「最終学歴が吉本NSC」の底力。編集者、大道具、助産師…芸人じゃなくても活躍する人々

◆NSCに入学しても向いている子と向かない子

「NSCを卒業して芸人として生き残れるのはほんの一握り」と言われますが、私はそうは思いません。「一握り」ではなく「ひとつまみ」です。さらにそこから売れっ子芸人になり、スターになっていくのは生き残った「ひとつまみ」の中のさらに「ひとつまみ」以下の存在でしょう。

 多くの生徒たちが夢破れて辞めていきますが、でもそれは決して落ちこぼれたのではなく自分の「居場所」ではなかったということだと思っています。

 最初の授業で「芸人に向いている人」と「向いていない人」の2種類に分かれるから自分が向いているかどうか在学中に確認するよう伝えていますが、キングコングのように在学中にNHK上方新人漫才コンクールで優勝してしまうコンビもいれば、ウーマンラッシュアワーの村本君のように9人相方を代えて10人目のパラダイス中川君と10年目に花開くコンビもいます。

 私の言う「向いている人」というのは起きている間中、なにか面白いことはないか貪欲に探せて、極限までの稽古を惜しまず、人前でしゃべることに“快感”を覚えるような人です。そしてこういうことはできない、ノーマルな子が「向いていない人」です。

◆お笑いの世界から編集者になった卒業生

 1年間の授業を終え「向いている」と思って懸命に頑張った子たちにも大きな壁が立ちふさがり、その壁を打ち破ることができずにお笑いの世界から去っていった子たちがたくさんいます。

 いったん離れてしまうとなかなか出会う機会もなく、連絡も途絶えがちになりますが、思わぬところで出会うことがあります。

 2017年度下半期に放送されたNHK朝の連続テレビ小説「わろてんか」で漫才指導を依頼されて約2ヶ月間、毎週月曜日から金曜日まで、稽古と本番立ち合いでNHK大阪のスタジオに通っていました。

 漫才指導が始まってしばらくして「わろてんか」の広報誌の取材があり、「広瀬アリスさんの上達ぶりはどうですか?」など、30分あまり取材を受けて「ありがとうございました」とあいさつをして直後、男性担当者が「本多先生、あらためてよろしいでしょうか?」と言われ、なんのことかわからず「はい…、なんでしょうか?」と答えると、直立不動で「わたくしNSC19期生におりました、その際はお世話になりました。」と言うのです。

「そうなんや!早よ言うてくれたらええのに」と一気に距離が縮み「編集者してんねや?」「まだまだそんなもんじゃないです」という話からそれまでの経緯を聞いてみると、「卒業後漫才を続けていたけれど、解散して、なかなか新しい相方も見つからず、ピン芸人としてもうまくいかず、活字の世界からお誘いを受けて、いまに至りました。」とのこと、「今の仕事が最後の居場所かどうかわかりませんが、一生懸命やっています。」と明るく楽しそうに話してくれました。

◆「わろてんか」で再会した教え子

「わろてんか」での出会いはこれだけでは終わりませんでした。

 年内最終収録が終わって帰ろうとすると、セットを作っていらっしゃる大道具のスタッフの方が寄って来られまた「本多先生、お時間よろしいでしょうか?」と聞かれ、前の件があるので「まさか?」と思いながら話を聞くと「NSC17期生におりました。最初にお見かけして、いつごあいさつをしようかと思っているうちに遅くなりもうしわけありません。」と頭を下げられました。

「二人目!」と広報誌の担当者のことを伝えて、誰もいなくなったスタジオでしばらく話を聞きました。彼の場合は卒業後、漫才を続けていたけれど行き詰まり、吉本をやめて劇団に入り芝居に転向。

 それもしっくりこないと悩んでいる時に、いつもきれいなセットを作ってくださる大道具さんの手際のいい、見事な仕事っぷりを見ているうちに、「俺も作ってみたい」と思うようになり、表に出る役者から裏方へ回ってみたところ、「これが自分にあってました。いいお芝居を見て頂くためにいいセットを作ります」と。

 自信にあふれた表情で話してくれました。おそらく自分の居場所としてステップアップを続けてくれることでしょう。

◆助産師として活躍する元NSC卒業生

 もう一人は女性です。

 キングコング、南海キャンディーズ・山ちゃん、ウーマンラッシュアワー・村本、ダイアン、スーパーマラドーナら、売れっ子を多く輩出したNSC大阪22期生に在籍した寺尾直美さん。

 彼女と再会するきっかけになったのは、いじめで命を絶たないでほしい一心で児童・生徒向けに私自身のいじめられ体験、虐待体験などを書いた「笑おうね 生きようね」(小学館)でした。助産師をしている彼女が「子供向けの性教育」の本をAmazonで検索していたら、その本がヒットして「本多先生の本や!」と購入してくれ、吉本本社へ「NSCの本多講師宛て」に手紙を送ってくれたのです。

「カポエラ」という女性コンビを組んでいましたが、格闘技好きな私はブラジル発祥の武術である「カポエラ」という名前に惹かれ、彼女のことを覚えていました。

 すぐに助産所のパンフを見て「わざわざ手紙をくれてありがとう!」とメールを返したことから、20年ぶりの交流が始まります。

◆コンビ解散後に助産師を志す

 卒業後に解散。芸人になる夢は破れて実家に戻り、病院の受付を3年やった後で、

「自分は人と関わることが好きだ」と看護師になることを目指して受験勉強を始め24歳で看護学校へ入学。

 その年の9月にお母さんが卵巣ガンで亡くなられます。ショックを引きずりながら勉強をしていましたが産科病棟へ実習で行った際にお産に立ち合い、「亡くなった母親もこんな大変な思いをして私を産んでくれたんだ」ということ知った彼女はお母さんの助けをする仕事がしたいと看護師免許を取得してから助産学科に再入学して28歳で助産師になります。

 そこから病棟勤務を経て、結婚後、32歳で母乳外来専門の助産院を開業。

 さらにコロナ禍で孤立する母親や親子が増えていること危惧して、気軽に子育ての相談ができる「産後ケア」を始める決意をし、親子のデイサービスを今年の1月から開始。

 この取り組みに賛同してくれた方から地域の大きな古民家を貸してもらい、建物の半分を助産院(母乳外来と産後ケア)、半分を親子でフラッと足を運べるカフェとして運営を始め、親子で自宅で2人っきりで過ごすのが不安なお母さんや、人との関わりを求めたり、大切な「自分のための時間」を過ごしに、美味しいコーヒーを求める方が来られているそうです。

◆NSC、芸人としての経験を生かす

 この彼女の縁で8月に兵庫県三木市の教育センターで教職員のみなさんを対象にリモートでしたが「いじめ」に関する講演会をさせてもらい、終了後、「彼女の城」のカフェにも寄らせてもらいました。

 お母さんたちとの交流、地域で講演をする時に「人前で話をするのにあがらない。NSCに行って本当に良かった」と思うそうです。

 お笑いは気持ちを癒してくれますが、お笑い以外のところでNSCが役に立っているいるのは嬉しいことです。

文/本多正識

【本多正識】

漫才作家。'84年、オール阪神・巨人の台本執筆を皮切りに、漫才師や吉本新喜劇に多数の台本を提供。'90年吉本総合芸能学院(NSC)講師就任。担当した生徒は1万人を超える。著書に『吉本芸人に学ぶ生き残る力』(扶桑社刊)などがある

2021/10/17 8:50

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