グレタ・トゥーンベリは折り合いがつけられない―世間からアンチを受けてもむき出しなワケ

 グレタ・トゥーンベリ。弱冠18歳、スウェーデンの環境活動家。彼女の言動に苛立つ、あるいは彼女の名前が話題に出た途端、無言で冷笑する中年男性は少なくない。世界にも、筆者の周りにも。

 そんなグレタの活動を追いかけたドキュメンタリーである『グレタ ひとりぼっちの挑戦』にも、彼女に批判的な各国の指導者やテレビのキャスター(すべて中年以上の男性)が登場する。例えば、こんな感じだ。

「彼女は大げさで感情的すぎると辟易している人は多いようです」

「彼女はただの子供だ。環境危機の扇動家が望むことを言っています。自分勝手で礼儀を知らない偽善者です。大人になり口をつぐみなさい」

「生意気な子供をメディアに出すべきじゃない」

 グレタは2019年、ニューヨークで開催された気候行動サミットのスピーチで、長らく地球温暖化に見て見ぬ振りをし続けた“大人”たちに怒りを示した。「あなたたちを決して許さない(we will never forgive you)」「よくもそんなことを!(How dare you!)」。怒りに顔を歪めた写真や動画の印象もあいまって、彼女はアンチのさらなる反感を買った。

 言っておくと、グレタのアンチが本作を観てファンになることは、おそらくない。彼女の行動と情熱がどれほど多くの人や団体に影響を与えたかを伝える、おおむね通り一遍の人物ドキュメンタリーだからだ。ひねりのない、無難な作りである。

 だが、彼女がなぜ、そのような反感を買ってまで活動に没頭するのか、もっと“穏健に”やれないのか、頑なで意固地で融通がきかないのか。その理由は、本作を観るとよくわかる。自他共に認めるアスペルガー症候群であるグレタは、物事に「折り合い」をつけられないのだ。折り合い、すなわち「互いに譲り合っておだやかに解決すること。妥協」。

 本気で地球の温暖化を止めるには、先進国国民の生活レベルを何十年か前に戻すだけでは足りない。開発途上国の経済発展も犠牲にする必要がある。快適や発展との完全なるトレードオフ。ぶっちゃけ、簡単な話ではない。

 だからこそ、グレタの言う“大人”たちは、今までなんとか「折り合い」をつけようとしてきた。「ここはバランス取ってゆるゆる行きましょうや」という方針で、今までやってきた。快適や発展を大きく阻害しない程度の目標を設定し、騙し騙しお茶を濁してきた。

 しかし、グレタはそれに我慢できない。アスペルガー症候群の特性として、中庸の考えを持つことができないからだ。白か黒か、正か誤か。ファジーという概念がない。「折り合い」をつけられない。

 地球がかなりヤバい。今すぐに対策を講じないと地球が死ぬ。それをわかっているのに、“大人”たちは見て見ぬフリをしている。グレタはそれが不思議で仕方がないし、不快極まりないし、その恐怖が耐えがたい。彼女にとってこの世界は、「ダイナマイトの導火線に火がついているのに、誰も消そうとしない」くらいには狂っている。

 しかもグレタは、その導火線から一瞬たりとも視線を外すことができない。アスペルガー症候群の特徴、「一度ひとつのことに集中すると、他のことが目に入らない」だ。

 破滅の火種に視線が固定。まぶたを閉じることも、それについて考えをやめることもできない。まさに地獄。いずれ気が狂ってしまう。

 彼女が狂わないでいられる方法があるとすれば、ひとつしかない。導火線の火を消しにかかることだ。どんな邪魔が入ろうとも、後ろ指をさされようとも、関係ない。火を消すために、できることをすべてやる。やるしかない。でなければ、地球が死んでしまう前に、自分が“死んで”しまう。

 つまり、グレタがここまで環境問題に己の全精力を注いでいる理由は生存本能だ。意識の高さを誇示したいからでも、自己満足のためでも、社会正義や使命感のためでも、英雄気取りなわけでもない。彼女は、地球より先に、“自分が”生き残るために行動している。

 しかし、グレタが「とにかく怒っている」場面だけを切り取ったニュースからは、それが伝わらない。怒りの先にある個人的な地獄は、本作のように彼女の生活をじっくり追跡してはじめて、少しだけ顔を出す。

 グレタはかつて、気候変動による環境破壊を知ったことでふさぎ込み、不安に苛まれ、餓死寸前にまでなった。アスペルガー症候群、場面緘黙症などと診断されたのはこの頃だ。「3年間は家族としか話さなかった」と父親は語る。しかしその間、環境活動に従事することによって、徐々に普通の社会生活を送れるようになった。彼女にとって環境活動とは、糖尿病患者にとってのインスリン注射のようなもの。しなければ、命に関わる。

 

 グレタは気候行動サミットに出席するための移動に、地球環境への影響が大きい飛行機は使わず、ヨットで大西洋を横断したが、本作のカメラはヨット内の彼女も捉える。「いつもの生活が恋しい」「イヌに会いたい」「ここは水が入ってきます」「あまりに重大な責任を背負っています」「こんなの望んでいない」「荷が重すぎる」「気が休まらない」。彼女は弱音を吐く。

 当時ヨット横断パフォーマンスを「意味ない」「スタッフは飛行機移動なんでしょ?」などと散々批判したアンチは、このシーンだけを観ればきっと呆れるだろう。「お前が好きでやってる活動なのに、なんで弱音吐いてんだ?」と。

 しかし、グレタは好き好んでアスペルガー症候群に悩まされているわけではない。そのように生まれついた自分を逃げずに引き受け、この先も生きていくために、「必要だから」環境活動をやっている。「好きでやってる活動」と単純に言い切っていい話ではない。

 そういう背景を知れば、かつてグレタがFacebookに書き込んだ「アスペルガーは病気ではなく、1つの才能。アスペルガーでなかったら、こうして立ち上がることはなかったでしょう」という言葉には、別の意味を見いだせる。もう少し別の切実さを感じ取れる。少なくとも、強がりや陶酔の類いではなさそうだ。

 ただ繰り返すが、グレタのアンチが本作を観て彼女のファンになることは、おそらくない。しかし、もしかしたら、今までのイラつきや冷笑の頻度は少しだけ減るかもしれない。その減った分が「同情」なのか「分別」なのか、もっと別の感情なのかを自身に問うてみるだけでも、本作を観る価値はある。グレタを毛嫌いしている中年男性は、特に。

『グレタ ひとりぼっちの挑戦 』

10月22日(金)より新宿ピカデリーほか全国公開

配給・宣伝:アンプラグド

サイト:greta-movie.com

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2021/10/23 8:00

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