新感覚の不倫もの。黒木華の妻が漫画を描いて夫・柄本佑を挑発/映画『先生、私の隣に座っていただけませんか?』

『先生、私の隣に座っていただけませんか?』はミステリアスなラブストーリーである。

◆新感覚の不倫もの

「先生」とは誰なのか。人気漫画家・佐和子(黒木華)が密かに心を寄せていく教習所の先生(金子大地)と考えるのが妥当だろうが、彼女の夫・俊夫(柄本佑)は漫画家で「先生」と呼ばれることもあるはず。このタイトルには佐和子の隣に座るのが教習所の先生なのか、それとも夫の漫画家かという謎も潜んでいるように見える。

 要するに不倫ものなのだが不倫ものにつきまといがちな湿度の高さが感じられずからり、ふわりとしている。というのは不倫が佐和子の描く漫画の中で展開し、虚構なのか現実なのかミステリアスで本来の不倫の罪深さが中和されているからだろう。新感覚の不倫ものである。

◆妻の描く漫画で夫そっくりなキャラが不倫

 佐和子(黒木華)と俊夫(柄本佑)は漫画家夫婦。このところ俊夫は作品を積極的に描いておらず、佐和子のほうが活躍している。主に俊夫は佐和子の手伝いをしている。一見仲の良い夫婦のようで、佐和子は彼女の担当編集者・千佳(奈緒)と俊夫の仲を疑っていた。

 ちょうどその頃、新作漫画を手掛けることになり、今までやったことのないものを描こうと考えた佐和子は「不倫」 をテーマにする。妻の漫画を読んだ俊夫は、佐和子と俊夫にそっくりなキャラクターが登場することに驚く。

 しかも俊夫に似たキャラクターは不倫していて、漫画の回を追うごとに俊夫似のキャラと不倫相手の関係が加熱していくものだから俊夫は佐和子が自分の行いをすべて把握しているのではないかと気が気ではない。

 佐和子はまるで何もないように澄ましているが、やがて自動車教習所の先生・新谷(金子大地)といい感じになっていき、今度は俊夫がやきもきして佐和子の行動を執拗(しつよう)に追いかけるようになる。

◆イケメン漫画キャラと自然にオーバーラップする柄本佑

 序盤の俊夫は千佳が惹かれてしまうだけあるスマートな人物に見える。いまはわけあって漫画を描いていないが漫画の才能もある魅力的な人物のようで、妻の手伝いで漫画を描く姿も職人ぽくていい。

 演じる柄本はテレビドラマ「知らなくていいコト」(20年 日本テレビ系)の“尾高”以降、ラブストーリーの相手役もハマることを世間に知らしめた名優である。その後、日曜劇場「天国と地獄~サイコな2人~」(21年 TBS 系)でも彼が演じた主人公を支える誠実で頼りがいのある人物は好感度が高かった。

「先生、私の~」では妻が描くイケメン漫画キャラと自然にオーバーラップしていく。

◆あえてドロドロを避けた、柄本の愛され嗅覚の良さ

 漫画を実写化し俳優が漫画キャラに寄せて演じることはエンタメの世界でよくあることだが、俳優の演じる役に似せた漫画が本編で描かれ、俳優の演技と並行して進んでいく趣向は稀少である。

 面白いのは、漫画ではイケメンな俊夫の現実の姿が漫画とは逆に次第にあたふたして滑稽(こっけい)さを露わにしていくこと。優しく包容力ある旦那様よりもむしろそっちのほうが愛らしく見えていく。

 この映画に関する取材を柄本にした時「不倫や同じ仕事で活躍する妻への夫の嫉妬を掘り下げてしまうと、この作品の持つ爽やかさが欠落してしまうので、あくまで夫はマイペースに生きていると解釈して演じました」(クロワッサン8月25日発売号より)と意図してドロドロを避けた考えを語っていた。

 堀江貴大監督と相談してそういうふうにしたようだが、柄本の愛され嗅覚の良さを感じる。例えば漫画が描けなくなった夫が妻の活躍を意識するあまり浮気に走るというようなクリシェに落とし込まないほうが物語は芳醇(ほうじゅん)なものになる。

◆妻が漫画を通し夫を挑発し、夫は振り回されていく

 対する佐和子は最後まで底を見せない。キラキラの絵でキュンとなる恋愛シーンを描く姿がふんわり夢見る人のようで、その妄想力と作画力は強く粘っこくたくましい。実直に見えて時々、何かを企んでいるような鋭さも垣間見(かいまみ)せる。

 クールさと熱さを行ったり来たりさせることで佐和子は自身にベールをかぶせているようだ。彼女の太すぎず細すぎないもちっとした二の腕がポテンシャルを物語っているように見える。

 佐和子は漫画を通して俊夫を挑発し、俊夫はまんまと振り回されていく。この流れを観て筆者は谷崎潤一郎の「鍵」を思い出した。あとでプレスシートを読んだら堀江監督は「鍵」を参考にした作品のひとつに挙げていたので間違いではなかった。

「鍵」は夫が妻に日記をあえて読ませ若い男と妻を知りあわせてその関係に嫉妬したりすることで愛を燃え上がらせる倒錯的な物語で映画化もされている名作で、奇しくも柄本佑の父・柄本明がこの夫を演じたこともあるものだから、柄本佑が演じる夫は令和バージョンの「鍵」といっていいのではないだろうか。

 柄本佑と黒木華ほどの演技巧者かつ過去の名作に関する教養も深い俳優であれば昭和の文芸作品のような渦巻(うずま)く愛憎も巧みに演じられるのだろうけれど、ふたりは決してずしりと重量のある濡れた布のようには演じない。それがとても現代的に思えた。

◆かつてのような不倫ものは求められない

 今、かつてのような不倫ものは求められない。一時期、ドラマでも不倫ものが流行っていたが最近は扱われることが少なくなった。それよりも今は、「キュン」となるシチュエーションが求められている。

 その点、「先生、私の~」では夫婦が互いの貞淑を探り合う物語であっても「キュン」となるシーンや笑えるシーンが多く気楽に見られるうえ、そこから佐和子と俊夫の気持ちを勝手に深堀りしていくことも無限に可能である。夢想のはてに訪れるラストは爽快だ。

(C) 2021『先生、私の隣に座っていただけませんか?』製作委員会

<文/木俣冬>

【木俣 冬】

フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など。Twitter:@kamitonami

2021/9/19 8:46

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