借金500万円男。自分への誕生日プレゼントは「ホームレス生活とサヨナラ」
―[負け犬の遠吠え]―
ギャンブル狂で無職。なのに、借金総額は500万円以上。
それでも働きたくない。働かずに得たカネで、借金を全部返したい……。
「マニラのカジノで破滅」したnoteが人気を博したTwitter上の有名人「犬」が、夢が終わった後も続いてしまう人生のなかで、力なく吠え続ける当連載は62回目を迎えました。
今回は誕生日にホームレス生活とサヨナラしたお話です。
◆誕生日を迎え齢を重ねた9月
人間が勝手に決めた暦では9月になった。不思議なことに、それを察するように気温も下がった。
夏が終わり、冬が来る。今年ももう終わりが見えてきて、人はまた一つ歳を取る。
秋の始まりに誕生日を迎えた。30歳が見えてきて、子供の頃の夢を何一つ叶えられなかった罪悪感から毎年この日が憂鬱なものになるかと思っていたが、それほどの悪感情はなかった。紆余曲折の無い、ただただ真っ直ぐに、工夫もなく、金を返すためだけに働いた一本道。振り返ったところで思い出すのは足が重かった記憶だけだ。芋虫の走馬灯でもまだマシな景色になるだろう。
そんな密度のない一年を見返してみてもそれほど気にならないのは、とても強い「まあいっか」の精神が育ってしまったからかもしれない。競争に負け、屈辱の味だけを鮮明に忘れず、楽をし、ついには競争に参加すらしなくなり、自分は競走馬では無く愛玩馬なのだと言い聞かせ、下から上を無理矢理見下ろした。その成れの果てが僕だ。
諦めは麻薬のように闘争心を蝕んでいき、切磋琢磨の心を失い、顔つきと言葉尻だけが廉価版ひろゆきのようになり、自由人を自称し始める。何が悲しくてそんな滑稽な生き物になってしまうんだと、数年前の僕なら多少は思っていたかもしれない。
自己成長を望まないなんて、せっかく人間に生まれてきたのにもったいない、と。
でも、もうだめだ。競争に参加しない自分を正当化するには、上っ面でも余裕そうに見せなければ、努力を否定し続けなければ、この姿勢は嘘になる。
まあいっか、ナンクルナイサ、ハクナマタタがスローガンだ。これは頑張れない大人にとっての友情、努力、勝利にあたる。
◆誕生日が憂鬱にならなかったワケ
誕生日がそれほど憂鬱にならなかった要因としてもう一つ、働いていないというのは大きかったかもしれない。特に僕は元々接客業の畑にいたので、サラリーマンを辞めるまでは
「誕生日だから休みます」
ができなかった。脱サラするまでの誕生日はいつも終電を逃し、会社の周りを徘徊しながら特別な非日常がないか探し、そう都合よく面白いことも無いのでタクシーに高い金を払ってしまっていた。
コンビニで贅沢をし、寝て起きて、身内のおめでとうLINEに返信して加齢の儀式は終わり、だった。底辺漆黒接客業からの卒業の余韻は、三年近く経ってもまだ残っている。フリーターの僕は今年の誕生日を完全な休みとした。これが本当の自由だ。人間だ。泣けてくる。
◆オリンピックで安宿が……
腐っても誕生日、せめて自分史に爪痕くらいは残しておきたい。どれだけ人生に失望したとしても、一人でいる以上誕生日を完全に忘れてしまう人間なんて存在しない。僕の周りで本当に誕生日を忘れてしまうのは、子供が受験期に入った母親くらいだ。
いや、もしかしたらあの頃の母親も余計な気を遣わせないようにその存在感を消し、家族が寝静まった頃に一人でHappy Birthday To Meを歌っていたかもしれない。そんなわけで、少なからず20代で誕生日に心が何一つ動かない人間はいないとしよう。僕もまたその事実を受け入れる。
5月にホームレスになった僕は、日雇いのアルバイトをしながらホテルや友達の家を転々としていたのだが、オリンピックの開催に伴って簡単に居場所を探せなくなっていた。最初の方は一泊2000円ほどで一人部屋に止まることができたのだが、底辺層に向けた宿泊ビジネスは水面下で徐々に値段を上げていき、最早この生活が身軽で得をしているのかどうか、わからなくなってきた。
◆家を借りる決意をする
複数人が同じ部屋に月3万円で泊まれるようなカプセルホテル、ベッドルームだけをそれぞれの部屋として他の設備は全て他人と共用になるシェアハウス。かつては自分も池袋にある月4万円のシェアハウスで暮らしていた人間なので暮らし方はわかる。
ちなみにそこでのコミュニティはネズミ講ビジネスの参入により分解されてしまった。騙されるのはいつも底辺で、手を汚すのも底辺だ。なまじ泥水の中に手を突っ込む経験をしてきたせいで、未来までもその泥の底に沈んでいると錯覚してしまうのだ。
というか正直疲れていた。まだ20代とは言え、ギリギリ20代だ。自分の中での高校生活は記憶に新しいが、実際に街を歩いていると彼らからの「おじさんがいる」という目線が確かに存在する。その自覚を持ったままシェアハウスで見ず知らずの若者と生活するのが辛いと思ってしまう。大学生活に馴染めなかった部活のOBが頻繁にコーチ面で遊びにやってくる様子を思い出す。
家を借りよう。
たった一人で行った賃貸ストライキは、「自分への誕生日プレゼント」という言い訳と共に終わりを告げた。
◆「働いている」という事実の重大さ
家を借りるにあたって必要なものはそう多くはない。家を貸しているような連中は人の絆よりも金を重要視している。家賃が払えない愚直な市民より家賃だけはしっかり払うチンピラを選ぶ。
ここで重要なのは「働いている事実」だ。クレカが全滅していて金欠が理由で数社と裁判を終えているようなカスでも家を借りるには、まずここを突破しなければならない。商人たる不動産業者にとって、過去の栄華は関係ない。「今、いくら稼いでいるのか」が最優先項目になる。
日雇いのアルバイト先に見込み収入を出してもらう。ちなみに見込み収入のような曖昧な数字で住める家のレベルはせいぜい5万円ほどで、これは都内における生活保護者に充てられる物件と同じくらいの水準だ。
仲介業者も、ネットで調べて出てくるような大手には頼らなかった。できるだけ胡散臭い所が良い。都内の大通りを避け、アニメに出てくるボロボロの探偵事務所のような店構えを探した。
「外国人でも契約できます」を謳う胡散臭い看板の裏には色々な意味が隠されているのだろう。
「とにかく初期費用が安く住めるところにしてくれ」
と言うと、少しニヤリとしてから
「誰でも通す管理会社を知っている」
と自信を見せてきた。提示された物件は家賃5万円で、初期費用が10万円だった。この中には前家賃と火災保険料が含まれていたので、致し方ない出費を除くと実質3万円で新居が手に入った。
◆自分への誕生日プレゼント
「ちょうど3日後まで初期費用がこの値段でいけるみたいで、お兄さんはラッキーでしたね」
怪しい毛利小五郎の話に落とし穴を探したが、僕に不都合な話は見つけられず、この辺りで手を打った。これ以降騙された事に気づいても僕の落ち度だ。安全と安心と健康は金で買うしかない。
案内された部屋は東京から1時間以上離れた田舎だった。アクセスは悪くない。壁と床が張り替えられている6畳ワンルームで、僕の部屋より奥の部屋は全て空室だった。何か理由があるのだろう。目を瞑れる理由だと嬉しいな。
誕生日おめでとう、僕。
文/犬
―[負け犬の遠吠え]―
【犬】
フィリピンのカジノで1万円が700万円になった経験からカジノにドはまり。その後仕事を辞めて、全財産をかけてカジノに乗り込んだが、そこで大負け。全財産を失い借金まみれに。その後は職を転々としつつ、総額500万円にもなる借金を返す日々。Twitter、noteでカジノですべてを失った経験や、日々のギャンブル遊びについて情報を発信している。
Twitter→@slave_of_girls
note→ギャンブル依存症
Youtube→賭博狂の詩