地方局女子アナ「フリー転身」の夢と現実。転職失敗、アルバイト生活も
華やかなイメージのある「女子アナ」の世界。特にキー局の女子アナはタレント同様の扱いを受け、退社と独立を発表すれば世の中的には祝福ムードが漂う。しかし、その後は全員がフリーランスとして成功できるわけではないにもかかわらず、その実情はあまり知られていない。特にキー局ほど知名度があるわけではない、地方局出身の女子アナには、どのようなセカンドキャリアが待っているのか。
自身も女子アナとして青森放送などの地方局を中心に活躍し、現在は日本アナウンサーキャリア協会の代表理事、株式会社トークナビの代表取締役を務める樋田かおり氏に、女子アナが向き合うセカンドキャリア問題を聞いた。
◆女子アナが直面する「30歳限界説」
一般的な会社員は年齢を重ね、キャリアを積めばどんどん任される仕事が増えるものだ。しかし、女子アナの場合はそうではないと樋田氏は言う。
「残念ながら、『番組に求められるフレッシュさがない』などの理由で徐々に居場所がなくなっていく人もいるのが現状です。私はこの状況を“30歳限界説”だと感じていました」(樋田かおり氏、以下同)
つまり、30歳前後で仕事が減っていく人もいるということ。キー局のアナウンサーにはそんな不安はほとんどないが、地方局アナウンサーの場合は“30歳限界説“を感じやすい。その理由について樋田氏が説明する。
「キー局のアナウンサーは正社員ですが、地方局のアナウンサーは契約社員の場合もあるのです。契約は3年のことが多いので、新卒の22歳で採用されたとしても契約が切れる25歳の手前で次の仕事を見つけるための就職活動を始めます」
◆25歳、28歳…3年ごとに続く就職活動
女子アナになるまでは当然、厳しい競争を勝ち抜かなければならないが、晴れてポジションを獲得してもそれで終わりではない。苦労して採用されても契約は3年で切れてしまう場合もあるため、延々と試験を受け続ける必要がある。
「人によっては3年ごとに試験を受け、さまざまな地方局を渡り歩くため、経歴が複数の局になることも。念入りに準備してうまく試験に合格することができればいいですが、必ずしも次が決まる保証もない厳しい世界です」
試験の内容は「自己PR」はもちろん、「カメラテスト」や「フリートーク」などが試される。順当にいけば、25歳、28歳、31歳のタイミングで別の局で働くことになるが、経験者採用の枠が毎年あるとは限らず、再就職も難関なのである。彼女たちは、その後どうなってしまうのか。
◆芸能人扱いはキー局出身、地方局出身がたどり着く先は…
女子アナといえば、テレビ局に所属せずとも「フリーランス」として芸能人のように成功している人も多い印象だ。しかし、「そのイメージはキー局出身のアナウンサーで、地方局出身のケースとは全く異なる」と樋田氏。
芸能人のように活躍することを地方局出身者が夢みたとしても、実際に経験してきた仕事内容や知名度が違いすぎる。そして、多くの人がセカンドキャリアに悩むという。
「なんとか2~3局を渡り歩くことができたとしても、30歳を迎えてセカンドキャリアが見つけられず、途方に暮れてしまうアナウンサーは多いんです」
◆ほとんど仕事がなく、一般企業に転職してもうまくいかない現実
仮に一般企業に転職しようとしても、それまでアナウンスの仕事しかしてきていないので、パソコンやビジネススキルが乏しく難しい側面があるという。
「入社できても数年で辞めてしまうんです。インターネット放送の会社に正社員や契約社員で入ってニュースを伝える“話し手の仕事”が定期的にあるという成功例もありますが、それは稀ですね」
そこでたどり着くセカンドキャリアは「フリーアナウンサーとして事務所に所属する」か「家庭に入る」の2パターンだ。
「個人事業主としてフリーアナウンサーになり、事務所に所属するパターンは、ホームページに綺麗な宣材写真が載って承認欲求も満たされます。
ただ、実際には所属しているだけで1か月に1本の仕事があるのかどうかという状態。それでもオーディションに備えてスケジュールに余裕がないといけないので、他に(正社員などの)仕事を掛け持ちすることもできません。そのため、シフトが組みやすいアルバイト生活という人も少なくありません。事務所に所属すればチャンスが広がると言われているものの、ほとんど仕事がないこともあります」
それでも「アナウンサー」として生きていきたいという強い思いを抱え、過去の華やかな世界を忘れられない人が多い。だからこそ、事務所に所属して常にスタンバイしておくことで、1つでもチャンスを掴みたい——。
しかし結局は結婚し、家庭に入ってしまう女子アナが多いという。
◆“目的地”までの道が見えなかった
じつは、自身も地方局のアナウンサー時代を経て、30歳を前にそんな現状に悩んだ。
「頑張ってオーディションに合格して番組のレギュラーを獲得しても、その番組がいつ終わるかわからない。だから、最終的には自分で仕事や居場所をつくらなければいけないと思ったんです。ですが周りは『事務所に所属したり家庭に入ったりするしか道はない』と思い込んでいるアナウンサーが多い。そこで、志のあるアナウンサーたちの受け皿になろうと思いました」
そして、自分で会社を立ち上げることを決意した樋田さん。まずは、たくさんのアナウンサーの声を聞いてまわった。
「1分1秒を争ったあの現場に戻りたい」
「声を通して、人に喜びを届けたい」
そんな想いを捨てきれず、事務所に所属しながらナレーションの勉強を続けるアナウンサーが多いことに気づいた。
「アナウンサーは真面目で勉強熱心な人が多いのですが、目指すべき目的地とは全然違う方向に行ってしまう人もいます。それでは仕事につながらない。そこで、電車やバスの駅のように『ここから乗れば目的地にたどり着ける』という場所が必要なのではないかと」
樋田氏は、仕事に直結する仕組み、プラットホームをつくることを考えた。
「また、同じ地方局出身のアナウンサーでも積み上げてきた経験値は異なるため、能力を数値化することが難しかったんです。それならば、目安となるような“検定”を行えばいい。経験値を統一できるような“研修”の制度があればと思ったんです」
◆女子アナの新たな可能性を求めて
多くのアナウンサーが、「仕事は出演者として話すこと」という固定観念にとらわれていた。だが、その能力をいかせる仕事がほかにもあるのではないかと考えた。
「地方局では、アナウンサーが自ら企画を考えたり、ニュース原稿を書いたり、映像の編集をすることまであって。ディレクターのように一連の流れを把握しています。根性も鍛えられますね。とはいえ、“フリーアナウンサー”の仕事は番組MCやインタビューなど、狭い範囲に限られています。もっと広い視野で見れば、活躍できる場所があるはずなんです」
そこで発案したのが「女子アナ広報室」。アナウンサーとして、一般企業の広報・営業・人事などを手伝うことだった。
「アナウンサーはコミュニケーション能力に長けていて、相手の良さを引き出すことが得意です。会社がより魅力的に伝わるように、長所を客観的に発見し、わかりやすく編集・加工することができます」
メディアで表に出ることだけではなく、一般企業まで目を向ければ仕事はたくさんある。そう考えれば可能性は広がり、セカンドキャリアとしても確立できるというわけだ。
◆女子アナならではの達成意欲をくすぐるオーディション
女子アナ広報室は、アナウンサーが一般企業の広報を代行する事業。しかし、アナウンサー経験があれば誰でも所属できるわけではない。
「アナウンサー出身者は競争意識が強くて、“オーディションを勝ち抜いた達成意欲”こそが自信につながるんです。そのため、女子アナ広報室は地方局の試験のような採用試験を行い、勝ち抜いた人だけが所属できるようになっています。
応募人数60人中3人程度しか採用されない狭き門で、所属できた人はある意味、地方局アナウンサーのピラミッド最高峰のような気持ちになれる。もちろん、広報経験がない人ばかりですから、所属後は研修を12時間以上、加えて毎月研修を行います。どんどん能力を高め、自信もついてくるようになっています」
◆好きを仕事にするからには…
樋田氏は「アナウンサー経験者が『自分の名前で生きていくこと』を叶えられるようにしたい」と意気込む。長く働けるための場として、女子アナ広報室のほか、「人事室」や「営業室」も提供している。
「仕事は人生の中で占める割合が大きいものです。だからこそ“好きを仕事にしよう!”と提唱しています。そのためには、“求められる人材”に変化して対応していかなければならない。学び続けて、能力を高める必要があります。仕事を選択できる自由と、ライフワークバランスが整ったら幸せなことですね」
そのセカンドキャリアには、女子アナならではの仕事観や苦労もありながら、いま新しい価値が生み出されようとしている。今後は女子アナが一般企業で活躍するのが当たり前になるなど、より身近な存在になっていくのかもしれない。
<取材・文/松本果歩、撮影/藤井厚年>
【松本果歩】
恋愛・就職・食レポ記事を数多く執筆し、社長インタビューから芸能取材までジャンル問わず興味の赴くままに執筆するフリーランスライター。コンビニを愛しすぎるあまり、OLから某コンビニ本部員となり、店長を務めた経験あり。Twitter:@KA_HO_MA