デイヴ・シャペル、史上最高コメディアンのネトフリ新作が差別的ネタでボイコットに!?

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 今、アメリカで一本のスタンダップコメディ作品をめぐり大きな議論が巻き起こっている。その中心にいるのが「GOAT(=史上最高)」との呼び声も高いスタンダップコメディアン、デイヴ・シャペル。ネットフリックスがリリースした彼の最新ライブ公演作品『これでお開き(原題は”The Closer”)』が、トランスジェンダーに対し差別的だと批判に晒されているのだ。

 ネットフリックスには連日抗議のメールが届き、作品の削除を求める声が寄せられている。社内のトランスジェンダー社員グループからもボイコットの要求があったという。この騒動のなかで、先週CEOのテッド・サンドラスが声明で、「我々はこの作品が一線を越えているとは考えておらず、削除の予定はない」と発表する事態にまで発展した。

 その半面で擁護派も多く存在し、まさにエンタメの枠を飛び出し、人権やポリティカルな文脈でアメリカを二分する議論が展開されている。

 そもそもデイヴ・シャペルはこれまでスタンダップコメディアンとして、常に「戦う」姿勢を見せてきた。とりわけライフワークとして行ってきたのが人種差別との戦いで、黒人としての立場から、鋭いジョークで不平等や矛盾に立ち向かってきた。

 2020年、ミネアポリスでジョージ・フロイド氏が警官に殺害された際には、コロナ禍であるにも関わらず、自宅のあるオハイオ州で電撃ライブを行い、その模様をYouTubeにて配信し大きな話題を呼んだ。

 06年には自身の冠番組『シャペル・ショー』を「自分の作品が白人にただ消費され、笑い者にされているだけだ」という理由で突如降板し、以後10年以上表舞台から姿を消した。そしてその沈黙を破り、ネットフリックスと超大型契約で復活を果たしたのが17年。それ以後は約一年に一本のペースでスペシャル番組を配信、ブランクなど微塵も感じさせない、そしてより一層円熟味の増したスタンダップで世界中の人々を笑いの渦に巻き込み、同時に唸らせてきた。

 そして今回、タイトルからも察しがつくように、一連のネットフリックス・シリーズの「最終回」という位置付けでリリースされたのが本作というわけだ。 今年8月に満員のデトロイトの劇場で収録された本作冒頭で、デイヴは「これまで、批判や炎上の的になってきた俺の数々のジョークに、俺なりにケリをつけにきた」と独白。

 彼がこれまでのシリーズでトランスジェンダーに対する際どいジョークで炎上を繰り返してきたことを知る劇場のファンたちの間に、一瞬の緊張が走ったのが画面越しにも伝わりくる――。

 実は19年に発表した『どこ吹く風(Sticks and Stones)』の中でのジョークが元で、自殺者が出るという悲劇が起きた。

 自殺したのはダフネさんというトランス女性。デイヴ自身の友人でもあった。2年前、デイヴのトランス・ネタにネットは炎上、批判が巻き起こった。その際、友人でもあり、コメディアンでもあったダフネさんはTwitterでデイヴを必死に擁護した。しかしそれに対し、トランスジェンダーコミュニティからダフネさんに対する誹謗中傷が相次ぎ、その苦痛でビルから身を投げてしまったのだ。  本作『これでお開き』で、悔しさと怒り、そして悲しみを滲ませ、時折目を潤ませながらダフネさんとの友情を語ったデイヴ。相当な覚悟を持って「最後の」舞台に立ったことがうかがえる。

 その「覚悟」は1時間12分の公演時間のうち、実に45分間をトランスジェンダー・ネタに費やしたことからも見て取れる。今回の騒動の擁護派の中にも「さすがにトランスジェンダー・ジョークに執着しすぎだ」という意見は多い。

 これまでの作品で、炎上沙汰があっても概ね好意的な評価だったメディアも、今回ばかりは軒並み低評価を並べた。

 主な論調としては、「トランスジェンダーを“パンチダウン”した」というものだった。

 この「パンチダウン」ということばは「ある属性の人々を、一段上の立場から見下して攻撃すること」を意味する。そこにはデイヴ・シャペルという圧倒的な影響力を持ち合わせる大御所コメディアンが、異性愛者という「マジョリティ」の立場で、性的マイノリティを笑いのネタにした、という意味合いが内包されているのだろう。実際、「トランスジェンダーの人は……」とひとくくりにしてジョークを展開することは軽率とも言える。

「デイヴが『黒人』というマイノリティの立場から、白人というマジョリティサイドにいるトランスジェンダーをジョークにしているから構わないのではないか」という意見も散見されたが、それでは「トランスジェンダーであると同時に黒人」という人々の存在にあまりにも無自覚と言わざるを得ない。 筆者自身米国で連日、アジア人という「マイノリティ」のスタンダップコメディアンとして舞台に立つが、「マイノリティ」という立場が、いかなる批判的な意見からも自身を守れる「安全圏」だとは思っていない。たとえ「マジョリティ」をネタにする「パンチアップ」だとしても、そこに細心の注意を払う時代になっていることは重々承知しているつもりだ。

 だからこそ、今回もデイヴ自身、これらのジョークで大きな批判が巻き起こる心当あたりがあったのではないか、と思わずにいられない。もちろんデイヴのみならず、ネットフリックスの製作チーム然り。 だとすれば、彼がここまでトランスジェンダー・ジョークにこだわった理由とは何か。そしてそもそも何に「ケリ」をつけに舞台に上がったのだろうか。

 自身のジョークが元になっての友人の死が、彼に大きな影響を与えたことは言うまでもない。そしてそれは同時に、ジョークの炎上で「被害者」と思われていた人々が、いつの間にか「加害者」に変わってしまう社会の危うさと矛盾を浮き彫りにした。

 過度な批判や誹謗中傷が、他人の「人生」まで奪ってしまう悲劇を生んだ。ダフネさんだけではない。行き過ぎたキャンセルカルチャーで職を失ったコメディアンだって多い。

 筆者には、今回デイヴが巻き起こるであろう批判を覚悟で舞台に上がり、それらを自らが一手に引き受けることで、問題を可視化することそのものに意図があったように思えてならない。それを「最後の仕事」にすることがGOATとしての使命でもあり、スタンダップコメディアン、デイヴ・シャペルの生き様だったのではないか。

 今やオピニオンリーダーになったデイヴのひとことひとことに会場中が頷き、どんなジョークにも爆笑が起こる。しかし舞台上からのそんな景色はデイヴにとって、突如姿を消した15年前の「あの時」と重なって見えたのかもしれない。苦難にジョークで「戦う」限界が見えてしまったのではないか。 最後に客席に向かって、そしておそらくはカメラの向こうの視聴者に向かって言ったことばが忘れられない。

「どうか俺たちの“仲間”をもうパンチダウンしないでくれ」<デイブ・シャペル>ワシントンDC出身のコメディアン。1990年代に頭角を現し、映画などにも出演し大きな人気を博す。2003年にはケーブルTVのコメディセントラルにて放送された自身の冠番組『シャペル・ショー』に出演。2006年表舞台から姿を消すがのちにNetflixでカムバック。以降勢力的に作品を発表。2018年から3年連続でグラミー賞最優秀コメディアルバム部門を獲得したほか、2020年にはコメディ界の最大の栄誉、マーク・トウェイン賞を受賞。

  • 10/19 7:00
  • サイゾー

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