<純烈物語>2年3か月追い続け、紡いだアルバムとは違うクロニクル<最終回>

―[ノンフィクション連載「白と黒とハッピー ~純烈物語」]―

◆<第120回/最終回>アルバムとは違ったクロニクル。2年3ヵ月間に及ぶ純烈物語

 2年3ヵ月に渡り連載した「白と黒とハッピー~純烈物語」は、今回分を持って終了となります。まずは、ウェブ記事としては異例の長文によるノンフィクションを毎週根気よく読み続けていただいた皆様に、感謝申し上げます。

 スマホをスクロールしてテキストを追うだけでも大変だったと思われます。連載開始当初、担当編集者さんに「ウェブの記事はもっと短くていいんですよ」と助言されながら一発目で3500文字ほど書いて、そこから減らすと読者の方々に損した気分を与えてしまうと思い、120回分を同じペースで出力することとなりました。

 何より純烈とその周辺を追い、掘り下げると鉱脈のようにどんどん伝えたいことがあふれ出てくる。そぎ落とす部分はほとんどなく“獲って出し”の感覚で書きまくった結果、あのような文字量となったというのが本当のところです。

 それほど純烈というグループは、物語に満ちていました。当初は紅白歌合戦初出場を果たした直後にスキャンダルへ見舞われ、天国から地獄へと突き落とされたにもかかわらず終わらなかった裏に、どんな原動力があったのかを探求するのが目的でした。

 そのためにはリーダー・酒井一圭さんの中にある戦略を聞く必要があったし、それを醸成するための経験……つまりは純烈結成時からの足跡も改めて検証しなければなりませんでした。プロレスを本籍とするライターにとって、演歌・ムード歌謡はまったくの畑違い。音楽は聴いていても、自分が好きなテクノやロックとは土壌も違います。

◆調べて調べてまた調べて……

 リーダーの話を聞き、音声を起こすたび門外漢のジャンルに関する細かい部分での事実関係を確認することで、新たなる知識を身につけていきました。得意分野だけにとどまっていたら、こうはならなかったと思われます。

 子どもの頃に『秘密戦隊ゴレンジャー』を見たり『怪傑ズバット』の「日本じゃあ二番目だな」にハマったりしていても、自分が大人になってからの戦隊ヒーローに関しては何一つ知りませんでした。それでも『スーパー戦闘 純烈ジャー』について書くかぎりは、そこも押さえなければなりません。

 調べて調べて、また調べる。それでも間違ったり認識の違いが出たりしてしまう。そのつど関係者や読者の皆様にご指摘いただき、痛みを味わうことによって頭ではなく体で憶えていきました。

◆「ムード歌謡というジャンルにとどまらず幅広いエンターテインメントで表現していくグループになっていく」

「これからの純烈は、ムード歌謡というジャンルにとどまらず幅広いエンターテインメントで表現していくグループになっていきますよ。だから、そちらの方面の勉強もしておいた方がいいです」

 純烈ジャーの製作発表がされるよりも前の段階で、一圭さんの盟友であるスーパー・ササダンゴ・マシン選手からそのようなアドバイスをもらいました。事実、4人は歌にとどまらずテレビドラマ、舞台、そして映画と着実に表現の幅を広げています。

 それと同時に、作品を生み出す裏には必ず物語が詰まっている。そこはこちらから自発的に食いつかなければ表に出てこない部分です。

 ステージ上の4人も魅力的ですが、私にはその食いつかなければ見えないドラマがキラキラと輝いて映りました。だからこの2年3ヵ月間、夢中で追えたのだと思います。

◆2019年「2度めの紅白」で完結するはずだった

 本来ならば、純烈のアテテュードを掘り起こし、スキャンダルを乗り越えて2度目の紅白出場を果たしたところまでを追えば、この物語は完結を迎えたはずでした。ところが2020年に入り、コロナという想定外の大波が押し寄せます。

 連載どころか純烈そのものが存続の危機を迎える中、それでも前進を停めずにファンとつながろうとする4人のドキュメントを追う必然性が出てきたのです。

 またライブ活動ができない間は、純烈周辺の人々を取材できたのも大きかった。レコード会社・日本クラウンのアーティスト担当・新宮崇志さん、山本浩光マネジャー、純烈の“紅白曲”を次々と生み出す・幸耕平先生、焼肉八起のおかみさん・唐澤時子さん……それぞれの立場から見える純烈の実像はとても興味深く、時間が経つのも忘れ話を聞かせていただきました。

 対照的に、過密スケジュールの合間を縫って時間帯を問わず(早朝取材もあった)話していただいたメンバーには、限られた中で濃密な物語を語っていただきました。プロレス時代からの知り合いだったリーダーを除く3人とすれば、いきなり現れたどこの馬の骨ともわからぬライターに対し身構える部分があってもおかしくはありません。

「白も黒も含めて純烈さんの物語を長期的に追い、ファンの皆さんに伝えたいと思います」

 連載第1回に出てくる2019年5月25日の東京お台場 大江戸温泉物語ライブ。控室で挨拶したさい、私はメンバーにそう言いました。もちろん、これだけでこちらの意図が100%伝わったとは思えなかったのですが、その後のインタビューでははじめからスムーズに進みました。

◆いつも会話を楽しんでいた小田井

 そうしていくうちに、取材時以外の現場でも会話をするようになっていきます。誰よりも純烈以外の話題を振ってくるのが小田井さん。映画撮影時にも周りのスタッフとコミュニケーションを取りまくっていたように、気遣いだけでなく会話を楽しもうという姿勢が伝わってくる方です。

 最年長者が一番はしゃぐことでエンターテインメントとなり、一方では全体を視野に入れて判断する。この両刀使いがカッコよく思えました。

 話を聞くさい、私は自分からLiLiCoさんのことを振らないというルールを律していました。それは、小田井さんを利用して夫婦のプライバシーをほじくり出すのがヨシと思えなかったからです。

 それでも小田井さんは、夫婦としてのスタンスやエピソードを率先して語ってくださいました。そして現在、首の負傷で4年以上にも及ぶ欠場を続け、リハビリと向き合っているプロレスラー・髙山善廣選手との関係を明かすとともに、エールを送っていたことをこの場を借りて伝えさせていただきます。

◆リーダーを受け継ぐ”回し”ができる後上

 後上さんからは、物事を合理的に考えることの重要性を学びました。こだわりや思い入れは人間にとって必要なものであり、それが力となり得ても、すべてのシチュエーションがそうとは限りません。

 大学を中退し、純烈に“就職”した後上さんは、少年期から培ってきた「期待に応える術」を自分にしかない武器として、やるべきことを積み重ねてきた方です。ステージ上では末っ子としていじられキャラを務めていますが、私はそんな後上さんに強さを感じ取りました。

 最近、ステージにおけるMCコーナーを見るにつけ、リーダーが言っていた「あいつが僕の証言録、行動記録を持っているんです」の言葉が脳裏で旋回していました。酒井一圭の帝王学を確実に受け継いでいると思われる“回し”こそが、グルーヴ感を生み出す要になっているのだと。

 純烈ジャーのストーリー同様、純烈そのものが後上さんの成長物語でもあるのだと思います。そして白川さんは、スターとしてのたたずまいをカジュアルにまとえる方と表すればいいでしょうか。

◆プロフェッショナルでありスター・白川との”ドライブ”

 華をまとっていても、それが他者にとっての敷居とはならず惹き込む力として放たれている。歌に対し真摯であり、もっともプロフェッショナルの姿勢を感じたのも白川さんでした。

 当連載書籍化第1弾『白と黒とハッピー~純烈物語』発刊記念イベントで「普段の取材では言ったことの7、8割がカットされてしまう。でもこの本は全部、僕の言った言葉で書かれていました。自分たちの言葉を大切にしてくれている一冊です」とコメントをいただいた時は、書き手冥利に尽きると心から思えました。本当に嬉しかったです。

 今年8月26日の『純烈ジャー』完成披露舞台挨拶の日は、昼から純烈に密着していました。東映ビデオ株式会社における複数の取材を終えたあと、メンバーは車で会場の新宿・バルト9に向かいます。

 そのさい、私も“純烈号”に同乗させていただけることになったのですが、白川さんのみ自分で運転しあとから続くと聞き、それならばはぐれた場合を想定し、会場周辺の土地勘がある私がつきますと助手席に乗り込みました。

 こちらからの提案を快く受け入れていただき東銀座から新宿まで、白川さんの運転で20分ほどのドライブ。身に余るシチュエーションであるのを承知の上で、ほぼほぼ初めて交わした他愛もない会話(プロレスの話がほとんど)は、かつてリーダーと小田井さんが出演した『極上空間』のようでした。

 長いスパンによる取材だからこそ感じられたお三方の人となりと姿勢。これも私にとっての財産となりました。

◆「毎週書いてくれるから、アルバムを出す必要がない」

 酒井一圭さん――まさか、このような関係性を築けるようになるとはマッスル時代にはお互い想像もしていなかったと思われます。当連載のプロフィルに「酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆」と記されていますが、ずっと一蓮托生で来たわけではなく、むしろ遠いところからその活躍ぶりを傍観している距離感でした。

 そんな自分が2019年2月16日、復活したマッスルの両国国技館公演で一圭さんと再会したことから、この物語を掘り下げたいと思いFacebookのメッセージを通じ4年2ヵ月ぶりにコンタクトをとった。それが、すべての始まりです。

 いかにも純烈が紅白へ出て、よくなったタイミングですり寄ってきた人間でありながら、こちらの提案を受け入れたのはなぜだったのか。それは今も一圭さんに確認していません。

 ただある時、こんなことを言われました。取材の中で「純烈はアルバムを出さないのですか?」と聞いたところ、まったく意表を突いた答えが返ってきました。

「うん、今は出す必要がないと思っている。だって、健さんがこうして毎週書いてくれているから」

 勝手な解釈をさせていただくと、リーダーが思うところのアルバムとは音と歌で物語を描くクロニクルなのだと。それを今はテキストとして伝えているから……こうなるのでしょうか。

 それを聞いた時、初めて純烈プロデューサー・酒井一圭にとってこの連載がどんな位置づけにあるのかを自分なりにつかんだのです。

 書籍化第2弾『純烈物語20-21』のまえがきには「やめどころを失った」などと書きましたが、プロレスに次ぐライフワークと出逢えたというのが本心でした。書いても書いても、伝えても伝えてもなお湧き出る次なるドラマを、ずっと追い続ける。そして文献として残す。

 その姿勢は当連載を終える今も、そしてこれからも持ち続けるのでしょう。これほど伝えてきながら、まだ着手していないテーマもいくつかあります。

◆『見上げてごらん夜の星を』で感じたこと

 2020年11月5日、コロナの影響で有観客ライブができぬ中、たった1人のファンを招いて開催したLINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)公演。配信で視聴するファンからツイッターを通じた応援メッセージを送られ、それが映し出されたスクリーンを見上げながら4人が歌った『見上げてごらん夜の星を』は、純烈を追い続けてきた中でもっとも心が揺さぶられた思い出として強く、深く、そして尊く刻み込まれています。

 あんなシーンを目の当たりにしたら、もうこのグループからは離れられないし、また自分の手で伝えたいと思うしかなくなっちゃうよね――。

 純烈を書き続けることで、明治座公演のプログラムに寄稿させていただき、純烈ジャーではオフィシャルライターとしてメンバー4人と佛田洋監督にインタビュー。いずれも、プロレスを本籍とするライターであることを意識して向き合いました。

 なぜなら「プロレスマスコミなんてほかのジャンルじゃ通用しない」ということを、嫌というほど言われてきたからです。内容的に見合うものとなったか否かは読んだ方が決めるものだとしても、純烈によってその場を得られたのは揺るがぬ事実。

◆リーダー酒井が言う「純烈とかかわる人たちとは、ウィン・ウィンでありたい」の真意

「純烈とかかわる人たちとは、ウィン・ウィンでありたい」

 常々、リーダーが言っていることです。自分たちだけが利を得るのではなく、相手が求めるものに応えてこそ純烈なのだという信念。だから、何があっても純烈を理解する者たちは離れないのでしょう。

 最後に。マッスル両国公演の日は一般マスコミも取材に訪れており、フジテレビ『直撃LIVEグッディ!』にコメントを求められました。そこで一番世の中に知ってほしいこととして言ったのが、以下の思いです。

「いい時は黙っていても人が寄ってくる。ネガティブなことがあっても、それでも去らずに助けてくれる仲間がどれほどいるか。その人が誇れる真の価値とは、そこにあるのだと思う」

 番組は見られなかったので、この部分が使われたかどうかはわかりませんでした。ならば、違う形でより多くの人々に伝えられたら……それが、鈴木健.txtの描く純烈物語の源流――登場人物は白川裕二郎、小田井涼平、後上翔太、そして、酒井一圭!

(終わり)

―[ノンフィクション連載「白と黒とハッピー ~純烈物語」]―

【鈴木健.txt】

(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxt、facebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

2021/10/30 8:51

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