渋沢栄一がこだわった「論語」は『論語』にあらず!? 銀行経営の指針に「論語」を持ち出した背景

──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ

 『青天を衝け』、先週放送の第32回「栄一、銀行を作る」から「実業<算盤>編」がスタートしました。また、「ラスボス(最後の大敵)」との呼び声もネットで高い、岩崎弥太郎(中村芝翫さん)が登場しました。芝翫さんは歌舞伎役者でもいらっしゃいますが、そのコテコテ演技の悪役っぷりに、多くの歌舞伎役者を起用したことでも話題になった『半沢直樹』をはじめとするTBS日曜劇場枠のドラマを思い出した読者も多かったでしょう。

 岩崎弥太郎は今後さらなる活躍をドラマ内で見せてくれるでしょうから、その時に取り上げるとして、今回は「実業<算盤>編」というタイトルが意味するところについてお話してみようと思います。

 渋沢栄一が大蔵省を辞め、民間の銀行家として働き始めた姿が前回描かれましたが、史実では“黙って仕事していれば大臣の職を得られたかもしれないのに、どうして大蔵省を辞めたのだ”という批判が渋沢のもとに多く集まり、“国の仕事を捨てて、金儲けに走った結果では”と悪意のある噂まで立ったそうです。また、渋沢は銀行で働くことになったのですが、この欧米諸国から輸入した“銀行という事業の大切さ”について、明治初期の日本人に理解してもらうためにはさまざまな創意工夫が必要でした。

 こうして渋沢が持ち出したのが、あるいは持ち出さざるをえなくなったのが「論語」だったようです。ここの解釈ポイントとしては、作品名としての『論語』ではなく、概念としての「論語」であることが重要です。

 銀行家への転職を友人たちから反対されたときの渋沢の反論は、次のようなものでした。

「士農工商という階級思想の名残りで、政府の役人たることは光栄に感じるが、商工業者たることは恥辱に思う。この誤った考えを一掃することが急務です。(略)私は商工業に関する経験はありませんが“論語”一巻を処世の指針として、これによって商工業の発達を謀ってゆこうと思います」(渋沢秀雄『父 渋沢栄一』実業之日本社)

 この渋沢発言を筆者なりにまとめると、「役人に比べて商人は“卑しい”とする常識が日本にあったが、現在の世界の常識に照らせば、これは間違った考え方だ」。そして「いにしえより日本人のモラルある行動を支えてきた“論語”を精神的な支柱にして、私はビジネスを行いたい」。つまり、「モラルなき金儲けをするつもりはないし、金儲けしたいから政府を辞めたわけでもない。ビジネスを通じて、日本という国を健全に発達させたいのだ」という所信表明を彼は行ったのです。そして、渋沢の友人たちはこれで納得してくれたようですね。しかし、『論語』の中に利益を意味する「利」の単語はほとんど出てきません。これでよく納得してくれたものだなぁと思ってしまう筆者でした。

 渋沢と縁の深い、中国哲学研究者の服部宇之吉も『青淵先生(せいえん=渋沢栄一)と論語』という論文の中でこう言っています。

「論語に『子罕(まれ)ニ利ヲ言フ』とあるほどで、利に関することは極めて少い、孔夫子は殆ど利といふことを言はれなかつたのである」

 ちなみに服部の「子罕ニ……」の引用は意図的に省略されたもので、「子罕言利與命與仁(=子、罕に利と命と仁とを言ふ)」という文言が『論語』内の表現であり、「孔子先生は、利益、天命、仁義とは何かについてめったに語らなかった」と訳すべき部分です。

 実際には「仁」や「命」について孔子は『論語』の中で大いに語っているので、この文言は矛盾していますが、実は孔子本人が『論語』を著したわけではなく、孔子の直弟子の、さらに何世代か後の弟子たちがまとめたのが『論語』という書物ですから、この手の矛盾が出るのはよくあることです。服部はそのことを踏まえて、「仁」と「命」はあえて省いたのかもしれませんね。

 しかし、利益について孔子が語る機会は本当にほぼないので、そんな『論語』を銀行経営の指針にする!という渋沢の宣言は、本来ならば突飛なことなわけです。それでも、当時の人たちだけでなく、現代人の我々も何となく納得できるのは、渋沢が使う“論語”という言葉が、“道徳の基本”を指していると体感的に理解しうるからでしょう。

 『論語』が、すべての学問の基本だった時代も長くありました。江戸時代には、武士階級以外の者も、寺子屋で『論語』など中国の古典を暗誦することで学問を始めました。

 渋沢は、5歳のときから、父・市郎右衛門から初等教育を受け始め、7歳から従兄の尾高新五郎(=のちの惇忠)によって『論語』などいわゆる「四書五経」の手ほどきを受けています。当時、多くの寺子屋などでは、文言の解釈は教えず、ただひたすらに暗記させるだけという教育方針が取られていたのに対し、ドラマの中では「あにぃ」と呼ばれている尾高(田辺誠一さん)は、幼い生徒にも意味を説いて聞かせ、興味を巧みに引き出したそうです。渋沢が語る“論語”は、尾高先生から幼い日に教わったさまざまなテキストの総称として考えるべきものだといえるのです。

 これは渋沢の講演録『論語と算盤』の冒頭に引用された「格言五則」からもうかがえます。いきなり「志意修、則騎富貴」の文言で始まるのですが、これは『論語』ではなく、『荀子』からの引用なんですね。この「志意修(おさ)まれば、則ち富貴を騎(あなど)り……」という文言は、「志がきちんとしておれば、富や地位など問題でない」と説いています。

 「格言五則」には、渋沢の記憶が曖昧で、引用を間違えている部分さえ見られますが、これは逆に、渋沢が『論語』など初等教育で学んだテキストを本当に暗誦し、血肉化していた証拠ともいえるでしょう。渋沢だけでなく、当時のひとかどの人物はみんなそうだったのかもしれません。

 それゆえ、銀行を開業したばかりの渋沢が『論語』を持ち出したのは、「銀行」という仕事はエリートにしか理解できない高尚なビジネスではなく、我々が人生の最初に学んできた『論語』のように基本的なものなんだよ!と主張する意味もあったのでしょう。

 実際、渋沢が明治6年(1873年)に銀行事業に協力してくれる株主を募集したときの広告には、キャッチコピーとして、“論語風”の文言が意識して使われています。

「夫(そ)れ銀行は猶(な)ほ洪河の如し(=銀行は大河のようなものだ)」

  今日のビジネスの現場では、この手のわかりづらいキャッチコピーは採用されないでしょうが、「金儲けは卑しくはない、徳の高さを示す行いにもなりうる」「銀行事業というビジネスにあなたも参加して、あなたの進取の気性と高徳さを世間にアピールしてみては……」というウラの意味が感じられます。

 渋沢のアイデアマンぶりには驚かされるものがありますが、そんな渋沢によって一気に持ち上げられたことで、『論語』は現代日本でもビジネスエリート必読の書のひとつに数えられるまでになりました。

 その一方、『論語』や、そこに描かれた孔子という人物の実像について、我々はどう評価したらよいのでしょうか。驚くかもしれませんが、史実の孔子は、『論語』の記述にあるような、大国の宰相を任される生粋のエリートなどではなく、ただの政治好きの「冠婚葬祭アドバイザー」でしかなかったようです。『論語』では弟子の数が3000人いたなどとされていますが、『論語』より成立年代が古い『孟子』では70人しかいなかったとあります。おそらく、70人でも“盛られた”数字ではないでしょうか。

 民間の自称「冠婚葬祭アドバイザー」の孔子が、50代のときに何らかのコネを得て、魯という小国の役人(=冠婚葬祭のマナー監修者)になれたのが、彼の初就職だったともいいます。そして就職後も、いろいろと問題があったようです。貧しい生まれの孔子は、専門的に礼法を勉強できたわけではないので知識が足りず、同僚どころか目下の人にも職務上の質問をせざるをえなくなりました。それが『論語』にいう「下問を恥じず」の実情だったという話も……(浅野裕一『孔子神話―宗教としての儒教の形成』岩波書店)。

 神格化された孔子のメッキを剥がすような発言ばかりで申し訳ないですが、『論語』に「利」について語った部分がない理由は、商業を軽蔑していたからではなく、史実の孔子の人生には儲かったという経験が足りなかったので、「利」について語ることなどほとんどなかったから、というのが実情なのかもしれません。

 そんな孔子本人は、渋沢栄一という人物が『論語』とビジネスを結びつけ、自身のキャッチコピーのように語っていたことを知ったら、彼をどう評価するものだろうか、知りたくもある筆者でした。

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  • 10/31 11:00
  • サイゾー

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