ギャスパー・ノエ監督が衝撃作誕生について語る 「人生はほんの一瞬の出来事で逆転してしまう」

 映画史上もっとも悲惨かつ衝撃的な作品として、公開当時に大変な話題を呼んだのがフランス映画界の鬼才ギャスパー・ノエ監督が撮った『アレックス』(2002年)だ。主演に“イタリアの至宝”こと美人女優モニカ・ベルッチ、フランスの人気俳優ヴァンサン・カッセルを起用。恋人のアレックス(モニカ)をレイプされた男・マルキュス(ヴァンサン)は怒り狂い、レイプ犯の顔を知らないまま夜の街を彷徨し、さらに悲劇的な結果を招いてしまう。そんな暴力まみれの映画を現在から過去へと時間軸を逆回転してみせ、映画のラストは主人公が幸せの絶頂にいるピースフルなカットで終わるという倒錯的なドラマだった。

 2002年のカンヌ国際映画祭では、路上でのレイプシーンなどの暴力描写の激しさに途中退席者が続出したという逸話も残している。そんな問題作『アレックス』が、ギャスパー・ノエ監督自身の手によって新しく生まれ変わった『アレックス STRAIGHT CUT』として劇場公開される。不幸な人生を逆回転してみせたトリッキーな物語を、時間の経過順に構成し直したものだ。シンプルで分かりやすくなった分、主人公たちの心情をより深く理解することができる。ギャスパー・ノエ監督作を未見の人も、すでに『アレックス』を観た人も、新鮮な驚きを覚えるに違いない。

 映画史に残る問題作『アレックス』はどのようにして生まれたのか、また新バージョンを思いついた経緯について、ギャスパー・ノエ監督がフランス・パリの自宅から語ってくれた。

 

――ギャスパー・ノエ監督の作品はトリッキーさやスキャンダラスさが印象に残りがちですが、『アレックス STRAIGHT CUT』を観ると、物語がシンプルになった分、監督の演出の力強さを感じることができました。

ギャスパー ありがとう。お世辞でも、そう言ってもらえると嬉しいよ(笑)。ところでキノシタ監督の映画は観てるかい?

――木下恵介監督でしょうか? 『カルメン故郷に帰る』(1951年)や『二十四の瞳』(54年)などで知られる大監督ですね。

ギャスパー そう、木下恵介監督。コロナ禍で外出できなかったこともあって、今年はずっと自宅でいろんな映画を観ていたんだ。それで木下恵介の映画を初めて観るようになったんだけど、すごくインパクトがあった。僕の演出を褒めてくれたので、木下恵介監督のことがふと思い浮かんだんだ。彼は黒澤明や溝口健二と同じくらい、すごい監督だよ。でも残念なことに、海外ではほとんど知られていない。

――日本のホームドラマの礎も築いた木下恵介監督ですが、国内でも最近は忘れられつつあります。

ギャスパー 木下恵介監督の作品はどれもアイデアが素晴らしく、とてもコンセプチュアルなんだ。僕みたいに時間軸を逆回転させるような作品も考えていたんじゃないかな。フランスには僕みたいなアバンギャルドな監督はたくさんいるけど、僕から見ても木下恵介は突出した監督だと感じるよ。

 もともとギャスパー・ノエ監督は、日仏合作映画として製作された大島渚監督の『愛のコリーダ』(76年)に触発され、当時夫婦だったヴァンサン・カッセルとモニカ・ベルッチに共演作を持ち掛けたことが知られている。現在では時間軸を変えて見せる手法は広く使われるようになったが、『アレックス』は韓国映画『ペパーミント・キャンディー』(99年)と並ぶ、先駆的な作品となった。逆回転映画『アレックス』が誕生した経緯をこのように語ってくれた。

ギャスパー カッセルとモニカは結婚していて、2人の共演作を僕が撮ることだけ決まっていたんだ。用意したのは5ページ程度のシナリオだけ。最初は『LOVE』というタイトルで考えていたんだけど、カッセルが「このストーリーはあまりにエロチックすぎる。夫婦で演じると、夫婦の実生活にも支障が生じかねない」と反対したんだ。それで『デンジャー』という仮題の、別のストーリーを撮ることにした。そこで生まれたのが、レイプと復讐の物語『アレックス』なんだ。時間軸を巻き戻すというアイデアは、以前からやってみたかったもので、『アレックス』で試してみたわけさ。撮影はもちろん時系列順に撮って、編集で入れ替えたわけだけどね。

――時間軸を変えることで、その人の人生がまったく別に見えてくるというアイデアが秀逸でした。

ギャスパー 確かに時間軸を変えることで、違った印象を与えるよね。オリジナル版だとアレックスは温かい光に包まれるシーンで終わるので、不幸のどん底で終わる今回の『アレックス STRAIGHT CUT』とはまったく異なる作品になったと思う。特に変わったのは、恋人アレックスをレイプされてしまうマルキュスの存在。オリジナル版だと恋人のために復讐する一種のヒーローのようにも感じられたけど、新バージョンのごく当たり前の時間の流れの中ではマルキュスはもうすぐ父親になるにもかかわらず、ドラッグにも手を出し、後先のことを考えないクレイジーな男となっている。キャラクターがまったく別物になっているのが、『アレックス』新旧バージョンを比べて観る面白さだろうね。

――『アレックス STRAIGHT CUT』は劇場公開する予定はなかったそうですね。

ギャスパー 2年前に『アレックス』のデジタル版を出そうと持ち掛けられたことが、新バージョンのきっかけだったんだ。中編映画『ルクス・エテルナ 永遠の光』(19年)の編集作業をしていた際に、『アレックス』デジタル版の特典映像として時間軸を普通にしたものを収録したら面白いんじゃないかと思いついたんだ。ちょうど、『アレックス』の素材もあり、編集スタジオにいたので、『アレックス STRAIGHT CUT』を編集してみたら、僕が想像していた以上に面白かった。それでベネチア国際映画祭にも出品することになったんだ。時間軸を戻すことで、いろんな発見ができたよ。オリジナル版だとアレックスは主人公には見えなかったけど、新バージョンでは主人公のように存在感を増している。『アレックス』の原題『Irréversible』は「不可逆」という意味のフランス語なんだけど、邦題の『アレックス』はいいタイトルだったわけだね。

――オリジナル版の公開時は賛否両論を呼んだわけですが、当時の観客の反応を覚えているますか?

ギャスパー 上映途中で退席する人が多かったことかな。途中で退席した人は、きっと心が弱いんだと思うよ。心が強い人は残って、映画を最後まで観てくれた。僕が思うに、映画はマジックみたいなものなんだ。例えば、マジックショーで美女の胴体がまっぷたつに切断されたりするよね。「うわー!」と思わず叫びそうになるけど、映画はあれと同じなんだ。映画の中には暴力描写もあるけど、それは現実のものではなく、あくまでもシミュレーションにしか過ぎない。映画を観ている人は、そのことを分かった上で楽しんでいるわけだよ。言ってみれば、映画監督はマジシャンみたいなもの。美女がまっぷたつにされるのに驚いて、逃げ出すお客さんがいると、監督である僕も、演じている俳優もうれしくて仕方がないんだよ(笑)。

 ギャスパー・ノエ監督は1963年にアルゼンチンの首都ブエノスアイレスで生まれ、1976年にフランスに移住している。両親のもとで幸せな少年時代を過ごしたが、マドンナ主演映画『エビータ』(97年)でも描かれたファン・ペロン大統領による軍事政権に両親は睨まれていたという逸話がある。自身の体験が作風にどんな影響を与えたのかも尋ねてみた。

――アルゼンチンの軍事政権によって、ギャスパー・ノエ監督の両親は収容所送りになったという記事を読んだことがあります。幸せな家庭がある日いきなり破壊されてしまうのは、大変な恐怖だったのではないでしょうか?

ギャスパー その話は事実とはちょっと違うんだ。僕の父親はアルゼンチンで左翼運動に関わっていたので、軍事政権に睨まれていたのは事実なんだ。でも、収容所に送られる前に家族でアルゼンチンを離れ、フランスに渡ったというのが真相なんだ。とはいえ、両親の友人や知り合いの中には、処刑されてしまった人たちもいる。まぁ、政治的な問題に限らず、ほんの一瞬の出来事によって人生は逆転してしまうことは多いんじゃないかな。アルゼンチン時代だけでなく、僕は死にそうになったことが何度もあるんだ。最近だと1年半前に僕は脳出血で倒れて、周りからは死ぬかもしれないと思われていたしね。でも、お陰さまでこうして元気に生きている(笑)。人生には予測しないことが突然起きるし、それは恐ろしくもあり、面白くもある。いろんなドラマが起きるから、人生は楽しいんじゃないかな。

――『アレックス』のオリジナル版の公開から20年近くが経ちました。この20年間で、世界はどう変わったと感じていますか?

ギャスパー 20年前の世界が平和だったかというとそうでもないわけだけど、この20年間も各地でずっと戦争や紛争が起き、人間は殺し合いを続けているよね。環境問題は20年前より、さらに悪化している。みんな将来に対して悲観的な見方をするようになってきて、20年前には自由にできていたことも難しくなってきているように感じる。その一方、20年前にはまだ一般的ではなかったSNSが普及した。取り巻く環境が悪化するのと相反するように、享楽的なものを一般の人たちはより求めるようになってきているんじゃないかな。それと、『アレックス』を見直していて思い出したんだけど、当時のモニカとカッセルの2人は本当に相思相愛の関係で、劇中の彼らが愛し合う姿を観ていて、僕までセンチメンタルな気分になったよ。あんなに深く愛し合っていた2人が別れることになるなんて、想像もしなかったからね。

――まさに『アレックス』で掲げられる言葉「時はすべてを破壊する」ですね。

ギャスパー いやいや。確かに時間はすべてを破壊するけれど、創造もするものだよ。モニカとカッセルは別れることになったけど、『アレックス』を撮った後に2人の間には、女の子が2人生まれているんだ(笑)。

――「時はすべてを破壊するが、創造もする」。20年の歳月の重みを感じさせる言葉です。ギャスパー・ノエ監督は『アレックス』の後も、幽体離脱&輪廻天性を題材にした『エンター・ザ・ボイド』(09年)、射精シーンを3D撮影した『LOVE【3D】』(15年)などの過激作を発表し続けています。今後も問題作を撮り続けるのでしょうか?

ギャスパー これから僕の中からどんな作品が生み出されるのかは、僕自身も分からないな(笑)。3か月前に完成したばかりの映画『VORTEX』は、老境のカップルを描いたもので、僕の作品としては珍しくドラッグシーンもないし、R指定にもならない作品になったんだ。主人公の映画批評家を、イタリアの映画監督ダリオ・アルジェントに演じてもらったよ。

――ギャスパー・ノエ監督作品でR指定なしの映画?  想像がつきません(笑)。

ギャスパー 年齢制限が付かないので、僕がこれまでに撮った作品の中ではいちばん幅広い人が鑑賞できる作品になっているよ。暴力シーンはないけれど、とても悲しい物語になっているので、悲しさが暴力的な映画になっているかもしれないね。

――最後になりましたが、ギャスパー・ノエ監督がいちばんお好きな木下恵介作品を教えてください。

ギャスパー 僕がいちばん好きなのは『楢山節考』(58年)。『楢山節考』の木下監督は最高だよ!!

 

ギャスパー・ノエ

1963年アルゼンチン生まれ。オリジナル版『アレックス』(02年)の冒頭に登場する肉屋の主人を主人公にした『カルネ』(91年)、その続編『カノン』(98年)が話題となる。2002年のカンヌ国際映画祭で正式上映された『アレックス』が大反響を呼び、世界的に知られる存在に。その後も日本でロケ撮影した『エンター・ザ・ボイド』(09年)、主人公たちが赤裸々に愛し合う姿を3D撮影した『LOVE【3D】』(15年)、LSDを誤って飲んでしまったダンサーたちが酒池肉林状態になる『CLIMAX クライマックス』(18年)など波紋を呼ぶ作品を撮り続けている。

『アレックス STRAIGHT CUT』

監督・脚本・撮影・編集/ギャスパー・ノエ 音楽/トーマ・バンガルテル

出演/モニカ・ベルッチ、ヴァンサン・カッセル、ジョー・ブレスティア、アルベール・デュポンテル、フィリップ・ナオン

配給/太秦 10月29日(金)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開

※オリジナル版『アレックス』も同時公開

© 2020 / STUDIOCANAL – Les Cinémas de la Zone – 120 Films. All rights reserved.

https://alex-straight.jp

2021/10/26 20:00

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