月50万のお小遣いとハリーウィンストンの結婚指輪。なのに専業主婦の女が不幸に感じるワケ
「相手にとって完璧な人」でありたい—。
恋をすると、本当の姿をつい隠してしまうことはありませんか。
もっと好かれようとして、自分のスペックを盛ったことはありませんか。
これは、恋するあまり理想の恋人を演じてしまう“背伸び恋愛”の物語。
◆これまでのあらすじ
東京に暮らすズボラ女子・芹奈と、伊勢志摩でワーケーション中の自信のない男・瑛太。ついにカップルとなった2人は、初デートの翌日昼過ぎまで一緒に過ごす。そして、名残惜しくも品川駅で手を振り別れたが…。
▶前回:「正直、疲れたな…」最高のデートの翌日に女が思ったある本音とは
芹奈の後ろ姿を見送り、瑛太は寂しさいっぱいのまま改札前から動き出した。
そのとき、突然背後から声がした。
「あの、すみません」
品川駅のコンコースを歩いていた彼は、歩みを止める。声の方を振り返って見ると、そこには女性が立っていた。
胸のあたりにまで伸びる艶やかな黒髪を持つ女性は、困ったような表情で瑛太を見上げていた。
「はい。どうされましたか?」
道に迷ったのかなと思った瑛太は、歩み寄りながら尋ねた。すると女性は、小さな声でささやくようにこう言ったのだった。
「…瑛太さんでしょ?」
「…は、はい」
知らない人だと思っていたのに突然名前を呼ばれ、驚いた。
会ったことのある人だろうかと女性の顔をじっと見るが、まったく記憶にない。混乱しながら固まっていると、女性から笑いかけられた。
「ふふ…ごめんなさいね。私、芹奈さんとお友達なの。園田美羽といいます」
ペコリと頭を下げる美羽。
瑛太は「ああ」と言って笑顔をつくった。
「私ね、先月芹奈さんとお料理教室で一緒になって。そこから仲良くなってお茶もして」
美羽はひとりで話し始めた。そして、嬉しそうな様子でこんなことを言うのだった。
「それでね、知ってます?あの子、実は、料理が得意なんて嘘なのよ」
「…え?なんの話ですか?」
「本当の芹奈さんを知ったら、瑛太さん、芹奈さんのことどう思うかしら」
美羽は、なぜか顔をほころばせながら話すのだった。
瑛太に忠告する美羽の本性とは一体…?
園田美羽、29歳。
現在、専業主婦の彼女は開業医である夫と結婚2年目を迎えたところだ。
地元の短期女子大学を卒業し、就職を機に上京した美羽は、大手電機メーカーの一般職として事務に従事する。そして、食事会で出会った医者をつかまえ、27歳で寿退社をした。
結婚してすぐの頃、美羽は有頂天だった。優秀な夫、都心の4LDK。毎月自由に使えるお金は50万円貰え、ブランド品をたくさん買った。
そんな暮らしぶりに、地元の友人や前職の同僚から羨望の眼差しが向けられるのは、とても気持ちがよかった。
田舎で生まれ育った美羽は、学生の頃から、このような絵に描いた贅沢な暮らしをしてみたくてたまらなかった。そこで、夫に出会ったとき、この人と結婚すれば憧れていた世界が手に入るのではないかと考えたのだ。
だから、結婚のためならどんな嘘でもついた。
自分を盛って、盛って、盛って。
美羽の本当の性格である“自分勝手さ”を押し殺し、相手に仕える控えめな女を演じた。いつも可憐に、可愛く振る舞い続けた。
努力の甲斐あってプロポーズされたとき、夫はこう言ったのだ。
「美羽の献身的ところが決め手だよ。こんな女性がこの世に実在するんだな」
献身的。
それを演じることが、自分が憧れる世界で生きていくための方法なのだ。美羽は、そう理解した。
だから「献身的」という言葉に忠実に、昼も夜も、夫の世話をお手伝いさんのように続けてきた。
一度だけ、そんな暮らしに嫌気がさして、家政婦さんを頼もうかと夫に話したときのこと。
「え?どうして?キミ、時間ならたっぷりあるんじゃないの?」
微笑みながら言った夫に、美羽は何も言えず、その話は流れた。
表面上はとてもバランスのとれた平和な夫婦だ。よく稼ぐ夫と、その夫を支える献身的な専業主婦。
しかし、それは美羽にはとても息がつまることだったのだ。
夫と暮らす部屋にいると、ここだけ酸素が薄いのではないかと思うくらい呼吸が苦しく思えた。
そして結婚して1年が経つ頃、美羽はこう考えるようになった。
― もしあのとき、自分を飾らなかったら?
自分がありのままに振る舞っても、笑って受け止めてくれる人。そんな誰かと出会えていたら、今頃、もっとのびのびした生活を営むことができていたのではないか。
夫の補佐係としての人生ではなく、美羽という1人の人間としての人生を生きられたのではないか。
そう思うと、美羽は後悔を抑えきれなかった。
その場合は、結婚指輪はハリーウィンストンではなかったかもしれないと思う。
月に自由に使えるお金も、こんなには貰えないかもしれない。下手したら、東京の外れに住むことになって、仕事も続けなければならないかもしれない。
でも、美羽の想像のなかでは、その方が自分は幸せであったような気がするのだ。
― だから、結婚相手探しのときは、背伸びなんてしないで、ありのままを愛してくれる人を探した方がいい。なのに…。
1人、ベッドに腰掛けてInstagramを開き、大きなため息をつく。
― ほーら、やっぱりこの子、取り繕って無理してる。かわいそうに。
美羽が見ているのは ――芹奈のアカウントだった。
芹奈に自分を重ねる美羽は、品川へと向かう…
料理教室で初めて芹奈を見たとき、美羽は自分と似たものを感じた。
背伸びして、誰かに気に入られるため必死になっている雰囲気が出ていたのだ。だから、気になって近づいた。放っておけなかった。
カフェでお茶をしたとき、芹奈に見せてもらったInstagram。美羽はその瞬間にユーザーネームを記憶して、彼女のアカウントをこっそりずっと見ていたのだ。
今見てみると芹奈のアカウントに、ストーリーズがアップされている。
朝の9時過ぎ。スーパーマーケットの入口とともに写っている「いまからブランチ作ります♪」の文字。
そのスーパーマーケットの自動ドアに小さく書かれていた店名を、美羽は凝視した。
― へえ、あのタワマンのスーパーね。瑛太さんの家なんだろうな。
「たすけてあげる…」
美羽はストールを羽織り、玄関のドアノブに手をかけた。
― だって自分をごまかした先には、窮屈でつらい日々が待ってるもの…。
タクシーを飛ばし目当てのタワマンに着くと、植木の横に腰掛けた。
それから昼過ぎまで2人が出てくるのを待ち、その姿を見つけると後をつけたのだった。
◆
品川駅の往来のなかで、瑛太は眉間にシワを寄せ美羽を凝視した。
「ちょっと、何言ってるか…」
「だからね、芹奈さんはあなたが思ってるような女じゃないわ。あなたが好きになったのは、本当の芹奈さんじゃないの」
笑顔のまま、ヒソヒソ話をするときのような声で、美羽は言った。
「彼女はね、あなたの理想を演じてるの。でもね、うわべしか見ないなんて、お互いにとって不幸よ」
瑛太はしかめっ面のままペコリと頭を下げ、美羽を背にそそくさと歩きだす。突然声をかけられてよくわからないことを言われ、気味の悪さが胸いっぱいに広がっていた。
芹奈に何か隠されているのか、と瑛太は考えを巡らせるが、事態がよく飲み込めない。
芹奈は、可愛くて性格も良くて、まさに理想の女の子だ。
…さっきまでそう思っていたのに、美羽の声が耳の中にまだ残っていて、いやな響きで何度もリフレインする。
そのせいで、さっきまでの幸福に包まれた気持ちに、影がさしていくのだった。
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美羽の言葉が気になる瑛太は、ある決心をする