高偏差値なオンナたち:自分よりも低学歴な夫が海外駐在に。復職断念を迫られた妻は、口が滑って…

高い偏差値を取って、いい大学へ進学する。

それは、この東京で成功するための最も安定したルートだ。

…あなたが、男である限り。

結婚や出産などさまざまな要因で人生を左右される女の人生では、高偏差値や高学歴は武器になることもあれば、枷になることもある。

幸福と苦悩。成功と失敗。正解と不正解。そして、勝利と敗北。

”偏差値”という呪いに囚われた女たちは、学生時代を終えて大人になった今も…もがき続けているのだ。

File1. 亜由美(30)

早く仕事したい…亜由美が待ち望む復職の日

「一体、こんな日がいつまで続くんだろう…」

育休中、亜由美は毎日こう思いながら、1歳になる娘の結衣と過ごしていた。

朝はEテレの幼児番組を見て、天気がよければ公園に遊びに出かける。その後は昼食をとり、結衣のお昼寝タイムには溜まった家事と離乳食作り。

結衣がお昼寝から目覚めたらおやつを食べさせて、その後は児童館や図書館に行く。

結衣を遊ばせながら、その場にいるママ友と当たり障りのない会話をして、スーパーで買い物して帰宅。その後、夕食を作りお風呂に入れて寝かしつけ…

恐ろしいくらいに、毎日が同じようなスケジュールだ。

妊娠前によく着ていたセオリーのスーツも、長い髪を巻くためのヘアビューロンも今は全く用がない。

セルジオ ロッシのピンヒールの代わりにスニーカーを履く毎日は、あまりに退屈で刺激がなく、亜由美は心底うんざりしていたのだった。

そんな亜由美の、たった一つの希望。

それは、もうすぐ申し込みが始まる保育園を確保して娘を預け、時短でも職場に復帰することだった。

「こんな生活ももう少しの辛抱よ!あと数ヶ月で育休が明ける。そうしたらバリバリ働くんだから!」

独り言のように呟きながら、夕飯の準備に取り掛かる。

― 私が復職したら、直樹にも離乳食を作ってもらえるように作り方教えておかなきゃ。あと、日用品のリストも作っておいて、切れても直樹がすぐにネットで買えるようにしておこうっと!

復職後のプランを頭に思い描きながら、ハンバーグを焼きはじめた、その時。

玄関の鍵がガチャっと開く音がした。

「直樹、おかえり!ほら、結衣ちゃん。パパ帰ってきたよー」

いつも通りに直樹を出迎えるが、帰宅した直樹の顔は、普段に比べて明らかにこわばっていた。

― なんか様子が変だなぁ。どうしたのかしら?

そう思いながらも、亜由美はできたばかりの夕食をダイニングテーブルに並べた。

離乳食もトレイに並べ、まず先に結衣の食事を終わらせる。

そして、亜由美がやっと残りの自分の食事に手をつけようとすると…直樹が言いにくそうに口を開いたのだ。

「あのさ、話がある…」

直樹の突然の話に、亜由美の希望は…

「どうしたの?急に…」

恐る恐る聞く亜由美に、直樹は言いよどむ。

「今日、駐在の内示が出た。デトロイトにある工場の研究所に2年間出向してほしいと言われたんだ」

あまりに突然のことで、亜由美は状況を飲み込めない。

「駐在って…それってつまり…」

「うん。本当に申し訳ないけど…。亜由美には退職してもらって、一緒にデトロイトに来てほしい」

深い穴に落ちていくような絶望が、亜由美を襲う。

直樹はずっと技術開発職として働いてきた。技術畑の彼にとって、海外の研究所への出向はキャリアの飛躍だ。そのことは亜由美も理解している。

「でも…」

言いかけた言葉を亜由美はぐっと飲み込む。

言葉の続きはこう続くはずだった。

― でも…なぜいつも私が我慢しなきゃいけないの?私のほうが、優秀なのに。

亜由美と直樹は、大手化学品メーカーの同期だ。

小さい頃から成績優秀だった亜由美は、現役で東大に進学し、営業職を経て経営戦略室に異動した。

経営戦略室といえば、社の中ではエースが集まる花形部署。

「亜由美さんの席は空けたままにしているからね!戻ってくるのを心待ちにしているから」

会社の上層部にも目を掛けられていた亜由美は、産休に入る時に色々な人がそう声を掛けてくれた。

同期の中では出世も早く、何よりも、仕事を心から楽しめていた。そんな自分はずっとこの会社でキャリアを築いていくのだと、亜由美はたった今まで信じて疑うことすらなかったのだ。

一方の直樹は、一浪の末に早稲田。理工学部の修士課程を修了し、技術開発職として入社した。研究職としては優秀だと聞くが、出世欲もそこまでない直樹は、社内でも目立たない存在である。

― 直樹が赴任になったら、私はあっさりと自分のキャリアを諦めるってことなの?なぜ私が、直樹のために自分のキャリアを捨てなくてはならないの?…東大卒のこの私が…!

でも、もしこの言葉を言ってしまったら。

きっと、直樹を傷つける。絶対に、家庭に決定的な亀裂が入る。

そう思った亜由美は、心の中で泣きながら、どうにか声を絞り出して答えるのだった。

「うん、分かったよ…。考えてみる…」

身を引き裂かれるような決断から、半年後。

会社を退職した亜由美は、直樹の駐在に帯同してデトロイトでの毎日を送っていた。

職場も住まいも、デトロイト市内から少し離れた工場地域。中心部に比べれば治安は悪くないものの、それでも、夜の出歩きは控えるように言われている。

日本よりも車社会のアメリカでは、苦手な運転も避けては通れない。スーパーの食材ひとつとっても、味も量も違う。何もかもが日本とは違ったデトロイトでの生活は、駐在生活2ヶ月という月日が経った今でも、亜由美を日々混乱させるのだった。

いつまでも進まないと感じてしまうカレンダーを睨みつけながら、思わずため息をつく。

「本当なら今ごろ、結衣を保育園に預けて復職してるはずだったのに…」

みるみると消耗していく亜由美とは対照的に、直樹は絶好調のようだった。未経験の技術にも携わることができ、アメリカでの生活を謳歌している。

でも今の亜由美にとっては、そんな直樹を見ることすらストレスになってしまっていた。

― 私は一体なんのために東大に行ったの?どうして直樹を優先しなきゃいけないの…?

慣れない海外生活と、仕事に戻りたい気持ちがピークに達して、心の中でついそんなふうに毒づいてしまうのだ。

鬱屈とする亜由美の様子に、直樹も薄々気が付いているのだろう。家事を積極的に手伝うなど、妙に気を遣ってくれることも多い。

そんな気遣いがより一層イラつきを増幅させていた、ある晩のこと。

ほんの些細な夫婦の会話が、ついに亜由美の気持ちを限界に到達させた。

「ねぇ、結衣のプリスクールの見学だけど…」

そろそろ結衣の教育についても、きちんと取り組まなければいけない。憂鬱な日々の中でもずっとそう考えていた亜由美が切り出すと、こともあろうに直樹は、気怠げな顏で答えたのだ。

「悪いけど見ておいてくれないかな?俺、平日は忙しいから」

その瞬間、心の中で張りつめていたものがプツリと切れたのを感じた。

― なにそれ?結衣のことだっていうのに、自分には関係ないとでも?仕事が忙しいのは、あなたが望んだことでしょう?私だって、私だって…!

気がつけば亜由美は、全く感情の浮かばない顔で虚空を見つめていた。

そしてついに…。

秘め続けていたある言葉を口に出してしまったのだ。

“あの一言”を発してしまい、夫婦の間から会話が消える

「ねぇ、なんで…?なぜあなたのために、私が犠牲にならないといけないの?」

直樹と目を合わせずに、遠くを見つめる。視界は定まらないというのに、口は止まらなかった。

「ずっと優秀だと言われ続けて、現役で東大にも受かった。会社でも、周りの誰もが認めるほどに出世していたし、将来有望だって言われていたのよ。

ねぇ、一体何のために、私は東大出たのよ。こんな毎日を過ごすためなの?おかしいでしょう?私の人生どうしてくれるのよ!」

全てを吐露してしまってから、亜由美はようやく我に返る。

― しまった…何てことを言ってしまったのだろう…

そう思った時には、すでに遅かった。視界は涙でにじんでいる。とんでもないことを言ってしまった後悔が押し寄せる。

それでいて、解放感にも似た気持ちも確かにあった。ずっと抱き続けていた、ドロドロとした感情の解放。

あらゆる気持ちがない交ぜになったグチャグチャな状態で、亜由美はようやく、恐る恐る直樹を見る。

しかし、亜由美の気持ちをぶつけられた直樹は、一言の反論すらしなかった。

「……」

ひたすらに黙り込む直樹の瞳は、深い沼のように暗い。

― 直樹を傷つけた…?ううん、この表情は…!

静まり返るリビングで、直樹の本当の気持ちに気付いてしまった亜由美は、ただ言葉を失い立ち尽くすのだった。

全ての思いを直樹にぶつけてしまってから、1ヶ月。

ー あんなふうに当たり散らしたんだもの。もう私たち、終わりかもしれない。

そんな覚悟すらした亜由美だったが、直樹の態度は拍子抜けするくらいに”普通”だった。

お互い何事もなかったかのようにふるまい、“あのこと”には触れない。それはまるで、絶対に踏み入ってはならない、夫婦のタブーのようだった。

そんな暗黙の了解の中で過ぎていく、いつもと変わらない単調な日々。

ただ、全てが元通りになったようでいて、変わったことが2つだけあった。

1つは、直樹が仕事の話を全くしなくなったこと。

そしてもう1つは、もう、貞淑な妻になる努力を放棄したことだ。

― 私のほうが優秀なのに、これ以上我慢するのはもう無理だわ!

薄々と分かっていたことだったが、あの日、口に出してしまったことで、亜由美は確信していた。

幼いときから高い偏差値を誇り、高学歴を手に入れた。でも…その肩書は女にとって、"呪縛"でもあるということに。

そして、高偏差値な女。その呪縛に囚われているのは、自分だけではなく、直樹もだということに…。

自分より優秀な女を閉じ込めておきたい。外の世界なんて見せたくない。

あの日、直樹の瞳の奥にあったのは、そんな薄暗い男のプライドだった。

― ねえ、私…。何も分からず、夫と家族のためだけに生きられる女だったら…もっと幸せになれたの?常に高みを目指した私は、人生を間違えたの…?

それぞれの呪いにかけられ、がんじがらめになった夫婦は、これ以上一緒にいることはできない。

そう思ってしまった亜由美は、この1ヶ月、直樹に隠れてあるメールのやりとりをしていた。

その相手は…会社の人事部。

「自分は誰よりも優秀」

「たとえ愛を捨てることになっても、自分の能力を活かしたい」

そんな想いにとらわれた亜由美は、自ら、退職した会社にジョブリターン制度の制定を要求していたのだった。

亜由美は夕食作りのかたわら、先ほど届いたばかりのメールを何度も読み返す。自然と頬が緩み、笑顔が溢れる。

こんなふうに心が沸き立つような喜びを感じるのは、いつぶりだろう。

人事部から届いたメールは、こんなふうに始まっていた。

「弊社では、次年度より正式に『ジョブリターン制度』を導入します。

ジョブリターン制度は、結婚や出産、配偶者の転勤、介護などで退職した元社員を対象にした制度です。

新卒採用にも力を入れる一方で、やむを得ない理由で退職された元社員の方に再度ご活躍いただける場を…」

メールの文末に、所属していた経営戦略室のトップが亜由美の復帰を心待ちにしていることが記してあった。

その時。

玄関の鍵がガチャっと開く音がした。

「直樹、おかえり!ほら、結衣ちゃん。パパ帰ってきたよー」

いつも通りに直樹を出迎える。

できたばかりの夕食をダイニングテーブルに並べる。

離乳食もトレイに並べ、まず先に結衣の食事を終わらせる…。

そして、すべてのルーティンを終えた亜由美は、満面の笑みを浮かべながら直樹の前へと座り直した。

― 今夜こそ、直樹と仕事の話をしよう。もちろん、直樹のではなく…私の仕事の話を。

自分が職場に復帰するということは、直樹は単身赴任になるということだ。

しかし、誰よりも優秀な自分には、夫の愛よりも相応しいものがある。穏やかな生活を捨ててでも、キャリア復帰にチャレンジしたい。

たとえ直樹から別れを告げられたとしても…。

もう一度キャリアを目の前にした亜由美にとって、もはやそんなことはどうでもいい。

呪いが解けないままに、外の世界へと羽ばたく未来。

それに比べれば夫の愛など、些細なことに感じられるのだった。

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2021/10/8 5:05

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