ラーメン店経営、最大の試練は客の民度「こんなマズイもん食えない。お前、一度食ってみろ」

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 一度しかない人生、窮屈なサラリーマン生活とオサラバして起業したい——。とくに居酒屋やラーメン屋などの飲食店は、中高年が手を出しがちである。しかし、そう簡単にはいかないものだ。実際に店を経営した2名の男性に待ち受けていた試練とは……!?

◆頑固一徹、蕎麦を追求するも商売の厳しさを知り失望

 都内在住の戸叶航一郎さん(仮名・58歳)が越前蕎麦屋を開業したのは、15年間経営したデザイン事務所を経て、広告代理店の部長職を2年でリストラされた47歳のときだった。

「もともと蕎麦打ちが好きで、越前おろし蕎麦を通じて日本の食文化を世界に発信したいという思いも抱いていたので、思い切って蕎麦屋の開業に挑戦したんです」

 開業となれば故郷の有名蕎麦店で40日間の短期修業をして、並行して東京では開業準備を進めた。

「グラフィックデザイン事務所を経営していたので、内装や食器にこだわりました。予算は結局1000万円。内装に使った越前和紙だけでも50万円超、食器や酒器も福井県の伝統工芸品を揃えました」

 晴れて都内で開業。インストア・ライブやイベントも盛りだくさんでスタートしたが、3か月目には大震災の影響でスタッフが全員退職。故郷から応援に来た母親と2人で切り盛りした。

「母は厨房の立ち回りを心得ていたので心強かったです。でも、2年3か月たち、母が帰郷してから歯車が狂いだしました……」

◆最終的にはワンオペに

 漆食器は食洗機は使えないので手洗い。一方で大根おろしは1分で味が変わるし、手打ち蕎麦も茹でたてが命。スタッフは命じた厳しい手作業にはついていけず、最終的には一人で店を回すことに。

「オープン時には33席の店でしたが、ワンオペで回す関係上、一日7人限定、4500円のコースのみという形態をとりました。でもこの価格帯では、ふだん立ち食い蕎麦や食堂の蕎麦に慣れているサラリーマンには理解されず。通ってくるのは蕎麦通のみ。丹精込めて打った蕎麦は時間とともに変化するんです。なのに、お客さまが来なければ廃棄するしかなく、苦しかった。クリエーティブな仕事だと思っていた蕎麦屋は単なるサービス業だと思い知らされました」

 8年3か月、負債を負う前に撤退も、老後資金をほとんど失った。サラリーマンをしつつ、週末蕎麦打ちが賢明だったのだろうか。

◆ラーメン好きの夢「いつかは自分もラーメン店を」

 カウンター席のみの小規模店舗でも始められるラーメン店は、飲食業の中でも参入障壁は低いとされる。ラーメン好きが高じて居酒屋を経てラーメン店を経営した炭竈裕一さん(44歳)は中高年が手を出す飲食店、特にラーメン店の難しさについて経験から警鐘を鳴らす。

ラーメン店経営は、耐えるべき試練が多く、素人にはおすすめできません。特に最大の問題は、客の民度。チャーシューの種類を変えろだの、俺好みの味じゃないだの、理不尽なクレームは日常茶飯事。『こんなマズイもん食えない。お前、一度食ってみろ』と、他の客が見ている前で、客の食べかけのラーメンを無理やりすすらされたこともありました

 精魂込めてうまいものを提供しようと励む飲食店主にとって、魂の殺人と呼べる蛮行だろう。

◆試練の連続に心身が持たない

 そして敵は身内にも潜む。

「人手が足りず、それまで常連として通ってくれていた中年男性を雇ったのが運の尽きでした。売り上げをチョロまかすわ、私がいないタイミングを見計らって、自分の家族4人を店に招き入れてはラーメンをタダ食いさせるなど散々な目に遭いました。売り上げの計算が合わず、監視カメラを導入すると伝えると即座に辞めたのですが、この振る舞いと、ラーメン作りの手際のよさからして常習犯。いくつものラーメン店を荒らしてきたんでしょう」

 ラーメン店開業に必要なのは、調理の腕以上に、どんな理不尽にも耐え得る鋼のメンタルなのだ。

【戸叶航一郎さん(仮名)】
デザイン事務所を経営後、広告代理店サラリーマンを経て開業。店内に設置した石臼で蕎麦在来種の実を挽き、手打ちするほどこだわりが強かった

【炭竈裕一さん】
古民家居酒屋を経営しつつ、独自に研究を重ねたラーメンの道へ。現在はホラー系脱出ゲーム館を経営

取材・文/山田剛志・松嶋千春(清談社)

―[やってはいけない!]―


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