伝説の元グラドル・小阪由佳。“誰でも芸能人になれる時代”について思うこと

 東京都内の繁華街でキャリーケースを引いている女のコは全員アイドルなのではないかと考えてしまうほど、“アイドル”が増えた昨今。良く言えば、「アイドルになりたい」と願う少女たちの夢が叶いやすくなった。悪く言えば、なろうと思えば誰でもなれる。

 そんな状況を見て、「私の時代では考えられませんでした」と話すのは、元グラビアアイドルで実業家として活動する小阪由佳さん(事業ネームは小阪有花)さん、現在36歳。

 「小阪由佳」という名前を見て、ピンとくる世代も多いはずだ。「ミスマガジン2004」グランプリを皮切りに、数々の有名雑誌で表紙を飾った。しかし、2009年に芸能界から忽然と姿を消した。当時、まだ23歳の若さだった。あれから10年以上の月日が流れたが、自身のデビューから引退までを振り返りつつ、今改めて思うことは——。(記事は全2回の1回目)

◆渋谷で声をかけてきたスカウトが中学の先輩だった

 SNSが発達する以前はテレビや雑誌がメディアの中心で、芸能界に入るキッカケは「スカウト」が定番だった。まさに、“選ばれし者”しかアイドルやグラビアアイドルにはなれなかったのである

 2003年、小阪さんもそのひとりだった。当時の繁華街で声をかけてくるスカウトのなかには、悪徳事務所や怪しい詐欺も少なくなかった。彼女もそれを警戒しながら聞き流していたというが、偶然の出会いによって、芸能界に導かれていく。

渋谷で声をかけてきたスカウトが、たまたま同じ中学の先輩だったんです。その流れで、よくわからないままレースクイーンのオーディションを受けることになって。審査員として見に来ていた人に声をかけられ、グラビアアイドルとして事務所に所属することになったんです」

◆女子高生時代、モー娘。新メンバーに応募も「そこまで芸能界に興味はなかった」

 その翌年、小阪さんは「ミスマガジン2004」にエントリーすると、見事グランプリに輝いた。こうして華々しい芸能活動がスタート、まさにシンデレラストーリーと呼べるものだろうが、当時は「そこまで芸能界に興味はなかった」と振り返る。

 スカウトされた当初、近所のパン屋でアルバイトをしていた。「シフトに支障がないならいいか」程度にしか考えていなかったそうだ。

「どうしても芸能人になりたいというわけではなくて。ただ、そのときは高校3年生で岐路に立たされていて。保育士になりたい気持ちがありつつも経済的に進学は難しく、就活の波にのまれてしまうタイミングで。ただ、当時は就職氷河期だったから。このままフリーターになるのも嫌だったので、芸能をやるのもいいかなと思って」

 とはいえ、その少し前にもオーディションを受けたことがあった。当時流行していたテレビ番組『ASAYAN』(テレビ東京・1995年〜2002年放送)のモーニング娘。新メンバー募集に友人たちと応募。「みんなで受かろうみたいな女子高生らしいノリ」と話すが、どこか頭の片隅には芸能界があったのかもしれない。

 グラビアアイドルになってから、初めて“ビキニ”を着たという小阪さんだが、特に抵抗はなかったという。

「最初のマネージャーさんが女性で“姉御肌”って感じで。1から10まで教えてくれました。『新人の子は新人らしさが良い』と言ってくれて、絶対に無理はさせない人だった。過激なポーズを要求されたり、面積の小さい水着を着させられたりすることも全然なかった。営業もしっかりしてくれて、とてもよく面倒をみてくれました」

◆「私にはもう需要がないのかも」

 小阪さんは現役時代、休む暇などなく働き、当然、アルバイトなどをすることもなく芸能一本で生活していたという。彼女と同年代で現役グラビアアイドルでもある筆者(吉沢さりぃ)が補足すれば、これは並大抵のことではない。実際は何かアルバイトなど副収入を得なければ、食べていけない人も多いのだ。 

 端から見れば、まさに順風満帆だった。ところが、デビューして5年が経った頃、小阪さんの心境に変化が起きる。

「急に不安になってきたんです。あまりに順調すぎたせいか、スケジュールに少しでも空きができると『私にはもう需要がないのかも』と思い悩むようになってきたんです」

◆AKB人気に押されて…仕事がなくなるグラドルたち

 時代が変わってしまったら、私はどうなってしまうのだろうか——。

 小阪さんがそんな焦燥感を覚えた頃は、AKB48がデビューする前だったが、まるで彼女たちの登場を予感していたかのように不安は増幅していた。

 AKB48が水着の仕事を始めると、グラビアアイドルたちは徐々に仕事が減り始めた。その勢いは次第に増していく。

 そして、歌って踊るだけではなく、水着にもなれるライブアイドルたちが台頭。雑誌のグラビアはページが限られているため、彼女たちの人気に押し出されるかたちで、グラビアアイドル全体の仕事が激減していったのだ。

「20代前半で若かったので、プライドも高くて。他の仕事と掛け持ちをしてまで芸能の仕事を続ける気はなかったんです。グラドルからバラドルに転身できましたし、役者として素晴らしい作品にも抜擢していただけましたが、いまいちチャンスを活かせた実感はなかった。そんな自分が許せないときもありました。いま思えば、ちょっと考えすぎていたのかもしれません」

◆事務所の力に頼らず、個人でも輝ける時代がくるとは思わなかった

 昨今は事務所を辞めてフリーランスとして活動する人も多いが、小阪さんは「私の時代では考えられなかった」という。

「当時は、事務所に所属することが第一歩で、大手に入れるのかどうかでふるいにかけられていた感じはある。引き際の美学というか、辞めるならきっぱり辞めようと。フリーランスで活動するという発想はなかったですね。

 個人でも輝けるときがくるなんて、思いもよらなかった。今ではYouTubeやInstagram、Twitterなどでいくらでも発信できるから、自分自身を売り込んで仕事につなげることも可能になりました。そのぶん、だれでも芸能人のようにやり方次第ではなれると思うので、いい時代になったのかもしれないですね」

<取材・文/吉沢さりぃ、撮影/藤井厚年>

【吉沢さりぃ】

ライター兼底辺グラドルの二足のわらじ。近著に『最底辺グラドルの胸のうち』(イースト・プレス)がある。趣味は飲酒、箱根駅伝、少女漫画。『bizSPA!フレッシュ』『BLOGOS』などでも執筆。Twitter:@sally_y0720

2021/9/24 15:51

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