怪物は大谷翔平だけじゃない!プロ野球スター「泣く子も黙る!」規格外の天才伝説

 世界を震撼させる二刀流はもちろん、球界は“怪物”と称される逸材の宝庫。常人ならざる彼らの足跡を振り返る!

 MLBでは目下、驚異の“二刀流”大谷翔平が快進撃を続けているが、「規格外」なのは、もちろん“オオタニ”だけではない。今回は、新旧のスーパースターたちが残した桁外れの伝説の数々を紹介したい。

 日本プロ野球史に燦然と輝く不世出のスターと言えば、やはりON。中でも、研ぎ澄まされた動物的な感覚を頼りにバットを振った長嶋茂雄の調整法は、常人の理解を超えた域にあった。

「有名なのは、渡米した松井秀喜と電話したときの話です。その場でバットを振らせて、受話器から聞こえるスイング音だけで不調を見抜いたとか。現役時代の本人も、不振に陥ったら、真っ暗にした自宅の地下室で黙々とスイングをして、納得できるまで、その音に耳を傾けたといいます。いわく、重要なのは空気を裂く音。誰も理解できないから、コーチも口出しできなかった(笑)」(元巨人担当記者)

 一方、“超感覚派”のミスターに対し、荒川博コーチ仕込みの“超理論”を努力で体に染み込ませたのが王貞治だ。

「王さんが荒川コーチの自宅でしていた猛特訓は、必ずパンツ一丁だったことはよく知られていますが、これは“筋肉の動きをよく観察するため”。王さんの打撃は、筋肉のメカニズムを文字通り体得したうえで完成された、極めて合理的なものでもあるんです。ちなみに同じような方法で稽古をしていたのが、人間国宝だった先代の六代目尾上菊五郎。王さんのそのスイングには、歌舞伎の様式美に通じる美しさがありますよね」(前同)

 一方、昭和の巨人軍でONに続く突出した存在となったのが、江川卓だ。同時代に活躍したOBの角盈男氏も「孫の代まで語り継ぎたいスターの一人」と、江川の名を挙げる。

「孫に“江川というものすごい投手がいて、ジィジはその後を投げてたんだ”って自慢したい。それぐらい別格。ゴルフでたとえるなら、僕らが350ヤード飛ばせるようになって喜んでいたところへ、後からヒョイッと来て、キャリーで軽々と400ヤードを叩き出す。まったく次元が違ったよ」

 江川は当時、手抜きをするとマスコミからバッシングにあった。しかし、前出の元担当記者には、その理由を吐露していた。

「江川は常々、“9回に三者三振を奪ってゲームセットするのが目標”と明言していました。それが、彼の美学だったんです。だから、プレーボールから試合終了まで、将棋の名人のように、球数を計算し、相手打者を考慮しつつ、力の配分を考えながら投げていた。それが、“手抜き”と捉えられていたんです」

 そんな江川には、秘密の武器もあったという。

「鹿取(義隆)から聞いた話ですが、江川と大学時代に対戦したとき、二塁ランナーだった鹿取が、江川のシュートを後ろから見て、すさまじい変化で“あれは打てない”と思ったそうです。プロ入り後は封印し、大学時代からのライバルだった岡田彰布にのみ投げていたとか」(前同)

■シュートと同じくらい性格もエグい

 江川という1学年上の遅れてきた“怪物”の出現に目の色を変えたのが、角氏と同学年の西本聖だ。その変貌を目の当たりにした角氏も、「彼も江川さんとは違う意味でスーパースター」と、こう続ける。

「尋常じゃないほどの練習をしていたし、体にいいと聞けば、何でも食べたし、何でも飲んだ。自室には、瓶の中でとぐろをまいてるマムシ酒が何本もあったよ」

 角氏ら当時の若手の転機ともなった、いわゆる“地獄の伊東キャンプ”。そこでも西本は、独特の存在感を放ったという。

「一級品のシュートを生かすために彼はカーブを習得したんだけど、モノにするまでの過程が独特でした。未完成なうちからコーチを打席に立たせて思いっきり頭にぶつけたり、実戦でもホームのはるか手前でワンバウンドするぐらいのクソボールを平気で投げたり。上達するためなら、恥も外聞も一切、気にしない。そんな気迫を感じたよね」(前同)

 カーブを持ち球にしたことで、勢いを増しながら足元に向かって落ちる“伝家の宝刀”シュートは、さらに冴えた。

「あのシュートと同じくらい、彼は性格もエグい(笑)。とにかく負けず嫌いだし、僕は彼ほどのプロフェッショナルを知らないね。仲が良かった投手陣の中でも、彼だけは孤高の存在だったね」(同)

 孤高という意味では、江川に先んじた“怪物”江夏豊も忘れてはいけない。1968年9月の対巨人戦。稲尾和久の持つ353奪三振のシーズン記録を塗り替えた試合での彼の投球は、今なお語り草だ。

■世界の王を狙って奪三振記録

「新記録は王さんから、と決めていた江夏さんは、4回に、その日8個目となる三振を王さんから奪い、嬉々としてベンチに帰ってきた。ところが、その時点ではまだタイ記録でした。それを捕手の辻恭彦さんから聞かされた彼は、次の回から打たせて取る投球に切り替えて、7回に再び王さんと対戦。これをきっちり三振に仕留め、大記録を達成したんです。しかも、この日は12回を完封して、自身のヒットでサヨナラ勝ちですからね」(スポーツ紙デスク)

 江夏の怪物ぶりは、「同じ左腕として少年時代の憧れだった」と語る元ロッテの愛甲猛氏も伝え聞く。

「キャンプでは、変化球は一切投げずに、右打席のアウトローに向かって、ひたすら真っすぐだけを3000球近く投げていたというのは聞いたことがある。初めて挨拶したときにもらったグラブが、右手首がすっぽり隠れるような特注品でね。“プロでは、ここまで考えなきゃいけないんだ”って、衝撃を受けたよ」

 こう語る愛甲氏が、打者として開眼をした80年代のパ・リーグにも、個性的なスターは大勢いた。

 若かりし愛甲氏から見ても、とりわけ異彩を放っていたのが、阪急を支えた大エース・山田久志だ。

「あんなに汗の似合わない野球選手を、俺は知らない。まるでスーツを着てマウンドに立っているんじゃないかと思えるぐらい、たたずまいもスマートでさ。プロ初安打を、そんな山田さんから打てたっていうのは、今でもちょっとした自慢ではあるよね」(前同)

 同じ選手が惚れ惚れするほどのマウンドでの立ち姿は、実は山田自身が意識的に作り上げたもの。当時の阪急関係者が証言する。

「山田さんの登板日には、ロッカールームにある姿見の前を長時間独占するのがお決まりでした。帽子のかぶり方から、ベルトからはみ出る上着の裾の量まで、それこそミリ単位で事細かに調整する。それが山田さんなりの美学だったんです」

■スイングの1ミリ差を察知…!

 一方、その対極とも言うべき存在が、ロッテが誇る大エース・村田兆治だ。その人となりを、間近で見てきた愛甲氏は語る。

「こんなことを言うと怒られちゃうけど、マサカリ投法はムダの多いフォームだし、投げる、捕る、走るのスイングの1ミリ差を察知…! どの動作を取っても、すごく不格好。でも、あの人が立つマウンドには悲壮感にも似た独特の雰囲気があって、俺らも近寄り難く思った。投げる球も遊び球なんて一つもない。常に“一球入魂”って感じだったよね」

 鬼気迫る勝利への執念、エースとしての矜持は、ともすれば味方にも威圧感を与える。その言動のすさまじさを、愛甲氏は振り返る。

「たとえば、兆治さんがブルペンに入るときは、必ず1ダース新球を用意するのが暗黙のルール。フォークでワンバウンドしたボールを、捕手が拭いて返さなかったら、コロコロと捕手のほうに転がして、“拭けよ”と無言で圧をかけるわけよ。尊大に見える態度だったけど、実績はもちろん、誰より長く走り込みもするから、文句を言う余地がない。兆治さんの練習につきあって、肩や膝を壊したスタッフを何人も知ってるよ」

 稀代のスーパースターとなれば、やはり最後は、この人か。愛甲氏が師と仰ぎ、史上最多の3度もの三冠王に輝いた落合博満だ。

「東尾修から当てられた次の打席で、狙い澄まして投手ライナーを打ったり、練習中に、嫌いなカメラマンを目がけて故意にファウルを飛ばしたりと、その卓越したバットコントロールを物語る逸話は数知れない。ピッチングマシンに正対して、自分の頭を目がけて飛んでくるボールを、剣道さながら右に左にさばいていたという伝説もあります」(専門誌記者)

 愛弟子・愛甲氏は、そのすごさの秘密をこう分析する。

「オチさんには、大学中退後にプロボウラーを目指していた時期がある。あの人の異常なほどのリストと前腕の強さは、ボウリングのおかげなんじゃないかな。実際、チーム内でボウリングをしても、ハウスボールで信じ難いほどのフックをかけてきたからね」

 それに加えて、人並み外れた動体視力と、“根っこが生えている”かのような強靱な軸足も併せ持つ。もはや「打撃に特化された体だった」と愛甲氏は言う。

「目の訓練に関しても、かなり重視していたはずだよ。昔、池山(隆寛)とゴルフをしてたら、あいつに『オールスターのとき、ベンチに戻ってきた落合さんが“(バットが)1ミリ下に入りすぎた”って首をひねってたんですけど、そんなこと、あります?』って真顔で尋ねられたんだよね。オチさんは、それぐらいの境地に達していたんだよ」

 ファンの想像をゆうに超えてくるのが、スーパースターが“別格”たるゆえん。日本中を魅了する超新星の誕生に期待したい。

■球史に残る傑物!古今東西“天才”野球選手12人

伊藤智仁(ヤクルト/通算7年)当時ヤクルトの監督だった野村克也が「見たことがない」と魅入られたほどの高速スライダーを操った、90年代のプロ野球界を代表する投手。肩関節の可動域が広すぎたからこそ投げられた魔球だったため、常に故障と隣り合わせ。ゆえに、その球筋は今も野球ファンの目に焼きついている。

松井秀喜(巨人他/NPB通算10年)プロ入り時に「君は巨人の星だ」と長嶋茂雄に称された怪物。その活躍の頂点は2009年のワールドシリーズで、打率.643、3本塁打でMVPも獲得。その優勝記念リングと、師匠・長嶋と同時受賞した国民栄誉賞は、二刀流の怪物・大谷翔平も持っていない。

門田博光(南海他/通算23年)王貞治、野村克也に次ぐNPB歴代3位の本塁打数を誇る長距離砲。プロ選手としては小さな体躯で、清原和博が「エゲつない」と語るほど重いバットを使って567本ものアーチを描いた。しかし「あと33本は打てた。今も、うなされとるんや」と、本塁打への執着は引退後も続いていたという。

イチロー(オリックス他/NPB通算9年)日米通算4367安打を放った安打製造機。しかし、16年に打撃コーチだったバリー・ボンズが「イチローは本塁打王になれる」と太鼓判。事実、100号本塁打を松坂大輔から放った際に、「松坂君から打ったほうが喜んでいただけると思いましたから」と、こともなげに言った。

福本豊(阪急/通算20年)通算1065盗塁とシーズン106盗塁という日本記録を持つ世界の盗塁王。1983年、MLBで当時の1位だったルー・ブロックの記録を抜き、国民栄誉賞の表彰対象に。しかし「そんなもん、もらったら、立ちションベンできなくなる」と辞退した。まさに大衆の英雄!

金田正一(国鉄他/通算20年)前人未踏の400勝投手で、国鉄スワローズ時代の愛称は天皇。現役時代にスピードガンは存在しなかったが、「ワシの球は180キロは出ていた」と豪語。それを証明するように、張本勲は「世界一の大投手。あんなに速い真っすぐは、あれからも見たことがない」と語る。

菊池涼介(広島/通算10年、現役)黒田博樹が「20年プレーしてきたが、見たことがない。メジャーでもトップクラス」と評価する身体能力抜群の守備職人。ゴールデングラブ賞の基準である400捕殺を優に上回る500以上もの捕殺を毎年記録し、シーズン記録の上位は、すべて菊池のもの。まさに別次元!

榎本喜八(大毎他/通算18年)川上哲治をして「野球の神様という言葉は、榎本のほうがふさわしい」と語り、張本勲に「この人には勝てない」と言わしめた求道者。「臍下丹田でボールを捉える」という打撃理論はもちろん、試合前のベンチで座禅を組み、微動だにしないといった奇行も伝説的だ。

吉田正尚(オリックス/通算6年、現役)今季のオリックス躍進の原動力で、東京五輪でも活躍した日本の主砲。イチローの打撃の師である新井宏昌は吉田を評し、「上半身のブレがないフォームはイチローに似ている。反動を使わず、持てる力を最大限に発揮できるのは門田博光と同じ」と語っている。

前田智徳(広島/通算23年)1994年にイチローが初めてオールスター戦に出場したときに「天才の前田さんの打撃を見たい」と答えたことでも知られる孤高のバットマン。95年に右足アキレス腱断裂の大ケガを負った際、打撃フォームのバランスを保つため、「もう片方も切れんかな」と語った。

志村亮(プロ入りせず)古田敦也が大学時代を振り返り、「打てた記憶がない」と語った慶応大の左腕投手。5試合連続完封や53イニング連続無失点といった、今も破られない東京六大学リーグの記録を打ち立て、8球団競合かと騒がれるも、プロ入りを断固拒否。三井不動産に就職した。

新庄剛志(日本ハム他/NPB通算13年)野村克也が「私の理解を超えていた。ある意味、天才」と称した、走攻守で日米を沸かせたエンターテイナー。今年は49歳にしてNPB復帰を目指した。打撃タイトルこそ無縁だったが、ゴールデングラブ賞10回、ベストナイン3回、ベストドレッサー賞1回は天才の成せる業。

2021/9/30 17:30

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