東京ディズニーランドの沖合にあった「一大レジャーランド」とは 芥川龍之介も書いた東京湾の鴨猟

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近年、狩猟に対する注目が高まっている。「山賊ダイアリー」や「罠ガール」など、狩猟をテーマにしたマンガ作品が人気となり、ネット上では「狩猟女子」が積極的に活動報告している。

猟といえば山中のイメージもあるが、山ではなく海、それも東京ディズニーランドの沖合に大きな狩り場があったのをご存じだろうか?

獲物だったのは「鴨」だ。1980年代半ばまで行われていた鴨猟の歴史を紐解き、往時を知る人に証言してもらった。(取材・文:檀原 照和)

野鳥の会によると…

そもそもなぜ鴨が大都会の目と鼻の先にいるのか? 答えはエサが多かったからだ。

戦後埋め立てが本格化するまで東京湾沿岸には遠浅の海が拡がっており、湾の大半がぐるっと干潟に囲まれていたという。干潟には鴨のエサとなる貝やカニなどが豊富にいたので引き寄せられたのだ。

千葉県は、現在も鴨が7万羽以上飛来する全国で4県しかない都道府県のひとつである。特に船橋市の「三番瀬」は都会にありながら、全国で2番目に鴨の飛来数が多いエリアとされる。

「日本野鳥の会」千葉支部が市川市沖で1991年に35回かけて行った調査によると、東京湾に現れる鴨はカルガモ、オナガガモ、ヒドリガモ、スズガモ、ホオジロガモ、ウミアイサの6種だという。群を抜いて多いのはスズガモという海鴨の一種だそうだ。ただし海鴨はまずい。撃っても食べるのはまれである。好まれるのは渡りをしないカルガモだ。

かつては大葦原で……

かつて江戸川河口の葛西から浦安、行徳といった地域は見渡す限りの大葦原で、冬の訪れとともに文字通り無数の鴨や野鳥が飛来していた。その葦原の水路を鴨撃ち船がしずしずと進んでいく。船頭が犬を葦原に放つ。犬は葦原を掻き分けながら進んでいく。やがて犬に気づいた鴨が一斉に飛び立つが、そこを猟師が狙い撃ちにする。沖にいる鴨を撃つやり方もあるが、湿原の多い浦安周辺ではこんな手順で狩りが行われていた。

東京湾の鴨撃ちは大正時代には既に行われており、芥川龍之介と豊島与志雄という二人の作家が体験を元にエッセイを書いている。タイトルは両作家とも「鴨猟」で「青空文庫」で読むことが可能だ。

このレジャーが大ブレイクした時期があった。終戦後の占領期である。進駐軍の兵士たちがこの猟にハマったのだ。焼け野原になり娯楽の少なかった東京で、近場で手軽に楽しめるこの猟は人気を博していたという。

ディズニー「開園後」も…

東京・江戸川区で屋形船「あみ弁」の代表を務める小島一幸さんは、往事の鴨猟を知る人物の一人だ。

「あみ弁」は一幸さんで9代目を数える船宿で、現在こそ屋形船を経営しているものの、漁業や船遊びを中心に稼いでいたという。裕福な旦那衆を船に乗せることも多く、進駐軍を相手に鴨船を出していた時期もあるという。

1960年代後半に産まれた一幸さんは、ほんの小さな子供の頃から父の船に乗せてもらっていた。

「鴨の沖撃ちの時は夜明けと同時に出発します。見上げると、空一面鴨の群れでいっぱいでした」(小島さん)

15人も乗ればいっぱいの和船(平船)に4?5人のお客さんを乗せるのが猟の常で、チャーター便のように貸し切りでグループを乗せる。

当時海に出ている船は漁船だけだった。現在のようにプレジャーボートや屋形船を見かける状態ではなく、流れ弾を心配する必要もなかった。

そもそも昔は、潮が引いたときに干潟から鴨を撃っていたのだという。遠浅の海は干潮時になるとかなり遠くまで干上がるため、干潟からでもほとんど沖合から鴨に狙いを定めているような塩梅になった。

やがて1969年、79年と徐々に特定猟具使用禁止区域(銃器)が増えていき、陸地からの鴨撃ちは困難になっていった。「沖撃ち」が好まれたのは、この干潟のぬかるみからの狩猟が禁止されたことも関係しているらしい。船から撃つ限りは合法なのだ。

「ディズニーランドが開園した83年当時、私は高校生でした。この頃は既に客を乗せて鴨を撃ちに行くことなくなっていました。しかし父や近所の猟師たちは自分たちの遊びの一環としてまだ撃っていたはずです」

そして1987年、禁猟区の範囲が再設定され、東京湾の鴨撃ちは終焉を迎えた。時代はバブル期に突入していた。

知る人ぞ知る狩猟場から、年間1800万人が訪れる「夢と魔法の王国」へ。舞浜では人知れず、レジャーの大転換が起きていたのだった。

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  • キャリコネ

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