昭和のラブホがド派手だった理由。メリーゴーラウンド、プラネタリウムetc.
1984年、風営法の改正により、ラブホテル新設の認可が下りなくなった。しかし、回転ベッドや鏡張りといった豪奢な昭和ラブホテルの終焉は、この法改正を前に始まっていたのだ。絶滅の危機に瀕しながらも、令和の時代に生き残り、根強いファンを獲得している昭和ラブホに迫ってみよう。
◆「あるうちに行ったほうがいい」
『日本昭和ラブホテル大全』著者で映画監督の村上賢司氏はこう語る。
「大ヒットした小説『なんとなく、クリスタル』には、主人公の女子大生が『繁華街にあるキンキラキンのラブホテルは好きになれない』と言う描写がある。本が出版された1981年当時にはもうこうした価値観が若者を中心に主流になりつつあり、現在に至るまでシンプルなシティホテル風のラブホテルが人気の傾向にあります」
建物の老朽化に加え、経営者が代わり、多くの名物ラブホテルがマンションに建て替わっていった。現存するラブホテルもコロナ禍に喘ぎ苦しんでいる。そんな状況だからこそ「あるうちに行ったほうがいい」と村上氏は語気を強める。
◆エンタメ力の高さがホテルに誘う口実だった
ド派手な昭和ラブホを好む氏が太鼓判を押すのが、1983年開業の「ホテル フランセ」だ。
岡山駅からローカル線で3駅。幹線道路から脇道を15分ほど行くと、大きな白い建物が見えてくる。個別のガレージは部屋直結。階段を上り、扉を開けると色とりどりの部屋が現れた。ここは夢の国だ。
「最近のラブホテルはリゾート、アジアン、リラックスがコンセプトのところが多い。かつてはベッドが回ったり、前後に動いたり、そんなファンタジックな物珍しさがホテルへ誘う口実にもなったんですよね。まあ、エンタメ性が高すぎて、プレイに集中しにくいのが玉にキズですが(笑)」
そう言って笑うのは支配人の濱野氏。吹き抜けの天井から吊るされた巨大な王冠が電飾で光る225号室は名物の一つだ。ボタンを押すとベッドと一緒に周りの木馬がゆっくり回る。リラックスとは真逆を行くが、そこがいい。
◆首都圏から目当ての部屋を予約する若いお客も
現在の利用者は20~30代の若者が多く、わざわざ首都圏から目当ての部屋を予約して訪れる人も。
「ジェットバス、カラオケ、大型テレビに流行を取り入れた内装など、ラブホテルは時代の最先端が詰まった場所でもあったんです」
「ホテル フランセ」を語るうえで外せないのがラブホテルプロデューサーの亜美伊新氏。“ラブホ界のウォルト・ディズニー”と呼ばれるレジェンドがここを手掛けた。
◆時代の最先端が詰まったエンタメ空間を残す
「うちは27室すべてデザインしてもらったけど、もうそんなすごいデザイナーは出てこないし、コストも払えない。部屋ごとにリフォームが入って、今、デザインが当時のままなのは10室あるかないか。数は少ないけど、そういう部屋があるおかげで、強みや特徴が生まれていると思う。必要ではないけど不要でもない。非日常を味わえる場所として、できるだけこの文化を残したいですね」
回転木馬やSLのベッドには年輪が見られるものの、部分リニューアルされた水回りは新しく、掃除も行き届いていた。複雑な装飾を遺産になるまで保ってこられたのは、丁寧な管理の賜物だろう。
◆村上賢司氏オススメ 昭和ラブホBEST5
ホテル フランセ(岡山)
当時の流行をふんだんに取り入れたエンタメ系ラブホ。
ホテル ナポレオン(青森)
外の農村風景から一転、たじろぐほど豪華な室内が異世界。
ホテル アルファイン(東京)
1979年創業のSM専門ラブホ。当時作られた拷問器具はいまだ現役。
ホテル千扇(大阪)
日本最古級のラブホ。連れ込み宿の風情が残る部屋は一見の価値あり。
ホテル富貴(大阪)
千扇の姉妹店。部屋から廊下、階段に至るまで昭和40年代特有の和洋折衷で豪奢な装飾が特徴
<取材・文/週刊SPA!編集部>
―[絶滅危機の昭和遺産を追う]―