基本給7万円の医療系からインフラ系へ転職。キツイ現場仕事でも「幸せ」なワケ

 コロナ禍がきっかけで働き方改革がいっそう進んでいる。仕事外の生活を充実させたいと、転職を考えている人も多いだろう。今の環境から抜け出したいと「コロナ転職」した人は、その後をどう過ごしているのか。今回は転職に大成功した20代男性のケースを紹介する。

◆コロナ転職で白衣から作業着へ

「転職して大満足しています。この仕事に就いてから体も変わりました。 将来が明るいです!」

 兵庫県で建設業に従事する孝史さん(20代・仮名)は、新たな人生に嬉しさを噛み締める。作業服の上からでも分かる、鍛えられた筋肉。どこからどう見ても「建設現場の兄ちゃん」な雰囲気の彼だが、コロナ前までは白衣を身にまとっていた。

「以前は整骨院で鍼灸師をやっていました。昨年退職し、今は電気工事士として働いています。転職自体はずっと考えていましたが、やめるやめると言いながらズルズル働いていたんです」

 孝史さんは医療専門学校を卒業後、地元の鍼灸整骨院に就職。鍼灸師として3年働き、今の職へと移った。医療系とインフラ系、まるで違う職種。転職のきっかけになったのは、やはり将来への不安からだった。

「鍼灸師時代は朝7時半に出勤して、帰宅は毎晩22時の生活をしていました。土曜日は午後まで働いて、完全休日は日祝のみ。土曜も半休とはいえ、仕事が終わると社長との飲みやサウナに付き合わされ……いつも終電帰宅でした。そんな生活を送っているうちに、仕事と生活のバランスが取れなくなってしまったんです」

 近年関心が高まっているライフ・ワーク・バランス(生活と仕事の調和)の考え。孝史さんの場合、仕事に追われてプライベートの時間が持てなくなってしまった。

 入社前に聞かされていた労働時間も、実際にはまるで違っていたという。

◆基本給は7万円。ブラックな鍼灸師の世界

「12時から16時までは中休みと決められていましたが、その時間には往診に行かされていました。午前診療が終わったら、昼食を食べてすぐに往診。戻ってきたら休む間もなく午後診療です。自分の時間も無いし、給料も悪かったです。基本給が7万円だったんですよ……」

 残業代は無く、資格手当や交通費などを含めてトータルの額面は15万。手取りを考えると、ぎりぎり生活していける程度だろう。孝史さんは転職するタイミングを伺っていたが、なかなか機会が訪れなかった。行動を後押ししたのがコロナの流行だ。

「コロナが流行りはじめてから往診が無くなり、外来も1日3人くらいに減りました。その状況を見た時に、『自営業はあかん。安定した仕事にせな』って痛感したんですよね。鍼灸師は自分で店を開くしか将来の選択肢が無いんです。そうなると、今回のように何かあった時は閑古鳥が鳴いてしまいます」

 帝国データバンクの調査結果によれば、そもそも整骨院(接骨院)市場はコロナ前から飽和状態にあった。背景にあるのは、平成10年に行われた柔道整復師専門学校の規制緩和、それにともなう有資格者・新規店舗の増加だ。

 また、2000年代に入り、開業に公的資格を必要としない格安の「もみほぐし(マッサージ)店」も急増。店舗数増加と比例する形で、倒産件数も年々上がっていた。

 ただでさえ競争が激しいところに、コロナ禍での来院・往診自粛。個人経営の店舗はもちろん、大手チェーンすら打撃を受けている。

「安定した仕事に魅力を感じるようになった」という孝史さんの選択は正しかったのかもしれない。しかし転職に際し、不安はなかったのだろうか。

「不安はまったく無かったです。『とりあえず辞めて違う仕事をせな』という気持ちが強かったので。最初はゴミ収集のトラック運転手をしようと考えていたんですよ(笑)。コロナでもゴミは出るし、ゴミ収集なら絶対に仕事が無くならないだろうと思って。でも、ハローワークの職員さんに止められたんです」

◆ハローワークで説得されて…

 孝史さんは退職後、ゴミ収集の仕事を探しにハローワークへ足を運んだ。担当になった職員に事情を話したところ、待ったの声がかかったという。

「ハロワの人に、『君はまだ若いんだから、この仕事はやめといたがいい。手に職をつけたほうがいいよ』と諭されました(笑)。その時に勧められたのが、電気設備の職業訓練です。『安定した仕事で君の理由やったら、電気もアリなんやない?』って。それで職業訓練校の電気設備科に通うことにしたんです」

◆建設業の会社で電気工事士に

 昨年の秋から半年間通い、危険物取扱者と消防設備士の資格を取った孝史さん。その後、今年4月から建設業の会社に入社した。

「建設現場の電気を担当するサブコンです。入社してから、第二種電気工事士の資格を取得しました。コロナでホテルとかの建設は減っているけど、代わりに倉庫や他の現場があるので先も安心です」

 労働時間は朝8時から17時。昼休憩の1時間と別に、午前と午後に30分ずつの休憩があるという。

「休みは土日祝だけど、土曜日出勤をすると出勤手当が出ます。手取りは20万で、1年目からボーナスもありました。なにより嬉しいのは、健康的な生活ができるようになったことです。今は現場が遠くて朝5時起きなので、自由に使える時間はちょっと増えたくらいですが、肉体労働で疲れてぐっすり眠れるようになったんですよ」

◆今は資格取得にチャレンジ中

「心が健康になり、人並みの生活が送れるようになった」と喜ぶ孝史さん。もともと筋肉が付きにくい体質だったが、この半年でかなり鍛えられたそうだ。鍼灸師の時は考えられなかった将来のビジョンも、細かく描けるようになったという。

「肉体労働なので、体にガタがくるのも早いと思っています。現場には60~70歳の人もいるけど、40歳を超えている先輩たちは『管理する側にまわる』って言っている人がほとんど。このままずっと現場でとなると、年収700万になるのは50歳の時。そこまで体がもたないでしょう。なので、この仕事は3年くらい続けて、その後は設備保全(ビルや商業施設のメンテナンス)に移ろうと考えています」

 目下の目標は、設備保全に必要な資格の取得だ。既に「高所作業車運転者」や「酸素欠乏・硫化水素危険作業主任者」など多数の資格を取得している。

◆資格があればあるほど給料が上がる

「現場と違って、設備保全は資格があればあるほど給料が上がる世界です。いつか来る日のために頑張っています。肉体労働はきついですが、鍼灸の資格を持っているからこそセルフメンテナンスしながら働けています。最終目標は職業訓練校の講師です。自分が通っていたところの講師がすごく良い人で、自分も先生になろう! って影響を受けました。講師になるためにも、実務経験を積んで資格をいっぱい取ろうと計画しています」

 今は趣味になってしまった鍼灸も、老後に再び活用させようと考えているそうだ。

「講師を引退して70歳くらいになったら、自分で鍼灸院をやりながら出張で電気工事をやりたいです。こういった夢を持てるようになったのも、転職したおかげですね」

 そう語る彼の顔は、将来への希望に満ちあふれていた。環境を変える一歩を踏み出したら、見える世界も違ってくるかもしれない。

<取材・文/倉本菜生>

―[「コロナ転職」のその後]―

【倉本菜生】

福岡県出身。フリーライター。龍谷大学大学院在籍中。キャバ嬢・ホステスとして11年勤務。コスプレやポールダンスなど、サブカル・アングラ文化にも精通。Twitter:@0ElectricSheep0

2021/10/8 8:54

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