津田寛治が兵士を熱演。デビュー秘話も語る「人がやっていないことをやる」

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 実在した旧日本軍兵士の小野田寛郎さんをモチーフにした人間ドラマ『ONODA 一万夜を越えて』が公開中です。

 上官からの命令をかたくなに守り、太平洋戦争が終結した後も約30年にわたってフィリピンのルバング島に残り続けた小野田さんの成年期を演じた、津田寛治さんにインタビュー(青年期:遠藤雄弥)。

 津田さんが本作の小野田とどう向き合ったのか聞きました。また、俳優として食べていくきっかけになった、北野武監督の『ソナチネ』出演をつかんだ当時のエピソードもお話いただきました。

◆小野田さんは島に入る前から、心の中にジャングルを持っていた

――津田さんは、たったひとりになってもジャングルで見えない敵と戦い続けた成年期の小野田さんを演じましたが、「小野田さんは島に入る前から、心の中にジャングルを持っていたのではないか」とコメントされていたのが印象的でした。

津田寛治さん(以下、津田)「当時、日本兵として軍隊に入っていた若者というのは、お国のために自分は命を賭して戦うんだと思っていた、もしくは思わされていました。死ぬことによって自分は英雄になれるといった部分があったと思うんです。そのなかにあって、小野田さんはちょっと特殊な若者として描かれています。『自分とはなんぞや』みたいなところが、昔からある若者だったんじゃないか。つまり、その特殊性とは、おそらく自分との向き合い方なんだろうと感じたんです」

◆ひとり潜伏する小野田さんの姿に『ドン・キホーテ』がよぎった

――小野田さんは谷口少佐(イッセー尾形)に見出されて特殊な訓練を受け、「自分自身が、自分の指揮官であれ」と教えられます。一方で、小野田さんは上官だった谷口少佐の口から「命令解除」を聞くまで、日本に帰りませんでした。なぜだと感じましたか?

津田「あくまで僕個人の印象ですが、『ドン・キホーテ』が浮かんだんです。ドン・キホーテは風車を敵に見立てて闘いを挑みに行きますよね。そのときのドン・キホーテの心境を考えたとき、本当に風車のことを敵だと思っていたのだろうかと。本当はそれは風車だと分かりつつも、敵に見立てて闘うしかない状況だったんじゃないか。それが当時、ジャングルにひとり潜伏していた小野田さんの思いとシンクロする気がしたんです。ひょっとすると、小野田さんは終戦していることには薄々感づいていたかもしれない

◆終戦していると感じても、なぜ日本に帰らなかったのか

――そうした話は聞きますね。

津田「でも帰るわけにはいかないという思いがすごくあった。なぜか。僕のなかでは、死んでいった仲間への思いがすごくあったんじゃないかと思います。自分の隠密の任務に共感して付いてきてくれた仲間たちが、ひとり、またひとりと亡くなっていったなかで、このまま彼らの死を無駄にはできない、なにかひとつ成果を出さなきゃいけないという思いが強くなっていった。最後、一番の盟友だった小塚(青年期:松浦祐也、成年期:千葉哲也)が亡くなって、ひとりになります」

◆ジャングルのなかで、小野田さんは何を考えていた

――とても大きな喪失だったでしょうね。

津田「一番の分岐点だったと思います。ジャングルのなかで、生と死の循環をより感じた気がします。虫が死んで土になり、養分となって木になっていく。虫として生まれて虫として死んだというよりは、形を変えてそこに居続けるという生命の循環に取り込まれそうになっていくなかで、いや、自分は人間なんだ、任務を持ってここにいるんだ。死んだ仲間たちのためにも、自分はここで潜伏しているのだと思い返す

 そうしたなかで、鈴木(仲野太賀)という自分が想像しえなかった使者と出会い、大きく揺らいだと思います。そこでほだされて帰るのかと考えたとき、やはり谷口少佐の命令解除がなければ帰るわけにはいかないというところに行きついたんだろうと思いますね」

◆デビュー秘話。駆け出しの頃、事務所を辞めた

――津田さんご自身についても教えてください。活動初期の逸話ですが、録音スタジオでアルバイトをしていたときに、北野武監督にプロフィールを渡して直談判した結果、『ソナチネ』(1993)への出演に繋がったというのは本当ですか?

津田「本当です。北野監督だけでなく、ほかの監督にも直談判していました。映画に出たいと思いつつ、当時、やっている仕事といったら2時間ドラマのエキストラや、ノルマのたくさんある小さい舞台くらいでした。

 そんなことが続いて、小さな事務所に籍を置いていたとき、当時のマネージャーさんに『最近なにか映画観ました?』と聞いたら、『映画なんて観るほど暇じゃない』と返ってきて。『ひょっとしたら今自分は映画と一番遠いところにいるんじゃないか?』と感じて、1回全部ゼロにしようとフリーになりました」

◆「人がやっていないことをやらないと」

――そうなんですね。

津田「そしてまずは日本映画を入力するところから始めようと、寝ても覚めても日本映画を観まくりました。そこで自分の好きな監督が浮き彫りになってきて、その監督たちに直談判しようと。当時フリーでやっている俳優はほとんどいなかったし、俳優が自分から動くなんてなかったけれど、自分みたいな俳優が待ってるだけじゃ絶対に仕事はこない。人がやっていないことをまずやらないとマズイと思って、自分で動きました

 実際監督とお話しができると、同じシネフィルですし、もともと好きな監督のところに行っているわけですから、監督の作品についてもいくらでも話せて、そうこうするうちに、オーディションに呼んでもらえるようになったんです」

◆バラエティは命がけの仕事!

――現在の津田さんは、バラエティ番組などで見せる素顔も魅力ですが、役者としてはやはり強面なイメージが強いです。当初から自分の強みだと感じていましたか?

津田「そういう意識はありました。ただ、強面が強みというより、昔は、役者がバラエティに出るのはいかがなものかという意識が強かったです。今の事務所に入って、テレビの仕事も振られるようになったのですが、バラエティは勘弁してくださいと断っていたら、『バラエティが嫌なんて言ってたら、絶対食べていけないよ』と言われまして。一度出てみたら、命がけでやらなければいけない仕事だと分かりました。そしてバラエティでも一生懸命挑むようになったら、その姿をいじってもらえるようになりました(笑)」

(C) bathysphere - To Be Continued - Ascent film - Chipangu - Frakas Productions - Pandora Film Produktion - Arte France Cineema

<撮影・文/望月ふみ>
<ヘアメイク/黒木翔 スタイリスト/三原千春>

【望月ふみ】
70年代生まれのライター。ケーブルテレビガイド誌の編集を経てフリーランスに。映画系を軸にエンタメネタを執筆。現在はインタビューを中心に活動中。@mochi_fumi

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