【連載対談】【対談連載】日本資産運用基盤グループ 代表取締役社長 大原啓一

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【日本橋兜町発】事業経営者で、一度も挫折を味わうことなく、すべて順風満帆だったという人はおそらくいない。大原さんも最初の起業のとき、自分たちのサービスが軌道に乗らなかったことでメンバーの心が離れ、一時は人間不信に陥ったこともあったという。そこで、今の会社を興したときに考えたことは、会社の存在価値や企業理念を明確にすることだった。「旗幟を鮮明にすることで結束を図る」というといささか大時代的だが、経営者が忘れてはならない大切なことの一つだと思う。
(本紙主幹・奥田喜久男)

●シニア世代の豊富な経験と専門知識が大きな力に


 大原さんが設立された日本資産運用基盤の事業内容は、金融機関・事業者向けコンサルティングの提供等とありますが、これはまさに英国の金融業界のように、金融機関が外部の力を借りてビジネスをつくっていく方策を提供すると捉えていいですか。
 そうですね。そうした環境づくりをして金融業界のインフラを構築したいと考えています。
 とはいえ、保守的な既存の金融業界にベンチャーが食い込むことは簡単ではないですよね。
 おっしゃるとおり、国内の金融機関はクラウドを利用することもためらうような風土ですから、私たちのような外部のリソースを利用することはほとんどありませんでした。ところが、ここ2、3年、多くの金融機関が儲けを出せない状況になると、そうもいっていられません。そうした状況の下、私たちのような“怪しい”会社にも(笑)、ご相談くださるようになってきたのです。
 日本の金融機関も、いよいよ背に腹は代えられない状況になったのですね。でも、大原さん自身、いろいろご苦労があるのではないですか。
 ひとりで会社を立ち上げたときは、銀行の頭取に自筆の手紙を書いたり、業界誌に論文やレポートを寄稿したりしてネットワークを地道に広げました。いまでもこれは、ずっと続けています。
 もちろん、頭取に手紙を書いても無視されることが多いのですが、反応があった先には必ず会いに行きました。その結果、地方銀行などとの提携が実現できたのです。
 創業3年でそこまで実現したのは立派ですね。いま、陣容は何名くらいですか。
 約20名です。そのほとんどが大手金融機関出身のエキスパートで、60歳前後の方が多いですね。
 ということは、大原さんが42歳だから年上の社員がけっこういるのですね。
 私より年下の社員は2、3人いるだけで、ほとんどがシニア世代です。
 スタートアップベンチャーのイメージとは少し異なりますが、それはなぜですか。
 やはり専門知識や経験が豊富だということですね。私より豊かな知見を持つ人が多いわけですが、お客様の要望に応えるにはそうした人材の存在が必須なのです。もちろん30~50代にも優れた人材は数多くいますが、年齢的に大手企業からベンチャーへの転職は簡単にはできないのでしょうね。
 ところで、そういう人材を採用するときに大原さんが最も重視するのはどんな点ですか。
 一緒に飲みに行って楽しいと思える人ですね。そうした場で話をして面白くなければ、一緒に仕事をしても楽しくないじゃないですか。
 おや、意外な答えが返ってきましたね。でも、大事な知識や経験については?
 それについてはもちろん、私が面接する前にスタッフがチェックしていますから大丈夫です。
 そのうえで、人柄を確かめるのですね。
 でも、私はお酒を飲まないんですよ(笑)。飲む役職員と一緒に行って、ウーロン茶をちびちびやりながら話を聞いている感じなんです。
 なんだ、私みたいな飲んべえではないんですね。ちょっと残念(笑)。

●アナログ的なものへの揺り戻しも念頭に 使い勝手のよいサービスを考える


 大原さんが思い描く今後のビジネス展開はどのようなものなのでしょうか。
 社名のとおり、金融業界の基盤、つまりインフラをつくっていきたいとお話ししましたが、もう少し具体的にいうと、優れた資産運用のサービスをつくるためのベースを構築したいということですね。日本の個人資産の総額は2000兆円といわれていますが、その大部分は預貯金です。そのお金が投資に向けられないのは日本人の金融リテラシーが低いからだと国はいいますが、私はそうは思いません。それは、優れたサービスがないからです。
 優れたサービスとは?
 手数料がそれほど高くなく、安心して使えるサービスですね。もちろん、これまで日本の金融業界がわざと使い勝手のよくないサービスを提供してきたというわけではありません。日本の金融インフラは構造的に重いため、フレキシビリティに欠け、よいサービスが生み出せなかったのです。
 でも、かつてユニクロがファブレスの事業モデルを構築して安価な衣料の提供を可能にしたように、必要な機能を外部から取り入れてサービスを構築する仕組みができれば、資産運用のマーケットは大きく広がっていくと思います。
 それを実現するためには、どんなことが必要になりますか。
 まず、当社が実体的なプラットフォームとして金融機関から認めてもらうことですね。人員をはじめとした企業規模の拡張や財務的な信頼感を得ることが求められると思います。そして、なによりも「実績を積み重ねることが大事」ですね。
 そうしたことに加え、従来からの金融機関のマインド、すべて自前で賄うべきだという意識を変えてもらうことができれば、状況は大きく変化すると思います。
 大原さんは新しいインフラ構築のためシステム開発に力を入れられていますが、このコロナ禍でも加速したデジタル化の波は、今後どのような形で推移すると思われますか。
 新たなシステムの開発はもちろん必要ですが、世の中の空気としては、むしろデジタルからアナログ的なものへの揺り戻しが起こるのではないでしょうか。
 例えば、Eコマースによって人と接することなく容易に買い物ができるようになりましたが、そのなかでもユーチューバーが推奨したものがよく売れるということは、消費者が人とのつながりを求めていると見ることもできます。
 そうした分析を、ビジネスに反映させるとすれば……。
 人と人との関係や地域の再発見だと思っています。私はいろいろな地銀の頭取とお会いして「これからこそ、地銀は花形商売になる」とお話ししているのですが、リップサービスだと思ってみなさん信じてくれないんですよ(笑)。
 最近は地銀を救済する体でオンライン金融機関が地銀の囲い込みに熱心ですが、これは救済ではなく、逆に地銀にすがっていると私は見ています。オンラインはコモディティにすぎませんが、地銀は隣県同士であってもまったく異なり、その独自性が強みとなりうるのです。
 なるほど、これからはアナログへの回帰の動きを含め、世の中を考えていくべきということですね。業界の仕組みを再構築するようなたいへんなビジネスですが、その成功を心よりお祈りします。

●こぼれ話


 少年の頃、私は剣道が好きだった。いや正確に言おう。“チャンバラ”が好きだった。ある時、家のどこかから竹刀袋を見つけ出してきた。開けると、その中には2本入っていた。ドキドキしながら、こっそり抜き出して振ってみた。楽しかった。父にそのことを話したら、「剣道を教えてやる」という運びになって、竹刀を合わせた。「飛び込んでこい」との声に竹刀を振りかぶって打ち下ろした。すると、父の額に当たって「バシッ」と音がした。何かとても悪いことをした気持ちになって、手合わせの機会は二度とやってこなかった。中学で剣道部に入り、大会に出た。初戦で「面あり」の敗退。悔しくて、練習に励んだ、のではなく退部した。勝敗を決する部活は僕には向かない、と勝手に思い込み、弁論部に入り、その後は生徒会活動に勤しんだ。その後の人生は自分なりに認識している。時は流れ、72歳の時に大原啓一さんと出会った。初対面の瞬間に“懐かしさ”を覚えた。それが“何か”はわからない。が、会話を進めるうちに“それ”を手繰り寄せ始めた。
 人は内なる自分と外なる自分をもっている。私の認識はこうだ。話しながら、外なる会話をしながら、内なる自分は会話のあらゆる可能性を探っている、自分である。将棋や囲碁の対局での戦いぶりといった様相であろう。『千人回峰』も来年で15年目を迎え、登場いただいた方は300人に近づいてきた。多くの人と会ってきたことを実感する。一対一の会話の中で、僭越ながらその方の、人生の歩みをおたずねする。私の質問の根っこは「人とは何ぞや」である。もちろん“解”のない質問であることは気づいていた。対談を数えるうちに、自分の変化に気づき始めた。それはこのコラム『こぼれ話』の執筆での変化だ。文章を思い浮かべながら絵を描いている。絵を思い浮かべながら文章を書いている。その間に浮かぶ絵は何千枚にも及び、書き上げる文章の絵は3枚を手頃と決めている。この空想の間がとても嫌で、それ以上に心地よい。
 上新電機のお店には学生時代のアルバイトでよく訪れた。大阪・日本橋で働いた折りには通天閣を見にいった。見上げながら、これがあの通天閣か…。「吹けば飛ぶよな将棋の駒にぃ」。村田英雄の王将である。好きな歌の一つだ。飲んでは歌い、歌っては飲んだ青春時代。通天閣を見上げる場所にあるこの街は、『あしたのジョー』の物語の最初に出てくるあの街だ。大原さんはここで生まれたという。「通天閣の街って『あしたのジョー』の風が吹き抜けるシーンの街みたいでしょ」。そうなんですよね。大きく頷く。この街は当時の私にとって、その後に知った大好きな浅草よりも格が上なのだ。通天閣といえば「新世界」。この飲み屋街には今、どんな店があるのだろうか。ワクワクするが、話をもとに戻そう。大原さんの向上心は、そのつど変化する。仕事と同時に居場所もわりと短期間に変化する。成人してからの20年間で最も長いのはロンドンのシティでの8年間だ。この時期の金融マンとしての経験が今の大原さんを動かしている。そうだ次回は通天閣の話題ではなく、シティでの経験の話で盛り上がるとしよう。
心に響く人生の匠たち
 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
  • 11/12 8:00
  • BCN+R

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