戦う哲学者・中島義道が見たコロナ禍「人生の真相みたいなものがはっきりした」

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 “戦う哲学者“として知られる中島義道さん。『私の嫌いな10の人びと』『働くことがイヤな人のための本』(新潮文庫)をはじめ多くの著書には、現代社会で当たり前とされていること、常識・美徳、素晴らしいとされていることなどを真っ向から問い、人間の本質と照らし合わせた批評が多く綴られています。

 その中島さんは、このコロナ禍をどう過ごし、どんな思いを抱いていたのでしょうか。今回はその思いと「つけるべき抵抗力」について聞きました。

◆人生の不平等な理不尽さをコロナ禍ではっきり感じた

——中島さんはコロナ禍をどう過ごしていましたか?

中島義道(以下、中島) 普通に過ごしていました。私は現代の人たちについて、ほとんど興味がないんです。私の場合は「哲学」ですから「遊ぶ」とか「イベント」とかがなくなっても特に支障をきたすことがない。もともと人混みが嫌いだし、野球、相撲、音楽会とかああいうものは今の100分の1くらいで良いと思っているくらいなので。

「哲学」を学ぶ人は割と変わった人が多くて、中には引きこもりみたいな人もいるんだけど、そういう人にとっては良いなとも思いました。哲学を学んでいる青年から「先生、なぜ人って外に出たがるんでしょうか」って聞かれたりしたけど、彼が抱いたような疑問を浮き彫りにしたのもコロナ禍だったからだと思います。

 また、コロナ禍によって「人生の真相」みたいなものがはっきりしたなとは思いました。

——どういうことでしょうか。

中島 「結局人は偶然で死んでしまう」とか。感染経路もわからないまま、死んでいった人が多いですからね。私はいつも本に書いていますが、あっという間に人間は死んでしまいますし、どれだけ立派に生きていても死んでしまうし、交通事故で死んでしまうこともあります。新型コロナウイルスだって「道徳的に悪い人」がかかるわけではなく、偶然性によって誰でもかかるものなんですよ

 一番言いたいことは、人生とか人の一生はとても残酷で、不平等で、理不尽だということです。そういうことがコロナ禍で改めてはっきりしたように思いました。

◆コロナ禍で多くの人のエゴが露呈したのは良いこと?

——そういう切羽詰まった状態になると、人は自分のことばかり考えるようになるような気もします。「自分だけが助かりたい!」というエゴ丸出しのような。

中島 その通りじゃないですか。私なんかすごいエゴイストだし、私の仲間たち……哲学者とか画家とかも、ものすごいエゴを持っている人ばかりです。自分でもウンザリするくらいの体内エゴイズムがある。でも、私にとってはそれはごく自然なことなので、特に問題とは思いません。

 ただ、人間のエゴにおいて一番の問題は「何の利益がなくても他者を苦しめることがある」ということです。「プライド」「自分の正統性」「正義」とかを盾にしてね。昔、豊臣秀吉なんかも、自分の子どもに「謀反(むほん)だ」という噂が立った際、一族全員殺したりしました。

 こういうことは動物にはないことで人間特有の話ですが、こういう「他者を苦しめる」エゴはさておき、自分自身と向き合うエゴは意外と居心地が良いものです。

 逆に私は、エゴの強い人じゃないと、なかなか付き合いにくいんです。なんかみんな一見穏やかそうに見えるけど、それが欺瞞的に映って。その意味ではコロナ禍で多くの人のエゴが露呈して、残酷さが出るのもまた良いのではないでしょうか。

 日本人って、耐える力がすごいですよね。電車が止まって帰宅困難者が出ても暴動にはならない。黙々と歩いて帰ります。仮に財布を道端で落としたとしても、お金が入ったまま戻ってくることがあります。こんなこと、ヨーロッパやアメリカでは考えられないことですよ。向こうの人たちからすると感動的な話になると思うけど、こういう耐える力、誠実な民族性を持つ日本人が、エゴのような残酷さを剥き出しにすることは良いと思います。

——良いんですか?

中島 誠実な面と、そうでない面というのは本来表裏一体で誰もが持っているものですよ。それがコロナ禍によって露呈したのであれば、悪いことではないと思います。

◆人間の偶然性を「自分で選べる」と錯覚させるのは残酷

——悪い面もあってこそ人間だということでしょうか。

中島 道徳的なだけでできている人間なんていませんし、むしろ人間はもともと残酷な生き物ですので。

 今はポジティブ思考みたいなものが当たり前になっているでしょう。「自分がしたいことをやりましょう」「好きなことができる社会にしましょう」というような。でも、実際は完全能力主義で、能力がなければ「したいこと」「好きなこと」はできません。例えば職業選択で言えば、なんでも選べるからこそ残酷ですよ、今は。

 まさにアメリカなんかがそうだけど、ものすごい選択の余地がある一方で、ものすごい暴力的な社会のようにも思います。「大統領にだってなれるかもしれない」って考えられているけど、人間は偶然によって成り立っているわけで、生き死にも偶然です。それを「自分で選べる」とするのは残酷だと思うんです。こういうことに敏感に反応して、引きこもっている人もいると思います。

 昔は親が決めた相手と結婚しなければいけませんでした。あるいは自分が就くべき職業も全部決まっていた。これはある意味で楽なことだったと思います。逆に今は、相手を自分で選ばないといけないし、仮に「誰も相手がいない」となると、社会からは敗者のように見られることがあります。「結婚相手も仕事も、ちゃんと探せば、絶対見つかるんだ!」って教えますけど、これは全部嘘ですよ。

 私は今の日本で絶対に教えないことを、少しくらいマスコミが言うべきだと思っています。「人には絶対的な能力差がある」とか「どんなにがんばっても報われないことがある」とか「明日、交通事故で死んでしまうかもしれない」とか「明日、新型コロナウイルスで死んでしまうこともある」とか。そう考えれば、生きている、それだけで価値があるように思えるような気もするんです。

 また、「もし絶対に見つからない」ということであれば人間は人を殺すかもしれないし、何かを盗むかもしれない。そういうことをヨーロッパの人たちは意外とドライにわかっているんだけど、日本ではこういう教育をしないので、抵抗力がなくて弱いんですね。それがコロナ禍で少しは現実を感じることができたのなら悪いことではないと思うんです。

 ただ、感染者数が減って、最近はなんとなく新型コロナウイルスが手のうちの中にあるような感じがあるじゃないですか。そうなると、また鈍ってきているような気もしますけどね。

◆「抵抗力」という強さを身につけるためには…

——まやかしのようなフワフワした日本の社会、あるいはコロナ禍で、若い人が「抵抗力」をつけるとしたらどうしたら良いでしょうか。

中島 私が主宰する塾(哲学塾カント)には若い人も来て、皆さん純情で素直です。「豊かな国の若者だな」というような好感を持っていますが、抵抗力という強さを身につけるには、やはり「自分で判断する」「自分で引き受ける」「自分で責任を取る」ということを徹底すると良いと思います。

 以前、私は若い人たちに対して書いたことがありますが、これとだいたい同じことを言いたいですね。

 学力の低い親のもとに生まれたから、教養のかけらもない環境に育ったから、魅力的な肉体の遺伝子を受け継がなかったから……自分はこんなにだめ人間なのだ、ときみは言う。だが、とにかく人間のことは皆目わからないということを思い起こしてほしい。

その中で、きみは自分の本質をそう決定し、それが人生を規定すると解釈したのだから、その責任はきみにある。自分の「だめさ」を固定してそれを親や状況のせいにしたのはきみである。その意味で、きみは自分を「だめ人間」として選んだのだ。だから、きみは未来永劫(えいごう)にわたって「だめ人間」になるであろう。

だが、何が一人の人間の行為やあり方を決定するかは、じつのところまったくわからない。だから、どんな人でもどんな瞬間でも、「いままで」を完全に断ち切って新しいことを選べるのだ。

〜中略〜

 きみがどんなに過酷な境遇にあろうと、なるべくそれを他人のせいにしないで「私(ぼく)が選んだのだ」と自分に言い聞かせる姿勢を付け加えておきたい。この要件をそなえていれば、きみは特別偉くならないかもしれないし、金持ちにならないかもしれないけれど、強く柔軟で深みのある大人、すなわち「よい大人」になるように思う。

(『非社交的社交性 大人になるということ』より)


 私は、若い頃「危険」と「安全」だったら、「危険」のほうを選ぶようにしました。「危険な状態にある」「犠牲をはらう」ことでないと、強さは身につかないようにも思います。

 あるいは、人が評価してくれないような職業に就くのも良いでしょう。ずっと切手を黙々と貼るだけの仕事とか。誰も評価しないことをやるってすごく大事なことですよ。「仕事」……特にお金をもらう仕事ってだいたいつまんないものですが、もともとつまんない仕事に生き甲斐を見出そうとするのは無理ですよ。逆に、どのようにして、そのつまんない仕事に向き合うかを「自分」で考えると、強さが身につくように思います。

 コロナ禍という状況の中で、「死ぬこと」「残酷さ」「不平等さ」「理不尽さ」が見えてきたけど、私はそのほうが生き甲斐を感じられます。「明日死ぬかもしれない」と思うほうが生きられる、強さを身につけやすいということです。

<取材・文/松田義人(deco)>

【松田義人(deco)】
音楽事務所、出版社勤務などを経て2001年よりフリーランス。2003年に編集プロダクション・decoを設立。出版物(雑誌・書籍)、WEBメディアなど多くの媒体の編集・執筆にたずさわる。エンタメ、音楽、カルチャー、 乗り物、飲食、料理、企業・商品の変遷、台湾などに詳しい。台湾に関する著書に『パワースポット・オブ・台湾』(玄光社)、 『台北以外の台湾ガイド』(亜紀書房)、『台湾迷路案内』(オークラ出版)などがある

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