一番の復讐は自分が幸せになること――父への恨みを消し去っていくひとつの方法として

自分の欠点や汚点を「書く」ということ

by Dee @ Copper and Wild

緊急事態宣言、明けましたね。今思い返せば、2021年はほとんど何かしらの条例や宣言が出ていた気がする。その間にワクチンも打ったし、感染者数もどんどん減っている。もしかしたら、もうすぐ大好きな海外旅行にも行けるかもしれない……と、密かに期待している自分がいる。

コロナ禍前は毎週のように終電ギリギリまで飲み歩いていたのだが、どれだけ日常が元通りになろうと、ああいう日々を送ることはきっとないんだろうなと思っている。だって、全然飲まなくなったもんね。飲み会が激減した、ということで私の交友関係の広がりも停滞している。ほとんど既存の友達としか会わなくなったし、その関係もわずかなものである。色んな人との関係が途絶えてしまった。人間関係がさらに希薄になったんじゃないか。私の世界はどんどん縮小しているのかもしれない。そんな気すらしている。

交友関係は広がらないけれど、その分「久しぶりに飲もうよ!」みたいな誘いは増えた。一応面識はあるし、ライブハウスでは会うけどお酒を飲む機会はなかったよね、という人がわざわざ誘ってくれるのも、時間を確保してくれるのも、今のご時世だからありがたい。きっかけなんて大したことじゃないんだろうけど、人との関係が横に広がらない分、縦に掘り進んでいる。最近の私の人付き合い・人間関係と言えば、こんな感じだ。

そういえば、たいして親しくもなく、ましてやお互いの本名や職業すら知らなかったりする相手が、私の生い立ちや、まあまあ複雑な家庭環境で育ったことを知っている。結構パーソナルな、軽々しく人に話すようなことではないのに。もう何度も文章にしているし、私のSNSアカウントもほとんどの友人が知っているのだからそりゃあそうだよなとも思うが、それってかなり不思議なことじゃないか、と最近ずっと考えていた。

私が物心ついた頃から両親の仲は悪く、毎日のように暴力を振るわれて育った。親の思い通りにならなければ、何かしらの罰が下る。簡単に説明すれば、そんな感じ。、性的虐待はなかったし衣食住は確保されていたけど、「殺される!」と思ったことはあった。

今思い返せば、私が自分の生い立ちをきちんと言葉で人に伝えた機会って人生でたぶん2回くらいしかない。人は自分の思っている以上に他人に興味はないのは知っているし、改めて自分の育った家庭環境の話をするタイミングなんてない。きっと今後もそうだろう。質問をされたらそれなりに回答はするが、誰かに話したいとか理解されたいとは思わない。自分から話すことはないんじゃないかと思う。

人が私の過去を知ってどう思うのかもあまり興味がない。「ちゃんと親に愛されなかったんだな」「まともな教育受けてないんだろうな」と思って、距離を取る人もいるかもしれない。それもどうだっていい。自分の欠点・汚点とも言える部分を、いつどこで誰に見られるかわからないのにこうして文章にできるのは、私自身が自分の過去を、きちんと過去として・終わったこととして捉えられているからなんでしょうね。私にとっては、過去よりも今のほうがずっと大切だ。

自分で生活を整えていくと、思い出したくない記憶が消えていく

「一番の復讐は、自分が幸せになることだ」という決まった台詞がある。少し前まで、私はこの言葉の意味がまったく理解できなかった。家族を不幸にした父親はいつまでも憎い。のうのうと生きられている理由がわからない。家族を幸せにしなかったのに、自分は不倫相手とさっさと結婚して幸せになろうとしているのも絶対に許せない。私が父親に抱いている感情は「憎悪」とか「殺意」とか、簡単に言葉にできるようなものではなく、私がいくら幸せになろうとこの気持ちは変わらない、私が充実した生活を送っていようが父親への復讐になるはずない、そう思っていた。

引越しを機に住民票を発行した。本籍地には、生まれても育ってもいない、全く足を踏み入れたことのないところが記されてある。たぶん、この住所に父親が住んでいるのだろう。先日、ふと思い立ってその住所に当たる場所をGoogle Mapで調べてみると、一軒のマンションが出てきた。検索すれば、部屋の間取りも家賃もわかる。こんなところに住んでいるのか。全然知らないおばさんと2人で。しょうもないな。気持ち悪いな。こんな人に振り回された自分がみっともない。

そう思うと、なんだか馬鹿らしくなってくる。もう本当に私にとっては父親でもなんでもない、ただの他人なんだなと改めて思った。世間体を気にして離婚せず、周りにいい顔ばかりしていた私の父親は、今や娘の連絡先も容姿もどこで何をしているのかも知らない。道ですれ違ったとしても気づかないだろう。私たちは他人だ。家族を他人にしてしまったのは父親だ。「家族」というもっとも大切にすべきものに抱く感情が、もっとも遠いところにある気がする。一緒に過ごした思い出すらもほとんどない。その事実は、父親にとって何を思わせるのだろうか。それすら、私が知ることはないだろう。

「愛されたかった」とか「もう一度やり直せたら」ともまったく思わない。彼がどこで何をしようがどうでもいい。遺産もいらない。葬式も出ない。できるだけ何かしらの重い病気で苦しみながら、私達にしてきたことを悔やみながら、苦しんでくたばって欲しいなとは思うんだけど、それも「空を自由に飛びたいな~」「ハワイ行きてえな」くらいの願望レベルで、実際の感情は無に近い。

でもそれって、今の私がそれなりに幸せだからだと思う。広い家に引っ越せたし、仕事もやりがいがある。自分ひとりを養うだけのお金も、趣味の読書や映画鑑賞をする時間もある。たまに飲んでくれる友達も、私の馬鹿な話に付き合ってくれる友達もいる。もちろん、将来への不安がないわけじゃないけど……。華やかさはないが、その分大きな不満もない。自分で自分の生活を整えていくと、過去について思いを馳せる時間がなくなる。感情も、その分胸のうちから消え去っていく。

それなりに幸せに暮らせている今や未来を見つめ続けることで、過去を思い出したり、悔やむこともなくなるだろう。そして、私のなかから「父親」という成分は消えていく。記憶も、トラウマも、思い出したくない過去もすべて消していく。

自分で選んだもので。私は自分のしたい生活で。私は過去をすべて受け入れたうえで、何にも縛られず、生きたいように生きていく。

幸せに暮らすこと、父親と一切関係のない世界で生きていること、過去を何もかも忘れて暮らすことが、私一個人としての復讐になるのだ。

Text/あたそ

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2021/10/26 11:00

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