『青天を衝け』ヒットの法則をおさえた傑作の誕生か? 史実と照らし合わせて読む大河ドラマ考

──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ

『青天を衝け』、怒涛の20%超えというスタートだそうですね! 正直、かなり驚かされました。前評判は良いとは言い難いものでしたから……。

 特に注目したいのは、瞬間最高視聴として午後8時57分に記録した22.8%という数字です。物語が進むほど、さらに多くの視聴者をひきつけた証でしょうから、かなりの底力を秘めた作品に「化けそう」というのが筆者の感想です。

「語り部」として北大路欣也さんが登場、「徳川家康です」の“自己紹介”には仰天しましたが、そのうち違和感も消えてきて、逆に面白く感じました。

 第1回が支持された理由は、構成が非常に巧みだったことだと思います。「大河ドラマ」のファン層=潜在視聴率は筆者の見積もりで、15%ほどはいます。この大河のファン層は、「史実」と「時代劇のお約束」の両立、さらに「ドラマとしての面白さ」という3点を満たすことを強く求めがちなんですね。

 制作陣にとってはなかなかに高いハードルですが、今回を見た限り、無理なく無駄なく、それらの「大河ドラマ」成功に必要不可欠な要素は満たされていたように感じました。

徳信院が夫の死に泣き崩れるシーンを史実で見ると…

 それでも「史実は違うよ」的な粗探しをしてみると、美村里江(旧・ミムラ)さん演じる徳信院は、夫の死に泣き崩れていましたよね。歴史を題材に執筆活動をする身としては一番気になったシーンでした。

 なぜなら徳川将軍家や、一橋家、それに連なる最上流階級の武家は格式の問題で、当主の最期をその配偶者が看取ることができません。重病の夫を看護することさえできないことも。

 たとえば、みなさんよくご存知の天璋院篤姫のケースでは、夫・家定の死を篤姫が知らされたのは彼の死から1カ月も後の話。家定が重病に陥ってからはなんと3カ月ほども会えぬまま、詳細を知らされることもなく、とつぜん、ある日「上様は亡くなられました」と史実の篤姫は言われてしまったのです。

「死はケガレ」という篤姫への“配慮”でもあったのですが、今の感覚とは離れすぎているので、そういう歴史の約束事を忠実に守るとドラマとして破綻しちゃうのですね。

 ちなみに篤姫の夫となる家定は今回も登場しており、「お料理が上手」と奥女中たちからいわれていた「家祥さま」です。彼が後の第13代将軍・徳川家定ですから、今後をお楽しみに、というところでしょうか。ちなみにこの時、すでに篤姫とは別の女性と結婚していますので、「子どもが生まれない」と紹介されてもおかしくはありません。ま、そのうち、彼についてはコラムで触れることもあろうかと思われます。

 ……さて、話が戻りまして、徳信院は、伏見宮家出身で、お名前を直子(つねこ)といいます。徳川慶喜の養祖母に当たる女性ですが、慶喜の真の想い人でもあったといわれています。彼らの関係を気に病んで慶喜の正室・美賀子は自殺未遂を起こしたという話まであり……遠からぬ将来、徳信院には草彅剛さん演じる慶喜との親密なシーンが出てくる可能性が、なきにしもあらずです。

 そういう少々ドロッとした部分をNHKが映像化するかはわかりませんが(期待してしまいますけど)、徳信院はドラマにとっても「大事な女性」だからこそ、第一回目から記憶に残るように色々と取り計らわれているのであろう、とは思いました。

時代劇のお約束「土下座」と「方言」の考察

 そして、時代劇のお約束といえば、庶民の土下座にも触れずにはいられません。少年時代の渋沢栄一たちは土下座し、「鬼」こと高島秋帆(たかしましゅうはん、玉木宏さん)という砲術家がお代官に連行される姿を見送っていましたが、ああいう行列に土下座する習慣も、江戸時代には「ほぼ」ありません(笑)。

「ほぼ」と書いたのは、徳川将軍家と御三家以外の御行列に庶民は土下座必須なのですが、めんどくさいから家の中に入ってしまう人のほうが多かったと思うからです。しかし、土下座シーンがないと時代劇は始まりませんからね!

 また、徳川家康こと東照宮様の言葉として、

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」

 という「名言」がテロップ入りで紹介されていましたが、あれは「ウソ名言」です。明智光秀の「敵は本能寺にあり」同様、本人は言ってないのに広がった名セリフの類で、家康のあれは「水戸黄門」こと徳川光圀が創作したと言われています(徳川義宣氏の研究より)。

 ほかにも色々あるにはあるのですが、それらをチクチクつついても始まりません。採用されているのは、ウソであろうがなんであろうが、ドラマの盛り上がりに必須な要素だからですもんね。

 ということで、あふれる情報をうまく整理、「史実」と「時代劇」のお約束の両立が出来ている大森美香先生の脚本は良いと思います。セリフの一つ一つ、たとえば人物のセリフの方言の有無についてもかなり考えられていると拝見しました。

 舞台の血洗島は現在では埼玉県深谷市に属しますが、当時は(そして今も?)群馬の一部といってよい文化圏に属しています。渋沢栄一少年(小林優仁さん)は、苗字帯刀を許された村の名士の子どもでありながら、ワルガキたちとも仲良くできる、ヒューマンスキルの高い男の子として描かれています。

 だからでしょうか、言葉に、上州弁という方言がまじりがち。一方で、栄一の父(小林薫さん)は、怒った時など以外に方言は出ず、標準語に近い喋り方をします。

 江戸時代、田舎ぐらしの庶民も、若い頃に都市部に奉公などに出て、関西なら大坂、関東なら江戸など「都会の言葉」をしっかり身につけて家に戻り、その後も何か大事な主張があれば、その「都会の言葉」で明晰にお話しすることが重視されたりしていたんですよ。だから、ああいう標準語に近い言葉をしゃべる家は当時も存在しているし、それが教養のあるしっかりとしたお家の証明というわけです。

 一方で、地元の人と話すことが多い栄一の母(和久井映見さん)は、標準語にすこしだけ上州弁が交じる感じ。このように、言葉だけで、その人物のステイタスや生き方を巧みに描写している脚本なわけです。

 脚本家としての大森美香さんの才能のひとつに、視聴者に、登場人物を「好き」にさせるのがお上手ということがあります。渋沢栄一少年が、幼馴染の女の子に「お前が大事だ(それゆえ、櫛をオレは取りに行く)」などというあたり、グッと来た視聴者も多いかもしれません。冷静に見て、こんなことを言う子どもは近い将来、相当な女たらしになりそう……なんですけども(後の渋沢栄一の華麗なる女性関係への伏線?)。

 さてさて、いつの間にか、文章が長くなってしまいました。「イケメンだらけで良い」などという感想も周辺では飛び交っており、また「朝ドラ風大河」か……と内心、辟易していたのですが、本作は違うようですね。

 大河の平均的な視聴率が15%前後として、今回は「なんとなく」にせよ、プラスで5%以上の「ふだん、大河はあまり見ない層」が視聴してくれたわけですが、今後も期待できるのではないでしょうか。

 初回は冒頭に少し出てきただけの吉沢亮さんが、次回以降、思春期になった渋沢栄一を熱演してくれると思いますし、草彅剛さん演じる、やけに虚無的な徳川慶喜との絡みも期待されますね。来週を楽しみに待ちましょう。

2021/2/21 11:00

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