【連載対談】【対談連載】AuB 代表取締役 鈴木啓太

【東京・八重洲発】サッカーの世界に「バンディエラ」という言葉がある。一度も移籍せず、最後まで一つのチームに所属し続けた選手のことをこう呼ぶが、鈴木啓太さんはまさにレッズのバンディエラだ。子どもの頃から海外でプレーすることを夢見ていた啓太さんにその理由を聞くと、欧州移籍のチャンスは何度かあったが、やはり浦和で優勝したいという気持ちがあったからという。もう一つ。移籍を検討していたとき、お祖父さんが「行かないほうがいい」とふと洩らし、その10日後に亡くなられたそうだ。人生の岐路では、理屈では説明できない力が働くのかもしれない。

(本紙主幹・奥田喜久男)

●名将たちの言葉から学び 自らの限界を突破する

 現役選手のとき、鈴木さんはいろいろな監督の下でプレーされたと思いますが、前編でお話しされていた“刺さる”言葉を口にする監督にはどんな方がいましたか。

 まず、かつての日本代表監督で、2002~03年に浦和レッズの監督を務めたハンス・オフトさんですね。

 彼は「家を建てるときに一番大事なのは土台だ。土台がしっかりしていなければ、きちんとした家を建てることはできない。それと同じように、サッカーのチームづくりをする上で大事なのも見えない部分である土台だ」と言っていました。

 つまり、優秀な外国人選手を獲得したとしても、それは立派な屋根になるかもしれないし、美しい装飾を施した窓になるかもしれないが、すぐに別のところに行ってしまう可能性もある。だから個々の選手が基礎を大事にし、立派な土台をつくる必要があるということを私たちに伝えたのです。

 ビジネスの世界においても、共通する大切な考え方ですね。

 もう一人、私がその言葉に感銘を受けた監督は、現在、北海道コンサドーレ札幌を率いているミハイロ・ペトロヴィッチさんです。

 彼は「サッカー界は、試合に勝てばもてはやされ、負ければ罵倒されるジェットコースターのような世界だ。その中で生きる君たちは、自分たちのことをある種の高級車だと思っていい。でも、高級車には保証書がついているが、君たちにはついていない。毎日しっかりとトレーニングし、食事を含め心身のコンディションを整えれば、私が君たちのことを保証しチームを勝たせる」と言ったんです。

 名将の言葉には説得力がありますね。

 選手は、試合は楽しいけれど練習は楽しくないという感覚を持ちがちです。でも、勝つためには練習を重ねて上達する必要がある。そこでペトロヴィッチ監督は「子どもの頃は、サッカーが大好きで日が暮れるまでボールを蹴っていたはずだろう。それがあったからこそ上達したはずだ。だから、いまも楽しんで練習することが大事なんだ」と言いました。それを聞いて、やはり優秀な指導者は本質を押さえていると感じましたね。その言葉によってメンバーの力を引き出し、成長させることができる。それは、ビジネスの場であっても教育の場であっても共通していることのように思います。

 ペトロヴィッチ監督から、直接かけられた印象に残る言葉はありますか。

 「ケイタ、君はうまくなるよ。もっとチャレンジしていいんだ。そんなサッカーじゃ楽しくないだろう」と。

 なぜ、そういう言葉を?

 彼が浦和レッズの監督に就任したのは、私が30歳の年でした。その年齢から技術的な限界を感じていた時期だったのですが、そんな私の気持ちを見透かすように、頭脳を使うサッカーはいくつになっても上達できる、そして何よりもサッカーを楽しむことが大切で、それがテクニカルな成長にもつながると言ってくれたのです。

 若手の成長を促すだけでなく、ベテランへの目配りにもすばらしいものがありますね。

 そうですね。自分にとって監督のミーティングは楽しかったですね。毎回メモをとって、その内容を吸収するようにしていました。学校の勉強はあまり好きではありませんでしたが、ここでの勉強はとても面白かったです。

●誰かに喜んでもらえることが 自分の喜びにつながる

 鈴木さんの場合は、指導者の言葉によって、より充実した選手生活を送ることができたわけですね。

 そうですね。子どもの頃のサッカーは楽しくできて、プロになってからはいいプレーをして稼がなければならないといったプレッシャーで楽しくない時期を経験し、その後、またワクワクするような楽しい時期に戻ってきたわけです。もちろん「楽しむ」ことと「ラク」に流れることとは異なりますが、その楽しさが、まさに生きることの本質だと思いました。だからいまは、社会的な成功ですら楽しむための手段でしかないと考えています。

 ところで鈴木さんは、これからのサッカー界について、どんな思いを抱いていますか。

 日本ではまだサッカーが文化になるほど根づいていないと感じていて、それに対する物心両面のサポートが必要だと思います。サッカーによる街づくり、たとえば教育やヘルスケア、それに他のスポーツとの結びつきなど、スタジアムで行われる試合だけでなく、日常的に人々の話題となるような親しまれる存在になってほしいですね。これは、アスリートの力を社会に還元したいというAuBの夢とも重なります。

 鈴木さん自身、最終的にサッカーから得たものは何だったのでしょうか。

 プロになってある程度のお金を稼げたこともありますし、日本代表に選出されて日の丸を背負う名誉を得たこともあります。でも、最後に残ったのは、応援してくれるファン・サポーターに喜んでもらえたことですね。現役を引退して5年経ったいまでも、浦和の街に行くと誰かがビールをご馳走してくれるんですよ。それは自分にとっての大きな価値ですね。

 子どもの頃の話にさかのぼれば、私がサッカーをはじめたのは『キャプテン翼』の影響や周りの子どもたちがみんなやっていたこともありますが、練習場ではじめてシュートしたときに母親が手を叩いて喜んでくれたことにあるんです。だから、誰かに喜んでもらえるという点では一緒なんですね。

 レッズサポーターの応援が大きな価値として残り、初シュートでお母さんが喜んでくれたことがサッカー人生の原点になったのですね。AuBのビジネスもお母さんの「毎日ウンチを見なさい」という教えなしには始まらなかったわけですから、お母さんの影響は大きいですね。

 そうですね。現在、AuBでは「フードテック事業」と「新菌の発見」という二つの事業に取り組んでいますが、そうしたことに関心を持つに至ったのは母のおかげですね。

 理想と現実を見きわめる必要はありますが、これからも研究開発を続け、上場を視野に入れて事業を進めていきたいと考えています。ただ、上場は自分たちの思いを実現するための手段であり、そこからが本当の勝負ですね。

 今日は熱く、中身の濃いお話を聞くことができました。今後の事業の成長を心から期待し、応援したいと思います。

●こぼれ話

 素直な気持ちで、1000文字を綴ろう。人はスイッチが入ると別人の振る舞いができる。この振る舞いは機能という言葉に置き換えることができる。機能は“技術”である。これは訓練で習得できる。もちろん人によって習得のレベルは異なる。さて、鈴木啓太さんについて触れよう。とても訓練された人だと感じた。それも自己訓練ではなく、いろいろな方からの指導を受けて、自己技術を形成した人だと思った。啓太さんはサッカー選手という職業を通じて、それも世界のプロの指導者から一流の訓練を受けている。その環境に自らを置き、指導の言葉に耳を傾け、吸収し、実地に訓練し、自己の中に取り入れながら、自分自身を繰り返し繰り返し育て上げていく。

 インタビューの途中、こんな話を聞いた。「僕は勉強は嫌いだ。でも、サッカーは好きなんです」。このあとのフレーズに心が騒いだ。「監督の話を聞くのが好きなんです。話を聞かない人もいた。もったいないですよね」。熱心にメモを取り、腹落ちする言葉を選択し、反芻しながら、自己の中に取り入れ、自分自身のものとする。

 試合の当日、その言葉が身体を動かす原動力となって、ピッチでの自己表現となる。啓太さんの動きで描いたループがサッカー選手としての作品となる。この美しさにファンは酔いしれた。浦和レッズに、16年間の在籍。この“ひと筋”にも「啓太さんは裏切らない」というように、好感を抱くファンが多いと思う。プロスポーツの選手の移籍は当たり前とされるなかにあって、“ひと筋”の言葉は清々しい。私はそう感じたので、その想いを伝えた。すると、引退する時には移籍の話が出ていたそうだ。啓太さんがそのことを祖父に相談したら、「ひと筋がよい」と。その1週間後におじい様は旅立たれた。あまりにもでき過ぎた話なので啓太さんの目を見たら、これは心の地声なんだと感じた。インタビュー慣れした方への取材は、実にスムーズに仕事が進む。実はそこに落とし穴がある。すでに幾度も語った言葉を用意して、引き出しから必要な材料を引っ張り出す感じだ。だが、啓太さんには真摯に応えていただいた。そんななかで飛び出した「ひと筋がよい」――この地声にはしびれた。

 指導者の言葉には人の行儀作法に通じるものがある。生き方でもあるし、究極の人間学ともいえる。ここで腑に落ちたことがある。啓太さんはサッカーの訓練を通じて、経営学を学んでおられたのだ。サッカーに限らず、チームプレーのスポーツは、人の集合体である経営と、同類である。選手の中には、訓練の中からリーダーを自覚し、事業構造を設計し、本人も気づかないうちに、経営者としての素養を身につける。360度を見渡すことができる人になった。啓太さんの例である。サッカーに限らずプロのスポーツ選手が会社を立ち上げる例は珍しい。16年もの期間をサッカー選手としてやり通し、第二の人生としてベンチャー起業家の道を選んだ。私も40年前に同じ起業家の道を選んだ。その時の、気負いというか、資金のやりくりも含めて、相当なエネルギーと勇気を必要とした。しかし、啓太さんはゴールを明確にして、躊躇なく飛び込んだ。エールを送りたい。

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。

奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

2021/10/15 8:00

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