『イカゲーム』パクリ論争の背景にある「なぜ日本のコンテンツは売れない!?」怨嗟の念

 Netflixオリジナル韓国ドラマ『イカゲーム』が世界的に大ヒットしている。日本でも多くのメディアや評論家がすでに取り上げており、ここで改めて解説の必要がないほどの盛況ぶりである。

 イカゲームに対する日本社会の反応として多いものに、「日本のマンガが原作の『賭博黙示録カイジ』のパクリではないか」というものがあるが、これは専門家たちも巻き込んで一部、論争化する気配を見せている。実際にはどうなのだろうか――?

 実はこの部分に関して、ファン・ドンヒョク監督自身が言及したインタビュー記事がいくつかある。例えば、韓国・中央日報系のメディア「The JoongAng」の質問に対し、ファン監督は次のように答えている。

「デビュー作『マイファーザー』が好評だったが、商業的には失敗した。製作費が38億ウォン程度だったが、観客は100万人ほど。180万人で損益分岐点をクリアできた。08年に映画をひとつ準備していたが最後まで投資を受けられず、経済的に非常に大変だった。母・祖母と一緒に住んでいた時のことだ。借金をしながら“マイナス通帳”に頼り生活する状況に追い込まれた。『イカゲーム』のギフンと似たような経済的・心理的状態だった。そんな当時、マンガにはまっていた。『賭博黙示録カイジ』で借金をした人が巨額の賞金がかかったゲームをするのをみて、『僕こそこんなゲームに参加すべきじゃないか』と感情移入した。それを自分なりの方法で作ってみようと考えがつながり『イカゲーム』がでてきた」(The JoongAng 10月4日付「話にならないとされたはずが…“イカゲーム”10年越しに光を見た悲しい理由」)

 インタビューをみるに、“パクリ論争”に関しては、監督自身が「カイジに強くインスパイアされた」というのが答えである。パクリの定義は曖昧であるが、物語の形式や世界観を取り入れることがパクリなのであれば、確かにパクリなのかもしれない。

 この手の“パクリ議論”が起こる理由の背景には、「日本のコンテンツは優秀なのになぜヒットしないのか」、「インスパイア作品が原作より売れることが我慢ならない」、もしくは「日本のクリエティブはやはりレベルが高い」など、オリジナル原理主義、嫉妬、ゆがんだプライド意識などネガティブな感情が隠されていることが大半(しかも当の原作者は特に気にしていない)だ。

 ただ仮に、本当に日本のコンテンツ制作関係者が世界的に成功したいと考えるならば、「原作よりもなぜインスパイア作品が世界的にヒットしたのか」と、問いの方向転換するほうがよほど合理的ではないだろうか。ちなみにこのような、「オリジナルは日本産なのに」という論調は、映画やコンテンツ、エンタメ業界に限らず、日本の各ビジネスや技術開発の現場からもしつこいほど聞こえてくる“既聴感”のある言葉である。

 なお、韓国からヒット作品が登場すると、日本では「作品論」に成功の理由を求めることが多い。イカゲームに関しては、「格差問題が反映されている」、「社会性が強い」「人間ドラマが濃い」など、ほかの同ジャンル作品と比較し優劣を評論する論調が多いようだ。それは確かに理由のひとつなのだろうが、理由のすべてではないだろう。例えば、ある韓国誌記者からはこんな話を聞いた。

「韓国ではNetflixに売り込みをかける、監督やPD、脚本家、記者などがここ数年で急増している。みな専門性や追求してきたテーマがある人たちではあるものの、オールドメディアに従事しているだけでは生活が不安。どこかで一発あてたいという思いから、Netflixなど動画ストリーミング業界での作品づくりを目標にする機運が高まっています」

 これはNetflixなど動画ストリーミングサービスで作品化するために激しい競争が起きているということであり、作品論以前の問題として、良質なコンテンツが生まれるための下地が整いつつあるということになる。

 優秀な制作人材が競争するとなれば自ずと作品は淘汰され、予算の量や演者の質も変化してくるだろう。今後分析をするにあたり、Netflixが日韓コンテンツに割く制作予算やPR予算の違いや、作品選定フローなどが明らかになっていけば、なぜ『イカゲーム』がヒットすることになったのか、より生産的な議論ができるようになるかもしれない。もちろん、タイミングや運の要素も多分にあるはずだ。

 また監督の経験談も成功の要因を探すためには参考になる。ファン監督は「デビュー作は評価されたが商業的に成功できなかった」、そのため「経済的にものすごく苦労した」と話している。言い換えれば、「商業的な成功」に非常にハングリーだったといえよう。

 加えて、自身の辛い経験からカイジに魅せられ、どうにか自分の世界を表現しようとした。つまり、“作品を発信する主体”が自分自身だったのである。このふたつのモチベーションが、イカゲームを生んだ。

 日本のコンテンツ原作は世界に類をみないレベルの高さだ。しかし、それを実写化、ドラマ化した際には、世界の人にはあまり見てもらえない。「知名度が高い作品を、知名度が高い俳優陣で制作すれば、日本国内で数字はある程度取れるだろう」という、高を括ったモチベーションと自己満足感が透けてみえるからだ。そしてそのモチベーションは、個人というよりも集合的に形成されている。

 一方、個人が経験した喜び、悲しみ、苦しみをどう相手に伝えるか、伝えるためにはどう伝えればいいか、「共感」と「結果」対する試行錯誤のレベルがとても高く、必死だったからこそ、視聴者に伝わりイカゲームはヒットしたのではないだろうか。

 むしろ、ファン監督は自分の人生の勝負をカイジに感じたインスピレーションにかけたことになる。そこには、「パクったろう」という安易な発想どころか、作品に対するリスペクトや畏敬の念すら感じるのだが……。いずれにせよ、どう抱くに対する多角的な分析がなされ、日本のコンテンツ業界の刺激に繋がることを祈るばかりである。

  • 10/9 21:00
  • サイゾー

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