人と出会って…」

TOKYO FMで月曜から木曜の深夜1時に放送の“ラジオの中のBAR”「TOKYO SPEAKEASY」。今回のお客様は、エッセイストの内田也哉子さんと漫画家・随筆家のヤマザキマリさん。ここでは、ヤマザキさんが経験した壮絶な人生と、内田さんの母・樹木希林さんと父・内田裕也さんの出会いについて話していきました。

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(左から)内田也哉子さん、ヤマザキマリさん

◆ガス・水道・電気がない家に3ヵ月も…

ヤマザキ:17歳からイタリア・フィレンツェで11年間の留学生活を送っていたのですが、やはり11年付き合っていた彼氏とのあいだに子どもが生まれたことをきっかけに、その人とは別れて、いったん日本に戻ってきたんですよ。正直、その11年で人間が生きているときに感じるであろう不条理をほとんど経験したと言っていいかもしれません。

身近な人の死もそうだし、裏切りもそうだし、絵は売れないし、家は追い出されるし……そんなことを若いときに経験しているので、いろんなことに動じなくなってしまった。泥沼の泥をすくい続けたおかげで、何でも乗り越えられる自信がついたというのはあります。

内田:きっと“あれを乗り越えられたんだから”っていう秘かな自信ね。

ヤマザキ:そう。ガス・水道・電気がない家に3ヵ月も暮らし、駅で寝泊まりしなきゃいけない日もありました。彼氏は私の持っている貴金属はおろかラジカセまで質屋に入れて流してしまうし、こんなことって現実世界で本当にあるんだって驚きましたが、しっかりフランダースの犬現象が起きたわけですよ(笑)。正直、そんな暮らしをしていたら怖いものなんてなくなってしまいます。日本はバブルの真っ只中の時期でした(笑)。

内田:すごいなぁ。言葉が出ないです。

ヤマザキ:母に言わせると、私は自分から苦労を探しに行ってると。苦労を肥やしに生きるしかない体質なんだと。そもそも、付き合っていた彼氏は売れない詩人ですから経済生産性はゼロ。

最初に出会ったときは、毛玉のセーターを着て、白いマフラーを巻いて、ボードレールだったかエリュアールだったかの詩集を小脇に抱えて寒さに震えていたのを見て、“ああ詩人って本当にいるんだなあ”と感動したんです。生命力が薄そうなのに人生を斜めで見てるし、言うことはキツいし。繊細で孤独なのに人にすがらない。もう一番避けなければならない存在ですよ(笑)。

内田:ステキ、小脇に抱えてね~。若い頃は特に人生を斜めに見ることは避けて通れないですものね(笑)。

ヤマザキ:そういう人は、側から観測するにとどめておくべき存在なんですよ、付き合ってはいけない。付き合ったら終わり(笑)。どんなに私が頑張ってお金を稼いでも、右から左で、食べるものもないのに高価なワインと本ばっかり買ってくる。貨幣価値がよくわかっていない。お育ちが良かったんです。

ある日「詩の本を出したい」って言うから1,000冊も刷ってあげて、売れたのが1冊ですよ。“残りの999冊はどうするんですか?”っていう(笑)。

内田:えぇー!?

ヤマザキ:家にしばらく山積みになっていたけど、どうやって処分したか覚えてません(笑)。まあ、そういう失敗を幾度か繰り返していくうちに、だんだん肝が据わってきたわけですよ。バカな私も学習をしていった。人間に対する過剰な理想や夢っていうのが、どんどんそぎ落とされていった。だからいづれ“素敵な家族を持ちたい”とか、“子どもが生まれたら素敵だな”なんて理想は、ほどほど持ってませんでした。私にとって生きることは困難と格闘のみ。

内田:そうなんですねぇ。だから、あの11年間は簡単には語り尽くせないほど過酷だったと思うんだけど、マリさんにとっては、大変な栄養にはなっているわけですよね。

ヤマザキ:そうですね。魚が卵を1万個産んでも生き残るのが数匹みたいな世界をサバイブしてきた気分といったら言い過ぎかなあ。例えがちょっと変ですけど。

内田:ある意味で達成感ですよね。

ヤマザキ:ジャングルや大海原に放置されたけど生き延びた、みたいな変な自負がありましたね。

◆2ヵ月も一緒にいなかったみたいです(内田)

ヤマザキ:だから子どもが生まれたときに、それまで11年間も同棲していた(パートナーの)詩人とはスパッと別れられたんですよ。はたからしてみりゃ、「あんた、なに真逆のことをやっているのよ?」って言われまくりましたけど(笑)。

内田:まさしく(笑)。

ヤマザキ:子どもが生まれたら普通なら結婚でしょう、と。ただ、私にとっての11年の詩人との暮らしは、苦しむのが私だけだったから良かったわけです。毎日のように大げんかをしたり、家を追い出されたり、一文なしになったり、そんな環境を、これから世の中の右も左もわからずに生まれてくる子どもに経験させる勇気なんて、とてもじゃないけどありませんでした。まず守るべきは子どもです、詩人とボヘミアンごっこを続けている場合ではない。

内田:それどころじゃないですよね。

ヤマザキ:そうでしたね。

内田:それは、うちの両親もそうで。

ヤマザキ:ああ、はい(笑)。

内田:母も最初はもちろん好きで、父・裕也と一緒になったんだけれども、本当に実質、2ヵ月も一緒にいなかったみたいですね。

ヤマザキ:そうなんですね。希林さん、裕也さんのどこに惚れたんでしょうか?

内田:マリさんが見た詩人じゃないけど、母のなかですごく触れるものがあったんでしょうね。

ヤマザキ:希林さん、刺激が欲しかったのか。

内田:脳科学者の中野信子さんと対談した「なんで家族を続けるの?」(文春新書)という本で詳しくお話させていただいたんですが、母の場合は、心のブラックホールを早いうちに抱えていたんです。どんなに働いても、どんなにお金を得ることができて暮らしが安定しても、埋まらなかったと。それで、その(裕也さんと結婚する)前にも結婚していた人がいたんだけれども、その相手はとても穏やかで、みんな幸せ。ただ、その幸せに苦しくて悶えていたっていう。

ヤマザキ:“幸せに苦しむ”っていうのは面白いですよね。

内田:“幸せって、こんなにつまらないものなのか”って思っちゃったんですって。それで、その方とは5年くらいかな? 一緒にいたけど離婚することになって……“幸せすぎるから離婚”って聞いたことがないですけど。

その後も、何を見ても、何をやっても、興奮しない自分がいたところに、父という、ある種“カオスの塊”みたいな人と出会って。「このカオスと付き合ってさえいれば、自分のブラックホールは見て見ぬふりができる。消えることはないかもしれないけど、こっちに寄せていけば、生きていけるんじゃないか」っていう。

ヤマザキ:きっとメンタル面で栄養不足だったんですよね。人間の場合、生きていくのに必要なのはご飯だけではなく、メンタルにも栄養は必要ですからね。だからきっといろいろなものが足りていなかったんですよ。幸せのなかにいると“私、これだとダメだ”って危機感があったんでしょうね。彼女が出したい出力が、お金から与えられる栄養素だと賄いきれなかったということだと思います。

内田:そうかもしれないですねぇ。

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<番組概要>

番組名:TOKYO SPEAKEASY

放送日時:毎週月-木曜 25:00~26:00

番組Webサイト: https://www.tfm.co.jp/speakeasy/

2021/11/21 20:30

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