大河ドラマ『青天を衝け』稀代の“エロジジイ”を吉沢亮はどう演じるか? 愛に生きた渋沢栄一列伝【再掲】

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──歴史エッセイスト・堀江宏樹氏が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、 ドラマと史実の交差点をさぐるべく自由勝手に考察していきます!(2020年12月6日公開記事を再掲)

『麒麟がくる』と『鎌倉殿の13人』の間に挟まれ、少し影の薄い来年の大河ドラマ『青天を衝け』。

「大河ドラマ」史上初の2月放送開始作品となる以外、あまり話題にもなっておらず、正直寂しいものです。主要キャストはすでに発表されていますし、幕末史を彩った有名人は、ほぼ全員登場する印象がありますが、「コレ!」という異彩は感じられないというのが本音かもしれません。

 その中で気になるのは、「慶喜推し」の大河ドラマであるらしいこと。

 徳川慶喜(草彅剛さん)は、渋沢栄一の主君で、明治以降も彼が関係を持ち続けた恩人です。それは事実ですが、大ヒットした『篤姫』(2008)以降は、慶喜といえば“嫌われ役”として描かれるのが「大河」の定番ですからね。「大河」では先例が踏襲されやすい中、その常識をくつがえそうというのですから、意欲作となる予感はあります。

 しかし……それ以外に強い感想を現時点では抱けません。それは主人公・渋沢栄一が、「政治家」というより「経済人」であるということも大きいのかな、と思われます。経済人といえば、立身出世を重ねた成功者であり、なんとなく親近感がわきづらい存在に感じられるからでしょう。あくまで筆者の私感ですが。

 渋沢栄一は「資本主義の父」などといわれる偉人の中の偉人で、彼が創業・設立に関わった企業だけでも500社以上。他に病院や学校などの設立にも尽力しているので、知らない所でお世話になっている「可能性大」で、けっして縁遠い存在ではありません。しかし逆に、それゆえにエラくて別世界の住人という感覚になっちゃうのですねぇ。庶民の悲しさというヤツですが、気を取り直して『青天を衝け』の見どころを勝手に予測していきたいと思います。

 公式サイトも出来立ての『青天を衝け』ですが、NHKのPRを見ている限り、ずいぶんとおカタイ内容のように思えます。でももしかしたら、フタを開けて見れば「え、NHKの大河枠でやっちゃっていいの?」という内容になるかもしれない。そう期待する理由は、渋沢栄一を主人公に掲げているからですね。

 なぜなら、渋沢栄一という人は下半身事情が、その91年に及ぶ生涯を通じて実に旺盛だったからです。それを語らずして、渋沢の人生はとても描けないとも断言できます。『論語』に渋沢が人生の指針を見出し続けたのも、性道徳に対する言及がほとんどないから、という説を、彼の後妻の兼子が冗談めかして指摘しているほどなのです。

 そんな渋沢の容貌は……というと、彼を演じる吉沢亮さんのようなイケメンではまったくありません。身長は150センチ程度で、低めだったといいます。が、幕末の成人男性の平均身長は155センチ程度ですから、渋沢がとりたてて小柄というわけでもないようです。

 現代の身長感覚でいえば、165センチより少し低い程度と思ってもらえればよいでしょう。

 骨太でガッシリとしており、眼光は鋭く男性的ですが、ヒゲや体毛が極端に薄い体質らしく、晩年には「おじいさん」というより「おばあさん」のような印象だったそうです(作家・大佛次郎の証言)。筆者の目に晩年の渋沢は、まるで老けた赤子のようにも見えますが、その赤子が男性として現役で、複数の愛人宅に通い、愛人たちを孕ませつづけているのですから、恐るべき老人なのでした。

 好きなモノを絶ち、神仏に願掛けするイメージで女性を絶っていた時期を除き、家庭の内外に複数の恋人が切れずにいる状態だったのが、渋沢栄一という人です。

 たとえば、NHKが発表しているドラマのあらすじでも、実家の家業である農業をほったらかして渋沢は倒幕・尊王攘夷運動に血眼になり、その結果、高崎城を奪い取ろうとして失敗。その罪で御公儀から追われる身の上になると描かれています。

「もはや京都に逃亡するしかない!」という時も、渋沢は逃亡のかたわら、江戸随一の花街・吉原に立ち寄って、その感想を趣味の漢詩にまとめていたりするのです。「吉原に行かずに死ねるか」という腹の座り方は、堂々たるものです。

 大河ではこういう渋沢の一面を、どう描くのでしょうか(笑)。

 逃亡先の京都時代について、本人は「夫人ぐるひ(原文ママ)」もしないまま、真面目に暮らしていたと妻の千代に言っているのですが、その「夫人」に芸者や遊女といったプロの女性は含まれていないのが定説で、詳細は不明ながら、新選組のある隊士の愛人に手を出し、7-8人連れで襲撃されています。なんとか話し合いで殺されずにすんだようですが。……しかもこの時期が、渋沢が一番女性とは縁遠かった時間というのですから、恐れいりますね。

 この後の渋沢は、御公儀に追われる身の上から一転、徳川宗家にも近い“御三卿”のお家柄のひとつである一橋家にスカウトされます。そして徳川慶喜の弟・昭武に随行し、フランスへと旅立ちました。

 この約5年の間、妻の千代とは一度だけ、顔を見合わせる程度の短い面会があった程度。それでも妻の千代は文句一ついわず、留守を守ったというのがすごいんですね。

 千代のすごさといえば、彼女は東京の自宅で “妻妾同居”を渋沢に許しています。これは、渋沢が赴任していた大阪での現地妻・大内くにと、彼女との間に生まれた娘たちの身柄を、明治4年11月以降に渋沢の妻・千代が受け入れたことがきっかけです。

 明治時代の倫理観は面白く、エラい男性が自宅の外にお妾を囲うのはマイナス要素らしいのですが、自宅に正妻とお妾が同居するのは「ま、仕方ない」程度で済むのだそうです。ちなみに家の外にもたくさんのお妾を渋沢が囲っていたのは、いうまでもありませんが。

 ですので明治期、妻妾同居は実は珍しいことではなく、例えば勝海舟の家庭はその典型です。ただ、勝海舟は妻から見ると暴君だったらしく、「(女好きすぎる)夫とは別の墓に入れてほしい」などと言われてしまっていました。それにくらべると、渋沢は妻・千代との関係が非常に円満でした。千代の基本姿勢は「旦那がちゃんと稼げている限り、妻がその女性関係に口出しするのは野暮」ということのようですが、公然と妻妾同居を認めてしまう妻の態度は、やっぱり特筆すべき点でしょう。

 渋沢にとっては、自分を理解してくれるかけがえのない妻だった千代。彼女がコレラで若くして亡くなると、渋沢は大商人の娘・兼子を後室(後添えの妻)として迎え入れます。そしてさらにたくさんの子供たちが生まれるわけですが、兼子も渋沢の女性関係を、おおらかに受け入れました。ただ、子供たち、とくに娘たちにとって父・渋沢の下半身事情は深刻な悩みだったようですが。

 渋沢本人はまったく悪びれず、生存中に出た彼の個人全集に掲載された略歴の中でも、正妻との間に授かった子供のほかに、トータルで何十人もいた“愛人”に産ませた子供の情報も並行で掲載しています。当時でも、そして現代でさえも珍しいオープンな思想の持ち主でもありました。

「渋沢とは?」という問に筆者が一言で答えるとすると、“愛の人”ということになります。女性たちだけでなく、社会全体をも気にかけるだけの“愛”にあふれている人だから、慈善事業や公共事業にも尽力できたのだろうと筆者には思われるのですね。

 NHKが大好きな“家族の絆の物語”という点では、子沢山の渋沢ファミリーはうってつけなのですが、本当に描けるものなんでしょうか(笑)。個人的には、白河院(伊東四朗さん)と“養女”璋子(檀れいさん)のラブシーンが開始早々に出てきた『平清盛(2012)』くらいの衝撃を期待しているのですが……。

 描き方次第では、かつてない面白い内容になるかもしれない『青天を衝け』。吉沢亮さんの爽やかさで、ドラマのドロドロした印象が中和されることを狙ってのキャスティングだったのか……などと考えてしまいますが、来年の放送開始をとりあえずはワクワクして待ちたいものですね。
(参考資料:鹿島茂『渋沢栄一 Ⅱ 論語篇』文藝春秋)

  • 2/14 19:30
  • サイゾー

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