荒井晴彦監督『火口のふたり』 なぜ映画はヌードを撮るのか? モラルや常識を剥ぎ取り映し出すむき出しの〝生〟

 皆さんこんばんは、宮下かな子です。

 100冊に絞るとまではいきませんが、順調に、家にある本の整理が進んでいます。

 改めて再読してみたり、手放すものもあったり。高校生の頃から読了本を記録しているサイトがあるのでその時の感想の記録と比較してみると、かなり変化があって面白い。そのサイトの記録によると、私は8年間で約600冊の本を読んできたらしいです。マンガも含まれた冊数だし、年平均にすると75冊くらいなのでそれほど多くはないかもしれませんが、今後は大切な本が自分の血肉となるよう、もっと深く読み込んでいけたらなぁなんて思いながら、本棚と向き合っています。

 さて、話は大きく変わりますが実は最近、約2年ぶりにグラビア撮影をしました。

 今後お芝居で、色気のあるちょっぴり大人な役柄にも挑戦出来たらという思いもあり、雑誌媒体ではなくまずは作品撮りとして形にしてみようというお話になったんです。グラビアのお仕事を始めたのは3年前、その時もアミューズに所属してまもなく、自ら提案したのがきっかけでした。グラビアは普段から雑誌で見ることもあって、純粋に好きなお仕事。雑誌のほうのサイゾーのグラビアも、唯一無二なアーティスティックな雰囲気が好きで密かなファンだったので、念願叶っての表紙グラビアでした(月刊サイゾー2020年1月号)。

 今回の作品撮りを通して自分でもよく分かったのが私自身、露出することにそれほど抵抗がないということ。以前よりも肌露出を増やし自分がどこまでいけるのか、グラビアの限度を探ってみようと挑んだのですが、ここまでいけちゃうんだ!と我ながら驚き、自分を知る良い機会にもなりました。

 写真を見てみると、以前より生っぽく仕上がっていて、マネージャーさん的SNS掲載NGな写真もちらほら(笑)。許可がおりた写真はSNSに徐々に掲載していきますので、良かったら覗いてみてください。

 露出の限度というのは、本当に人それぞれ。私も抵抗がないとは言えヌード作品となると、話はまた変わってきます。

 グラビアを始めて何度か雑誌に掲載して頂いていた時期のこと。タイミングもあったのか、実はヌードシーンのある役のお話が多々ありました。役柄を魅力的に感じ、悩んだものもあったのですが結局、出演の決意には至りませんでした。

 女優のお友達とそのようなお話をしたことは何度かあって、「家族が喜ばない仕事はしないと決めている」と言う女優さんもいるし、「あんまり気にしていない」と言って実際に演じている女優さんもいる。そもそも、グラビアの水着どころか、脇見せNGの女優さんもいる。

 メディアでは、ヌードシーンがあるとなると〝体当たりの演技!〟と見出しが付いたり、脱いだら頑張ってるだとか、過剰な称賛の声もよく耳にします。

 周囲のさまざまな意見が飛び交う中、自分だけのものではない身体を“どこまで表現として他者に見せられるか”というのは、やはり自分自身の心と向き合い決断する問題であり、端くれな私が大変恐縮ですが、女優業の身として、私も意見をしっかり持たなくてはと思っています。

 年齢を重ね、今一度考えるきっかけになるのではと思い今回は、荒井晴彦監督『火口のふたり』(2019 ファントム)を選びました。

〈あらすじ〉
賢治(柄本佑)は、元恋人・いとこの直子(瀧内公美)の結婚式に出席するため、故郷・秋田に帰省する。10日後の結婚式を目前に、久々に再会した2人。「今夜まであの頃に戻ってみない?」という直子の誘いをきっかけに、2人は快楽の世界へ溺れていく。

 時にモラルを逸脱した、男女の濃密な恋愛模様を描く白石一文さんの原作と、かつて日活ロマンポルノ作品の脚本も手がけ、男女の欲望を忠実に描いてきた荒井晴彦監督のコンビネーションともなれば、当然かなり濃厚な官能映画の仕上がりでR18指定。

 白石さんの作品が映画化するのは今作が初めてのこと。これまで多くの脚本を手がけてきた荒井監督は、『身も心も』『この国の空』に続き3作目の監督作となります。

 作中、2人にとっての思い出のアルバムが登場するのですが、その写真を撮り下ろしたのは、写真家・野村佐紀子さん。モノクロでありながら、とても艶っぽく息吹を感じられる美しい写真たちが並んでいます。このアルバムのページがめくられる映像と共に、伊東ゆかりさんの「早く抱いて」が流れるオープニングクレジットは、どこか懐かしい匂いがして私好み。

 バツイチで現在職に就かず1人ふらふらしている賢治と、安定した婚約者との式を控えた直子。婚約者が帰ってくるまでの5日間、本能の赴くまま2人は何度も身体を重ねるのですが、この作品、ベッドシーンと共に食べるシーンが非常に多い。食欲・性欲・睡眠欲、三大欲求が全開なんです。

 カウンターに並んでラーメンをすすり、ある時は中華のランチを。料理上手な賢治は、アクアパッツァやパスタ、包み焼きハンバーグ等を直子に振る舞い、食べ終えるとお互いの性器が擦り切れ膨れるほど身体を重ね、眠りにつく。人は、未来のために、今日を積み重ねていく生き物ですが、その現実から目を背け逃避するかのように、明日のことも考えずただただ、今ある欲求を満たすだけの2人。その様子に、ある意味これが人間本来の姿なのではないかとさえ感じます。

 出演は賢治役の柄本佑さん、直子役の瀧内公美さんのみ。出演者がこれほど少ない作品はなかなか類を見ないですが、とても効果的な演出だなぁと感動がありました。

 思い返してみると、まるで賢治と直子だけがそこに生きているかのような印象が鮮烈に残るのです。街を行き交う人々の姿はあっても、ほぼ声はない。テレビのアナウンサーの声や、賢治の電話相手の父親の声はあっても、姿は映されない。2人以外の人間の輪郭がぼやけて見えて、まるで皆、亡霊のよう。だからこそ、本能に従う2人の姿が目に焼き付き、強い生命力が感じられます。路上で性交する2人の姿を覗き見た小学生が、賢治に脅かされて、「わーー!」と逃げる時の悲鳴が唯一ありますが、これも意図的な演出かと思います。

 はじめに触れたように今作は、かなり濃厚な官能映画であり、ヒロイン瀧内公美さんはヌード姿を惜しげもなく披露していますが、その堂々たる姿は圧巻。そして、ヌードである必需性を強く感じるのです。

 例えば、裸体の2人がベッドに仰向けで横たわって話をするシーンと、ベッドに腰掛けて横並びになっているシーンがあるのですが、あまりに何も隠さずバストトップも見える状態の瀧内さんの姿には少し驚かされました。行為中にバストトップが見えるようなシーンは他作品でよく拝見しますが、こんなにもフラットな状態で裸体を並べる男女を、私は観たことがありません。細身だけれど骨格が良い柄本さんの男の身体と、丸みのある柔らかい瀧内さんの女の身体。たしかに並んだ男女の身体の作りは異なるけれど、同じ人間なんだな、とふと思うのです。

 そこにいやらしさはなく、性別の垣根を越えた、人間のありのままの姿を感じる……一言で言うと、〝性〟を越えた〝生〟。映画におけるヌードシーンの、新たな意味合いを見出しているような気がして、私にとってはかなり衝撃的でした。

 そして、この作品に映し出される裸体や、身体を重ねるシーン等、直接的ではない部分にエロティシズムを感じたのは、きっと私だけではないはず。

 大きく例を挙げると、賢治と直子が最後の夜に見る西馬音内盆踊り。荒井監督ご自身がこの映画を制作するきっかけとなった秋田県恒例の盆踊りだそうで、この西馬音内盆踊りのシーンを取り入れるため、福岡が舞台の原作から秋田に変更したとのこと。踊り手は布頭巾や編み傘で顔が覆われているため、性別や年齢も分からない。草履の擦る音を静かに鳴らしながら列を成し、しっとりと踊る姿は異様な空気感で、そこにエロスを感じるのです。

 先程2人以外の人間が皆亡霊のように見えると話しましたが、この盆踊りは別名〝亡者踊り〟とも言われているらしく、あの世とこの世の境目に2人が迷い込んでいるような感覚が、この場面からもはっきりと感じられます。作品全体に、この西馬音内盆踊りが織りなす異様な空気感が、ずっと流れているんです。

 もうひとつが、富士山の火口の写真。麓から山頂までを横から見た富士山ではなく、火口部分を空撮した大きなポスターが登場します。あまりの迫力に少しばかり恐怖を感じると共に、一体その黒くて暗い穴の奥底はどうなっているのだろうという興味に惹かれる。吸い込まれそうな感覚に駆られる富士山の存在感に、エロスを感じます。

 西馬音内盆踊りのように「顔が〝見えない〟」富士山の火口のように「奥底が〝見えない〟」といった、全部を曝け出していない状態にエロスを感じるというのは人間の本能であり、私が先日のグラビア撮影の仕上がりを見ても感じたことでした。

 今回露出を増やしたとお話しましたが、肌面積が多いことに比例して色っぽさが増すわけではないんですよね。それよりも、例えば衣装のワンピースからちらりと胸元が見えたりだとか、ちょっとした自然体の隙を感じられたほうが、断然色っぽい。妄想が掻き立てられる余白が残っていたほうが、上質で奥行きのあるエロスの表現だと感じるのです。

 つまりこの作品においてのヌードシーンでは、モラルや常識等、今の瞬間以外の余計な考えを全てを剥ぎ取り真の〝生〟を見出す、人間本来の姿が表現されていて、対して直接的ではない部分からエロティシズムを表現しているように私は感じました。

 行き先の分からない現代社会の中で、人は常に未来を想いながら生きています。

 しかし、もし、富士山が噴火したら……明日がないとしたら……私達はこの瞬間をどう生きるでしょうか。本能の赴くままに欲する2人の姿は、最も人間的で、でも、絶対こんなふうに全てを投げ出すことなんてできないから、ちょっとだけ羨ましくも感じるのでした。
 
 この連載で選ぶ作品は、キネマ旬報ベスト1位から選出していくという決まりのもと執筆していて、偶然今の心境に合っていると思ったので今回この『火口のふたり』を鑑賞しましたが、もしこの決まりがなかったら、この作品を観ることは一生なかったかもしれません。

 正直、一般の映画では意味のないヌードシーンとなっている作品も少なからずあると思います。視覚的な刺激にしかならない、単純な表現に見えてしまうものもある。しかしこの『火口のふたり』のように、ヌードの必需性を強く感じられる、とても良質な作品もある。今後私が演者として、そういった作品に出会うかは分からないですが私自身も、表面的な部分だけ見て毛嫌いするのではなく、自分のセンスと判断力を磨いていくことが、何よりも大切だなぁと思いました。

 とは言いましても、かなり濃厚で生々しい作品なので、鑑賞する際には、おひとりの時間に(笑)。是非ご覧になってみてください。

  • 9/20 18:00
  • サイゾー

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