【連載対談】【対談連載】エディオン 相談役 岡嶋昇一

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【名古屋発】2019年、岡嶋さんはエディオンの相談役に就任し、企業経営の第一線から退かれた。私が「まだまだやれたでしょう。もっとしがみついて、ボロボロになるまでやればよかったのに」と無責任な言葉を発すると、「しょうちゃんらしい、散りぎわの美学ですよ」と簡単にいなされた。それもどこか爽やかで、ちょっと悔しい。でも、この業界を大所高所から客観的に俯瞰する目は健在だ。目先の利益だけにとらわれる傾向が強まる昨今、岡嶋さんのような存在はとても貴重なのだ。
(本紙主幹・奥田喜久男)

●最悪の状況を想定して手を打てば必ず道は開ける


 前回、商売の師匠として上新電機の淨弘さん、シャープの辻さんの名前を挙げられましたが、前社長の浅見さんからはどんなことを教わったのですか。
 その3人は私の土台をつくってくれた方々であり、なかでも栄電社を上場(名証二部)させた上で私を社長にしてくれた浅見さんは恩人です。
 浅見さんが強調していたのは、絶対に会社を潰してはならないということでした。そして、何か問題が起きても、最悪の状況を想定して手を打てば、必ず道は開けると勇気づけてくれました。
 でも、一生懸命やっていても潰れてしまう会社はありますよね。私自身、これまで40年間会社経営をしてきて、過去に3回、夜、眠れないくらい深刻で怖い思いをしたことがありますし……。
 潰れてしまう会社というのは、どこか社長の考えが甘く、自分に対して生ぬるいのだと思います。冷たい言い方のようですが、そこには必ず違いがあるはずです。例えば、もっとリスクについて深く考えればやるべきことがあるのに、それをやっていなかったというようなケースですね。また、社長というものは自分を客観視できなければなりません。
 奥田さんは怖い思いをされたとおっしゃいますが、たいへんな状況の中でも潰れなかったということは、それなりの手を打ってきた証しなのだと思いますよ。
 そう言っていただくと、うれしいですね。ところで岡嶋さんにとって、つらい時代はなかったのですか。
 もちろんありました。まさに七転八倒しましたよ(笑)。
 それはいつ頃の話ですか。
 2000年頃、パソコンの売れ行きが下り坂になって、関東地方に展開したパソコン専門店のコンプマートが軒並み赤字になり、これを閉めなければならなくなったときですね。
 銀行も担保を要求してくるなど態度を変えてきたこともつらかったですし、コンプマートは伊藤忠商事さんとの合弁事業だったので、先方に迷惑をかけずに撤収しようと腐心しました。結局、20店舗ほどを1~2年かけて閉めました。
 難しい時期だったのでしょうね。
 ところがその後、携帯電話の波がやってきました。業界でも比較的早く取り扱っていたため、他の量販店さんも私のところに話を聞きに来たくらいです。「何でも聞いて」と言って教えてあげましたが、いま思えば、あれは失敗しましたね。
 岡嶋さんは人がいいから…(笑)。

●メーカーの立ち直りが家電業界全体の復活につながる


 エイデンは、2002年に中国地方を基盤とするデオデオと経営統合したわけですが、このとき、岡嶋さんはどのような気持ちで臨まれたのでしょうか。
 この時期、家電量販店業界の再編は必至だと考えていました。それならば先手を打って業界の先駆けになりたいと、デオデオの久保允誉さんに会って、一緒にやろうと思ったわけです。
 あえて先手を打ったと。でも、傍から見ると、岡嶋さんと久保さんではずいぶんタイプが違う気がします。
 タイプが違うからいいんですよ。同じようなタイプだと、かえってうまくいかないでしょう。
 なるほど、それはわかるような気がします。ところで、今後のエディオンはどうなっていくのでしょうか。
 エディオンがどうなるというよりは、業界全体がどう変化していくのか、というのがポイントになると思います。
 それは、まだ業界再編が完了していないという意味ですか。
 現在、大手家電量販店は、カメラ系2社を含めた7社で構成されていますが、再編が止まっているような感じを受けます。今後どうなるかはわかりませんが……。
 ということは、これからもさらに集約が進むということですね。岡嶋さんご自身は、どうなっていくと予測されますか。
 この先5年ほどで、3~4社になるかもしれないと思っています。ただ、小売店が足元を固めても、多くのメーカーがぜい弱な状況に陥っているという問題が解決されないと、業界全体の復活はおぼつかないでしょう。
 それはたしかにおっしゃるとおりですね。
 私たちは幼い頃から、「資源のない日本はものづくりによって国を支えてきた」と教えられてきましたが、近年、新しいモノを生み出す活力が失われてしまったと感じます。
 技術立国の衰退ですね。ものづくりまで外国に依存することは、コメの生産を外国に頼るようなものですし。
 そうですね。残念ながら日本の製造業は、弱肉強食ともいえる極端なグローバリズムの波にさらわれてしまったといえると思います。先行きは不透明ですが、そんな不透明な状況だからこそ、実はチャンスなのかもしれません。もちろん、メーカーあっての「われわれ小売業」ですから、なんとか復活を果たしてもらいたいですね。
 ところで、今後、小売業の趨勢はEC中心になっていくと考えられますが、その点、どうお考えですか。
 いわゆるプラットフォーマーは、消費者に革命的な利便性を提供しました。ただ、その構造を考えると、物流・決済機能を含め強大な力を持つプラットフォーマーに対し、出店者やその上流にあるメーカーの力が弱すぎると言わざるを得ません。この力のバランスをうまくとることが、今後求められるのではないかと思います。
 ネットと物流を結びつけたところに大きな価値が生まれたわけですが、プラットフォーマーの独り勝ちでは、やがて商取引そのものがゆがんでしまうと……。
 そうですね。このままではひどく不合理なことになるのではと危惧しています。
 どうすれは、その不合理を解決できると思われますか。
 欲をかかない、神様みたいな人が運営すれば、うまくいくでしょう。例えば私のような(笑)。
 これはまいりました(笑)。今日はとても楽しかったです。これからもお元気でご活躍ください。

●こぼれ話


 “誰か”のことを思い浮かべると、まずその人の顔が浮かんでくる。“おかじま”さんの場合は、何はともあれ、あの柔らかい笑顔だ。ヤギさんというか、羊さんというか。とにかく、抜群のほほ笑みなのだ。といっても、ヤギのことも羊の微笑みも見た記憶はないのだが、ともかく、対面していて居心地がいいのだ(写真をご覧ください)。次に思い出すのは、「山ありの嶋」だよな、と反芻しながら岡嶋さんについてのこの原稿を書いている。人はさまざまな顔の表情をもっている。笑顔の多い人と、そうでない人がいる。岡嶋さんは前者だ。この笑顔は遺伝ではないかと思い、たずねてみた。ところがお父上はとても怖い人であったという。父としても経営者としても厳しい人であったそうだ。怖い人と厳しい人の中身は言葉的には違うのだが、ここでは感覚として、これらの二語でお父上を表現しておく。
 『千人回峰』では毎回、大切にしている品をお持ちいただく。岡嶋さんは上新電機の淨弘博光さんの追悼誌を持ってこられた。「大変、お世話になった人なんです」と。思わず「懐かしいですね。あの淨弘さんですか」と私。淨弘博光さんは、私にとっても恩人だ。1970年代の駆け出し記者の頃から、パソコン産業の黎明期の80年代にかけて、家電流通業界についてのイロハを教えていただいた。1985年に50歳で他界された。この時は肉親を亡くした時のように落ち込んだのを思い出す。私の的を射ない質問に対して、真剣に大きな目を見開いて、身を乗り出しながら幾度も同じ解説をしてくださった。ある時、別れ際に「おくださん、別の部屋に行きましょう」。そこには『先手必勝』の文字と将棋盤があった。「これが私の大切にしている言葉」と聞いた。このシーンの次に思い出すのは社葬の会場だ。「岡嶋さん、先手必勝ですよね」「そうそう、先手必勝…」。岡嶋さんと私は、同じ頃に淨弘さんの教えを受けている。
 人には“らしさ”がある。岡嶋さんの“らしい振る舞い”は、業界団体での活躍にみることができる。日本の家電量販店の業界団体は、1963年設立の全日本電気大店経営研究会に始まる。その後、1972年に日本電気専門大型店協会として79社の加盟社で設立。1995年に、日本電気大型店協会に名称を変更。この業界団体を通称NEBAという。岡嶋さんは2001年から2005年8月の解散まで会長を務めた。家電王国・日本の製品流通を支えた業界団体だ。家電の概念は今や生活家電からデジタル機器の情報家電の領域にまで拡大してきた。シロモノとクロモノという言い方もあるが、コロナ禍で家庭内のデジタル化が急速に進んだことから、いずれすべての家庭内機器がネットワークにつながる。そのあるべき姿を思うと「IoT家電」という言葉がしっくりくる。
 NEBAの解散を受けて、2005年に「大手家電流通協会」が設立された。その中心人物が岡嶋さんだ。発足から2015年まで会長を務めている。環境問題、製品安全、省エネルギー、震災復興支援、消費者保護などについて、審議に参画、検討から実施、普及、周知などの活動を推進した。携帯電話の回収、家電リサイクル法など、裏方としての活躍ぶりには岡嶋さんのらしさが見てとれる。外からは見えにくい活動だ。それこそ岡嶋さんらしい生き方である。
心に響く人生の匠たち
 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
  • 10/1 8:00
  • BCN+R

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