マンチェスター・Uも決断間近? 10月末のプレミアリーグ監督交代劇を振り返る

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 24日に行われたプレミアリーグ第9節でマンチェスター・Uが本拠地『オールド・トラッフォード』でリヴァプールに0-5の大敗を喫した。2018年12月から同クラブを率いるオーレ・グンナー・スールシャール監督は解任の危機に瀕しており、アントニオ・コンテ氏やジネディーヌ・ジダン氏といった後任候補の名前も報じられている。

 プレミアリーグのクラブが、シーズン開始から10試合前後を戦った10月末に、監督交代という大きな決断を下した例は過去にも存在。年内最後の11月のインターナショナルブレイクを前に新体制を築き、年末年始の過密日程で巻き返しを図りながら、1月の移籍市場で可能な限り新監督が望む補強を行いたいという算段もあるのかもしれない。

 そこで今回は、過去のプレミアリーグにおける、10月最終週の監督交代劇を振り返る。

[写真]=Getty Images

レイ・ハーフォード



 プレミアリーグ初制覇から2シーズン後、開幕10試合を終えて最下位に沈んでいたブラックバーンは監督解任を決意。最終的に13位まで盛り返して残留を果たした。

 レイ・ハーフォードは1991年夏にケニー・ダルグリッシュが率いるブラックバーンのアシスタントに就任し、同クラブの監督に昇格したのは1995年の夏。アラン・シアラー擁する同クラブが、プレミアリーグ初制覇を成し遂げた直後のことだった。1年目は7位で終えたハーフォードだったが、翌シーズンは開幕から10戦未勝利。最下位の状態でチームを暫定監督のトニー・パークスに託すことになった。

 ブラックバーンを去った後のハーフォードはウェスト・ブロムウィッチ(WBA)とQPRを率いるもいずれも短期政権で終了。肺がんの闘病の末、2003年8月に58歳の若さで他界している。

ギャリー・メグソン(WBA)



 元日本代表MF稲本潤一を獲得した2004-05シーズンのWBAは、開幕10試合を戦い終えた段階で、ギャリー・メグソンに1度目の別れを告げた。

 メグソンがWBAの監督に就任したのは、クラブがディビジョン1(当時イングランド2部)に所属していた2000年3月のこと。翌シーズンには同リーグで2位になりプレミアリーグに昇格。1年での降格が決まった後も、クラブはメグソンにチームを託し、最短での再昇格に成功した。しかし2度目のプレミア挑戦となった2004-05シーズンも、開幕10試合で1勝5分け4敗と結果が出ず。最下位ブラックバーンと勝ち点2差の16位という段階でクラブはメグソンを解任。その後、同クラブのレジェンドであるブライアン・ロブソンを招へいし、17位で残留を果たしたものの、翌シーズンに降格の憂き目に遭っている。

 なおメグソンはその後、2017年7月にトニー・ピューリスのアシスタントとしてWBAに復帰。同年11月にピューリスが解任された後は2試合だけ暫定監督も務めていた。

マルティン・ヨル(トッテナム)



 2007年10月25日、トッテナムは2年連続でクラブを5位に導いたマルティン・ヨル監督を解任した。

 2004年の7月にジャック・サンティニのアシスタントとしてトッテナムに招へいされたヨル。しかしサンティニはわずか4カ月で辞任し、急きょ、後任を務めることになった。オランダのローダJCとRKCヴァールヴァイクでの手腕が高く評価されていたヨルだったが、国外で指揮を執るのはこれが初めての経験。しかし、2005-06シーズンにはトッテナムをプレミアリーグ創設後では最高位となる5位に導くと、翌シーズンも同じ順位でフィニッシュ。UEFAカップでもベスト8入りを果たすなど、高い指導力を示した。

 ギャレス・ベイル、ダレン・ベント、ユネス・カブールらを加え、さらなる飛躍を目指した2007-08シーズンのトッテナムだったが、開幕10試合でわずか1勝。クラブはヨルとの別れを決断し、その2日後にセビージャからフアンデ・ラモス監督を招へいした。しかしリーグ・カップのタイトルは獲得したものの、チームに劇的な変化は見られずに、リーグ戦ではトップハーフ入りを逃している。

フアンデ・ラモス(トッテナム)



 マルティン・ヨル解任からちょうど1年後。トッテナムは再び監督を解任し、他クラブから新監督を引き抜くという決断を下した。

 フアンデ・ラモスがセビージャの監督を辞任し、トッテナムと4年契約をかわしたことが発表されたのは、2007年10月27日のことだった。セビージャで2005-06シーズンとその翌年にUEFAカップ連覇を成し遂げ、2007年にはコパ・デル・レイのタイトルも獲得していた同監督。トッテナムにも、途中から率いた2007-08シーズンにリーグ・カップのトロフィーをもたらしていた。しかし2シーズン目は白星が遠く、リーグでは開幕から8戦連続で未勝利(2分け6敗)の最下位に低迷。UEFAカップのウディネーゼ戦に0-2で敗れた2日後、ヨルと同じ運命を辿ることになった。

ハリー・レドナップ(ポーツマス)



 13年前、トッテナムから指揮官を引き抜かれたポーツマスは、その後、転落の一途をたどることになる。

 わずか1年でフアンデ・ラモスに見切りをつけたトッテナムが次の監督に選んだのは経験豊富なハリー・レドナップであり、その犠牲となったのがポーツマスだった。ボーンマスとウェストハムで長年監督を務めた後、2002年3月にポーツマスの監督に就任したものの、首脳陣との対立で1年も経たずに退任したレドナップ。直後にライバルであるサウサンプトンの監督に就任したが、2005年12月に降格の危機にさらされていたポーツマスへと復帰した。チームを見事に立て直し、2007-08シーズンには69年ぶりとなるFAカップ優勝にチームを導き、リーグでも8位に入った。

 しかし翌シーズンの第8節終了後、レドナップはポーツマスを辞任し、翌日にトッテナムの指揮官に就任。自らがユース時代に所属し、息子ジェイミーもかつてプレーをしていたトッテナムからのオファーは断れるものではなかったと認めている。

 当時、プレミアリーグで7位だったポーツマスは最終的に14位まで沈み、翌シーズンは破産の影響もあって最下位で降格。現在はリーグ1(イングランド3部)の16位に低迷している。

ティム・シャーウッド(アストン・ヴィラ)



 結果的にアストン・ヴィラが断行したこの解任劇は、効果を発揮しなかった。

 現役時代はブラックバーンやトッテナムで活躍した元イングランド代表MFティム・シャーウッドが指導者の道に足を踏み入れたのは2008年だった。ポーツマスで監督と選手という間柄にあったレドナップが率いるトッテナムのアシスタントコーチに就任。同クラブのテクニカルコーディネーター職を経て、2013年12月にアンドレ・ヴィラス・ボアスの後任としてトッテナムの監督に抜擢された。しかし、60パーセント近い勝利を残しながらシーズン終了後に解任された。

 2度目の監督挑戦の機会が訪れたのは2015年2月。ポール・ランバートの後任として、降格圏内に沈むアストン・ヴィラを率いることに。最終的に17位でチームを残留させることに成功した。

 2015-16シーズンは開幕戦で勝利を収めたものの、続く9戦に未勝利。第10節終了後に解任を言い渡された。しかし後任のフランス人指揮官レミ・ガルドの下でも結果は好転せずに、同氏とも5カ月で別れを告げることになったアストン・ヴィラ。最下位でシーズンを終え、発足時から24年間も死守してきたプレミアリーグの舞台に別れを告げることになった。

(記事/Footmedia)

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