緊急事態宣言中に上司の誕生日パーティー。苦言を呈した女が受けたヒドい仕打ち

感染症の流行により、私たちの生活は一変してしまった。

自粛生活、ソーシャルディスタンス、リモートワーク。

東京で生きる人々の価値観と意識は、どう変化していったのだろうか?

これは”今”を生きる男女の、あるストーリー。

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Act3. ヒミツのパーティー ――2019年12月・パンデミック前の世界――


「マリリン、このページはプライスをオミットした形でフィックス?」

「あ、はい。これから経過をご連絡いたします」

「サンキュ~」

社員数30人ほどの渋谷にあるベンチャー企業。中途入社して2年目の日比鞠子は、いまだ慣れない同僚のノリに戸惑いながらもにこやかに微笑んだ。

アットホームで平均年齢も20代後半。生真面目な鞠子の性格的に違和感はあったが、みんな根はやさしく明るい人たちだ。

東京・下町で江戸切子の職人の家に生まれ、三世代家族のなかで育った鞠子。

大学卒業後は地元の役所に10年近く勤務していたが、一念発起して昨年、転職してきたのだ。

ECサイトを運営しているこの会社は、良質ながら知られていない伝統工芸品をモダンに提案し、メディアでも取り上げられたことで急成長中。

社長・荒川洋平は、35歳の若さながら社員の求心力を一身に集めている。

ヒゲに長髪、そして色つきのフレーム眼鏡をかけており、見た目的に一番苦手なタイプの彼。しかし、そのカリスマ性に鞠子が憧れを抱いているのは言うまでもない。そう、転職してでも入りたいと思うほどに…。

敏腕経営者である荒川の手法は、コロナが流行し始めた際も発揮された。彼はどの会社よりもいち早くリモートワークを導入したのだ。

― 見た目はチャラいのに、さすが社長よね…。

鞠子は羨望の眼差しで、リモート会議の画面の中心で社員に今後のビジョンを訴える彼を見つめた。

だが―

信頼が崩れ去るのは、一瞬であった。

コロナの波が勢いをさらに見せてきた、2021年の春。

鞠子は社長秘書の有坂愛奈から届いたメールに驚愕する。

『来月の社長の誕生日、会社でパーティーをしようと思います♪』

メールの内容に驚愕した鞠子。だが、社員たちの気持ちは…

― え、この状況なのに、本気?

愛奈曰く、この件は社長の提案という。それだけでも唖然としたが、上司含め同僚たちも皆賛成しているというのだ。

社員のみ参加するオンライン会議で、計画の詳細について盛り上がっている。驚きのあまり、鞠子は思わず口に出してしまう。

「あの、いいんですか?緊急事態宣言中なのに…」

「…」

鞠子へ一斉に視線が集中するのがわかった。でも、誰かは同意してくれると思ったのだ。

ニュースでも、連日この未曽有の状況が放映されている。危機感があるのは私だけではないはずだ、と…。

「別に、強制はしないよ。人それぞれ考え方はあるからね」

上司の誰かがつぶやく。それに続いて、愛奈が口を開いた。

「そうですね。ただ、長らくリアルの集まりもできていないですし、少しくらい息抜きもいいと思います。社長はこの状況下において、社員のメンタルも気にしていましたし…。もちろん、感染対策はしますから」

画面の中では一同が頷いている。「気にしすぎ」「お祝いするだけなのに」という言葉も聞こえてきた。

― え、私、少数派なの…?

鞠子は呆然とした。結局その後も彼女に同意するものはおらず、ほかは全員参加ということで、会議は終わった。

鞠子も参加したいのが本音だ。社長とも同僚とも、長らく接していないからだ。

だが、もしものことがあったら…それを考えると恐ろしい。

実は、鞠子は90過ぎの祖父と同居している。

高齢の祖父は数々の賞を受賞し、国内外のファンも多い。素晴らしい切子職人なのだ。


『社長!HappyBirthday♪』

5月中旬、そんなキャプションのInstagramのストーリーズが鞠子の目に入った。

投稿主は、愛奈である。もちろん、アカウントに鍵はつけられているが、楽し気な社員たちの様子を見ることができた。

― 感染対策って…どこが?

写真を撮るときだけなのかもしれないが、皆マスクを外しているのだ。その上、テーブルに並べられた飲み物や、豪華なケータリングの料理に鞠子は目を疑う。

なかでも一番信じられなかったのが、三角帽をかぶって赤い顔をしている社長の姿だ。尊敬をしている人物だけに、愕然とした。

― やっぱり、中身も見た目通りだったんだなあ…。

鞠子は投稿を見ながら、パーティーに参加しなかったことは正解だったと改めて感じる。

ただひとつ引っかかったのが、この盛大なパーティーの日時や時間そして計画も、最初の相談以来まったく知らされなかったことだ。

不参加表明をしていたため当然かもしれないが、そのことは批判的な人間を排除し、孤立させようとしている嫌がらせにも思えた。

ふと気がつくと、最近のリモート会議で、仕事上でも自分の知らないことがすでに進んでいるというのが多々あったのだ。

「連絡するのを忘れていた」と、後日議事録だけが自分に送られてきたことも1回あった。

― まさか私、ハブられてるの…?

身勝手な同僚たちの行動に、鞠子はある決断をする…

後ろめたさからくる被害妄想なのかもしれない、と自分に言い聞かせながらも、いつまでも鞠子の心のモヤモヤは晴れなかった。

そもそも、自分の意見を主張しただけなのになぜなのだろう。

やはり、この会社の人とは、価値観があわないのかもしれない、と鞠子は感じた。

家業の切子を今風に紹介し、有名にしてくれたこの会社。社長の理念にも惹かれて、安定した公務員の職を捨ててまで自分は転職してきた。

だが、いくら好きな仕事でも同僚から腫れ物扱いで働くのは苦痛でしかない。

鞠子は、この会社を離れることを決意したのだった。

――2021年6月――


「社長、お話があるのですが…」

1ヶ月後。社長の出社日に鞠子は会社へ赴き、話を切り出した。

「なにかな?衛生意識の高い鞠子さんがわざわざ出社するくらいだから、辞めたいというんじゃないだろうね」

社長の強い目力は、マスクがあることで一層強調されている。

皮肉めいた言葉に怖気づきながらも、鞠子はきっぱりと意志を告げた。

「―はい、そうです。申し訳ございません」

すると彼は、突然前のめりで立ち上がった。その手はなぜか震えている。冗談は言いつつも寝耳に水だったのだろう。

「…その意志は、間違いないの?」

「そうです、けど…」

社長は再び椅子に座り、頭を抱えた。


正直、こんな反応をされるとは思っていなかった。

彼自身、何度も転職を繰り返してきたと聞いたし、ほかの社員の退社のときも快く送り出してくれていたのに。

「君は、ウチの社に一番必要な人間だと思っていたんだ」

「…」

実は社長、誕生日パーティーは求めてもいないし、本意ではなかったという。「社長の提案」と愛奈が言っていたのも、同意を集めるための出まかせだったようだ。

サプライズで行われてしまい、その歓迎ぶりに社長はその場で言い出せなかったが、後日、愛奈含む主催メンバーを呼び出して厳重注意をしたという。

その際に鞠子だけは反対し、参加しなかったことを聞かされたらしい。

「僕の両親が医療に従事しているから、なおさらシビアになるんだよ」

そして、その注意によって、愛奈は退社の意向を示しはじめたそうだ。

「なるほど。人手が足りなくなりますからね…」

「それだけじゃない。鞠子さんの価値観は僕に近いと思ったし、流されず『NO』を言える意志を持つ人間を、ウチの会社は求めているんだ」

鞠子の胸は熱くなった。

自分が認められた、ということよりも、憧れの社長の人間性が自分の思っていた通りだったことに、ホッとしたのが正しい。

― もう少し、頑張ってみようかな。

鞠子の心に、希望の光が見える。

それを感じ取ったのか、社長は「退社の意志は、一旦預かりでもいいかな」と鞠子に尋ねるのだった。

鞠子は、苦笑いをしながら頷いた。

――2022年×月――


その後、鞠子は愛奈の後釜としての社長の業務のサポートと、新しい事業の責任者に抜擢された。

感染症も落ち着きを見せたあるとき。仕事後、誘われた2人きりでの会食中に、社長からこんなことを言われた。

「実はさ、鞠子さんの仕事ぶりはずっと尊敬していたんだ。ほかの社員と違って、この会社への心からの愛を感じてさ…。例の一件で、さらに見直したというか…」

なにかを感じ取った鞠子は、とりあえず微笑むが、胸の高鳴りは止まらない。

公私ともに笑顔で彼の隣にいる鞠子の姿が見えるのは、また少し先の話である。


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