『俺の家の話』ドラマのリアリティとマスクの“距離感”

 テレビウォッチャーの飲用てれびさんが、先週(2月28~3月6日)に見たテレビの気になる発言をピックアップします。

日高陽斗(高橋一生)「十分に距離もありますし、マスク、外しませんか?」

 テレビの連続ドラマでコロナ禍をどう扱うのか。ドラマだけでなくさまざまな表現がコロナ禍の扱いについては深慮していると思うのだけれど、時代と並走するテレビドラマであれば、なおさら敏感になるだろう。

『逃げるは恥だが役に立つ』『アンナチュラル』『MIU404』(以上、TBS系)などのテレビドラマを手掛けてきた脚本家の野木亜紀子が、以前こんなことを語っていた。

「できるだけ変わらないテイで(ドラマの脚本は)やっていこうとは思うんですけど。今後、この1年ぐらい作るドラマに関しても、コロナウイルスの話にまったく触れないとなると、それがじゃあ年度はいつなんだと。過去時制のドラマなのか、現在進行型だとすると、コロナウイルス騒動を描くのか。描かないとしたら、それはもうパラレルワールドになってしまう。なかなかこれが難しいなと思っています」(『あたらしいテレビ』NHK総合、2020年5月10日)

 現代劇において、コロナ禍のある世界を描くのか、それともそれがないパラレルワールドを描くのか。

 そんな二者択一とは違うところで物語が進行しているように見えるのが、現在放送中の『天国と地獄~サイコな2人~』(TBS系)だ。

 たとえば、第1話冒頭のこんなシーン。地下鉄に乗っていた望月綾子(綾瀬はるか)がふと顔を上げると、周囲の乗客から冷たい目線を送られていることに気づく。彼女はマスクを忘れていた。そんな彼女に、日高陽斗(高橋一生)が手持ちのマスクを譲る。地下鉄を降りた望月はマスクをしたまま走って職場(警視庁)に向かう。道ですれ違う人たちもマスクをしている。しかし、職場に着くとマスクは外される。

 その後、同ドラマにあまりマスクは出てこない。

 物語中に「コロナ」や「濃厚接触」という単語も出てきたし、発熱のため検査に行く(といって職場を休む)といったシーンもある。新型コロナウイルス感染症が存在する世界であると考えていい。けれど、マスクが着けられているシーンでも、「十分に距離もありますし、マスク、外しませんか?」といった登場人物(日高)の提案で、マスクはその場から早々に退場してしまう。

 積極的かつ好意的に解釈するならば、おそらくこのドラマの舞台は、新型コロナはあるけれど私たちの世界とはコロナ対策の慣習が違う世界なのだろう。

 電車の中ではマスクが必須。だけど職場では不要。外部の人と対面する際も、ある程度距離があればマスクを外すことは共通了解になっている。そんな世界。そういう意味でのパラレルワールド。あるいは、ワクチンの接種が行き渡るなどしてコロナ禍が収束気味になってきたような、時間的に今から少し先の世界の話なのかもしれない。

 まだ放送中の本ドラマ。“清掃”や“消毒”がキーワードになっているようにも見え、今後物語にコロナが絡んでくるのかもしれない。“新しい生活様式”を迫られる世界と、“入れ替わり”によって生活を変えざるを得ない登場人物の状況が重ね合わされているのかもしれない。

 いや、だとしても、物語の中でコロナ禍の扱いにあまり一貫性がなく、ストーリーの展開上都合のよい場面でコロナの話題が“つまみ食い”されているように見えたりもするのだけれど――。

 日高の行動の真意は何か。殺人を犯したのは実際のところ誰なのか。そもそも本当はいま誰と誰が入れ替わっているのか。物語上に残された多くの謎に引き込まれる本作だけれど、コロナの扱いの謎も私は気になっている。

 他方で、『俺の家の話』(TBS系)。能楽師の家に長男として生まれたプロレスラーの観山寿一(長瀬智也)が、父・寿三郎(西田敏行)が倒れたことを契機に実家に戻り、父親を介護しながら家族や自身と向き合っていく話だ。

 本作でのマスクの扱いはほぼ一貫している。登場人物たちは基本的に外ではマスクをつけ、家で家族といるときはマスクを外すといったルールで動く。コロナがあり、かつ、私たちと同じ慣習がある世界だ。

 ただし、家族以外はマスクをつけるといっても、“後妻業”を疑わせるヘルパーとして当初家に入ってきた志田さくら(戸田恵梨香)だけはマスクを外している。ケアマネージャーや担当医は寿一らの前でマスクをつけるが、彼女だけは例外だ。血縁にはとどまらない家族関係がそこでは描かれているようにも見える。マスクをつける間柄か否かによって、家族の境界が再定義されているようにも見える。

 印象的なのは、5日の第7話。寿一が元妻・ユカ(平岩紙)と、息子・秀生(羽村仁成)の親権をめぐって話し合いをするシーンだろう。双方の弁護士(寿一の弁護士は、永山絢斗が演じる弟の踊介だが)を交えて行われたその場では、当然、全員がマスクを着用している。

 が、寿一が息子の誕生とその名前に込めた意味について語り始めると、彼のマスクが下にズレる。口元が露出する。するとユカが「ねぇ、マスク」と注意する。寿一は慌ててマスクを付け直す。

 家族的なつながりを維持しようとする元夫・寿一と、そこから一歩引いた元妻・ユカ。その対比がマスクをめぐって描き出される。

 かと思うと、今度はユカがマスクを外す。離婚の原因はアメリカに単身渡るなど自身が「家族を顧みなかったこと」にあると反省気味に語る寿一に対し、ユカは「やっぱりなんもわかってへんな」と怒りをぶつける。別れたのはあなたが家庭を顧みなかったからではない。むしろ顧みないでほしかった。あなたが「鋭い野獣みたいな目」で家の中にいると家の空気が張り詰めるのだ――。そう言って詰め寄る。その詰め寄りの中で、ユカはマスクを外す。

 元妻の気迫の前に寿一は「ごめん」と謝る。しかし、そんなおざなりな謝罪に、ユカは「なんで『ごめん』で終わらせんの。私はなんなん? 寿一くんのなんなん?」「家族と向き合うのが嫌でプロレスに逃げたんちゃうん? 今さら親権くれって虫が良すぎるわ」とさらに問い詰める。寿一はマスクの中で「ユカちゃん……」と口ごもる。

 家族であった時間を問い直すユカと、それに戸惑う寿一。その対比がマスクの有無で浮き彫りになる。

 28日の『ボクらの時代』(フジテレビ系)で、マスクに関してこんな対話があった。作家の村田沙耶香が、「他の作家さんが、対談で、マスクってちょっとパンツに似てるみたいなことを、その対談の場に居合わせて話していて」とエピソードを披露したときのこと。作家でミュージシャンの尾崎世界観は次のように語った。

「確かに、今までは(マスクを)『つける』って感じで見てたんですけど、今は『外す』っていう感覚で見るじゃないですか。それ、ちょっとエロい感じありますよね」

 マスクをつけていないことがデフォルトの世界では、つけることに意味が出る。マスクをつけていることがデフォルトの世界では、外すことに意味が出る。尾崎のいう「エロい」を、ここでは「親密さ」と読み替えよう。『俺の家の話』ではつけていたマスクが外されるとき、そこでは登場人物の親密さが変化し、関係が組み変わり、家族の意味が揺れ動く。

 能楽の能面=マスク、プロレスの覆面=マスク、そして感染対策のマスク。マスクは本作のキーアイテムだ。単なるリアリティ確保のための道具ではない。マスクをつけない間柄だからこそ時にしんどくなる家族の介護の問題が今後どうなるのかも含め、登場人物たちのマスクの着脱が私は気になっている。

  • 3/9 20:00
  • サイゾー

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