「コロナ禍の挙式は諦めて入籍だけにする」彼の発言に義母が話した残酷すぎる本音

あなたは恋人に、こう言ったことがあるだろうか?

「元カレとはもう、なんでもないから」

大人に”過去”はつきものだ。経験した恋愛の数だけ、過去の恋人が存在する。

だから多くの人は、1つの恋を終わらせるごとに、その相手との関係を断ち切っているだろう。

しかし “東京のアッパー層”というごく狭い世界では、恋が終わった相手とも、形を変えて関係が続いていく。

「今はもう、なんでもないから」という言葉とともに…。

◆これまでのあらすじ

婚約中の千秋と健作。しかし、2人と同じ会社に転職してきた雛乃は、健作の中高時代の元カノだった。

健作の過去にはいつも雛乃がいることに苦しむ千秋だったが、雛乃にはほかに好きな人がいることが判明し、気持ちが楽になる。

「健作とは、今はただの親友」という雛乃の言葉を信じ、2人の友情を見守ることに決めた千秋だったが…。

▶前回:婚約者の元カノから「話がある」と呼び出し。話し合いの結果、2人で決めた“ルール”とは


テラス席を吹き抜ける風は、いつの間にかすっかり秋の気配を感じられる。

白金台にあるカフェで9月のそよ風を楽しむ私に、向かいに座る和香がしんみりとした表情で言った。

「千秋、残念だね…。気持ちは大丈夫?」

和香が言っているのは、私の結婚式のことだ。

今年の夏にハワイで行う予定だった式を、とりあえず1年延期にしていたけれど…。今の状況から考えると、2021年の夏のハワイ挙式も現実的ではないだろう。

だから、健作としっかり話し合って、式は挙げないことにした。

今日はそのことを伝えるために、由香ちゃんの体操教室を待つ和香をお茶に誘ったのだった。

「心配してくれてありがとう。なんかね、心のどこかでは諦めもついてたみたいで、意外と元気だよ」

その言葉に嘘はない。まだワクチンも実用化されていない今の段階で海外挙式が叶いそうにないことは、いつそれを認めるかというだけの話だった。

それに…。意外なほど気落ちせずに済んでいるのには、もう1つ大きな理由がある。

私はコーヒーを一口飲むと、和香の方に向き直った。

「それで、実はね…」

激動の夏から1ヶ月経ち…。千秋が和香に伝えたいこととは?

興味深そうにこちらをじっと見つめる和香に、湧き上がる喜びでドキドキと胸を高鳴らせながら、私はそっと告げた。

「式は挙げないことにしたけど、入籍は早めようかって話になって。10月に婚姻届を提出するつもりなの」

途端に、和香の表情がパアッと明るくなる。うるうると瞳を潤ませながら「千秋〜!おめでとう〜!」と大声を出し、慌ててマスクをつけ直す和香を見て、私も思わず笑みをこぼした。

でも、その一方で、手放しで喜んでくれる和香の姿は、私の心の奥にあるほんのわずかな憂鬱も浮き彫りにする。

私は「ありがとう」と小さく言うと、なるべくさりげなく聞こえるように言葉を続けた。

「でもね…まだ健作がそう言ってくれてるだけで。あちらのご両親にはこれから話すんだ。私、お母様のことちょっと苦手だから緊張する」

「そっかぁ。健作くんのご両親、入籍と同棲は絶対に披露宴のあと!って頑なだったもんね」

そうなのだ。今から1時間後の夕方5時から、久しぶりに健作のご両親と食事をすることになっている。

目的は、挙式・披露宴なしでの入籍の許しをもらうこと。いつものんきな健作が少し緊張していたことからも、それが厳格なご両親にとっては簡単に許せることではないのは感じとっていた。

でも、緊張で体を強張らせる私に、和香は優しい声で言う。

「千秋、大丈夫。こんなご時世だしご両親もきっとわかってくれるって。健作くんのお母さんとも、絶対仲良くなれるに決まってるよ。

色々あったけど、元カノとだってしっかり打ち解けちゃう千秋だもん!ね?」

「あはは。たしかに!」

和香の冗談めかした励ましに、ほんの少しだけ心が軽くなる。和香の言う通り、あれだけ悩んでいた雛乃ちゃんの存在も、2人でランチした日以来かなり克服できていた。

あくまでも過去は過去。大切なのは今の気持ち。

疎ましく思っていた雛乃ちゃんと、今では親しくできている。遠い昔、雛乃ちゃんのことを好きだった健作は、今では私を愛してる。

人の気持ちは変わる。ご両親の考えだって、変えることができるかもしれない。

「冗談はさておき、本当に大丈夫だよ。しっかり健作くんにリードしてもらってきてね。うまくいくことを祈ってるよ」

重ねて励ます和香に、私は「うん!」と力強くうなずいて微笑むのだった。




和香とのお茶を終えて、数時間後。

シェラトン都ホテル東京『四川』の個室で、私と健作は重苦しい空気に押しつぶされないように耐えていた。

円卓の上で取り分けられた麻婆豆腐が、誰にも箸をつけられないまま熱を失っていく。じっと身を縮める私の隣では、健作がしどろもどろになりながらも懸命にご両親に決意を伝えているのだった。

「母さん、よく考えてみてよ。こんな状況が続く限り、海外挙式なんていつ安心して出来るようになるのかわからないだろ。

たとえ披露宴を国内にしたって、父さんと母さんが考えるような何百人もの人数を集めるのは難しいって」

しかし、それを聞いている健作のお母様は、一歩も譲る気はないらしい。

「そうは言ったって、本家の親族やお世話になっている皆様にお披露目もしないまま結婚なんて、許される訳がないじゃない。結婚は家同士の結びつきなんだから、礼儀というものがあるでしょう。

一族の中で、式も披露宴もしなかった人なんて1人もいないのよ?また来年考えてみるとか、もう少し様子を見たらどうなの?」

健作とお母様の静かながらも張り詰めた押し問答を前にして、和香の励ましでどうにか保っていた私の気持ちは、どんどん沈んでいくばかりだ。

しかし、その瞬間、お母様の隣でじっと静かに話を聞くに徹していたお父様が、ゆっくりと口を開いた。

「健作、千秋さん…」

早く入籍したいという2人の希望に、耳を貸さないお母様に対してお父様は…

突然、落ち着いた低い声で名前を呼ばれた私は、思わず背筋をピンと伸ばした。

「は、はい!」

「2人でよく話し合って決めたんだね?」

その問いに、私と健作は目を合わせながらコクリとうなずく。

その様子を見ていたお父様は何度も小さくうなずくと、なだめるような口調で隣に座るお母様に言うのだった。

「状況も状況だ。先の見えないこんな時期に、コロナが収束するまで入籍するななんて、それは残酷すぎるだろう。

いい大人の2人が決めたんだ。我々はただ、応援しましょう」


「あ…ありがとうございます!」

まさかのお父様からの助け舟に、私は思わず喜びの声を上げた。

「まあ、あなたがそう言うなら…。でも、せめて入籍前に親族への挨拶回りだけはしなさいよ」

憮然とした様子ではあるものの、お母様もどうにかそう答えてくれた。私はもう一度健作と目を合わせると、なんとか手元に手繰り寄せることのできた幸せを噛み締める。

― よかった。これで、健作と結婚できる。コロナのせいで、いつ結婚できるかわからなくて不安だったけど…。これでやっと夫婦になれるんだ…!

不意に、目頭が熱くなるのを感じた。視界の中の健作の笑顔が、水面に映る影のようにゆらめきはじめる。

2人の夢だったハワイ挙式は潰えて、雛乃ちゃんとの過去にも悩まされた。でも、そんな不安な毎日にやっと区切りがついて、幸福な気持ちで結婚を迎えることができる。

そんな実感が湧いてくるのと同時に、私の目にはあふれんばかりの涙が込み上げてきたのだ。

「あの…私、店員さんにお茶の差し替えをお願いしてきますね」

まだ渋々といった表情を浮かべているお母様の前で、泣いているところなんて見られたくない。そう思った私は、すっかり冷めてしまったポットの烏龍茶を言い訳に恭しく席を立った。

健作にはバレているだろう。優しい視線を私に投げかけながら、口の動きだけで「だいじょうぶ」と労ってくれる。私はそんな健作の気遣いに小さくうなずくと、3人の視線に見送られながら個室を出た。

でも、それからほんの数分のこと。私が個室の前で立ち止まって涙を拭き、呼吸を整えていると…にわかに聞こえてきたのだ。

私が同席していては到底言えなかったであろう、お母様の残酷すぎる本音が。


「ねえ、健作。最後にもう一度確認するけど、本当にいいのね?」

「どういう意味だよ」

「千秋さんはとっても素敵な女性よ。でも、やっぱり感覚が違うような気がして。あちらはお式も披露宴も無しで大丈夫なご家庭ってことでしょう?」

「千秋さんと僕でしっかり話し合って決めたことだよ。披露宴にこだわってたら、このままじゃいつ結婚できるかわからないんだから」

「そんなに結婚を焦るのも、千秋さんがあなたより年上だからでしょう?」

「年齢なんて関係ないよ。僕が千秋さんと早く結婚したいの」

「そうは言ってもねぇ…。結婚してから感覚が違いました、じゃ遅すぎるのよ。ハァ…。お母さん、あなたはもっとわかりやすいお嬢さんを連れてくると思ってた」

「わかりやすいって?」

「ほら、ずっとお付き合いしてたじゃない。雛乃ちゃん!お母さん、あの子好きだったわ。立川さんなら、経営者一族のご家庭で安心だったし」

「母さん、一体いつの話してるんだよ。ひなとはただの友達。お願いだから千秋さんとのことを祝福してよ…」

気がつけば、涙はすっかり乾いていた。私が扉のすぐ外に立ち尽くしていなければ、店内がもう少し騒がしければ、聞こえなかったであろう秘密の会話。

その劇薬のように恐ろしい言葉たちは、すっかり私の心に届いてしまった。

私は、たったいま幸福の涙を拭ったばかりのハンカチを口元で握りしめる。

そしてそのハンカチに、吐き出すようにつぶやくのだった。

「ねえ、ここでも出てくるの…?雛乃ちゃん、あなたの名前が…!」


▶前回:婚約者の元カノから「話がある」と呼び出し。話し合いの結果、2人で決めた“ルール”とは

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婚約者の母親に、元カノと比べられていることが分かった千秋は…

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