パーパーあいなぷぅの「マジで、どうでもいい」発言を支える、あるいは囲い込む誰かの声

 テレビウォッチャーの飲用てれびさんが、先週(9月5~11日)に見たテレビの気になる発言をピックアップします。

あいなぷぅ「マジで解散しようがそのままやってようが、どうでもいい」

 雨上がり決死隊のコンビ解散が生配信で発表されたのは先月17日。そこから約1カ月が経つが、ネットニュースの見出しなどで、特に宮迫博之のYouTubeなどでの動向に触れる機会は多い。フジモンこと藤本敏史(FUJIWARA)の生配信での号泣や発言が、バラエティ番組でイジられている場面を目にしたりもする。

 そんななか、11日の『さんまのお笑い向上委員会』(フジテレビ系)では、オープニングからその話題で盛り上がっていた。例の配信があってから、初めての収録だったらしい。

明石家さんまは、前回の収録直前に蛍原徹から解散を聞いていたと語った。蛍原と宮迫の最近のギクシャクした関係を知っていた今田耕司は、雨上がり復活に向け動いているさんまに2人の現状を知らせようか迷っていたと吐露した。宮迫のYouTubeでの活動も、もし1人でやっていたら蛍原も応援するつもりだったのではないか、といった話も出た。

 そんな流れで、さんまが「お前なんかまったく興味ないやろうけども」と話を振った、パーパーのあいなぷぅのひと言に痺れた。

「ホントに、マジで解散しようがそのままやってようが、どうでもいい」

 そもそもお笑いに興味がないと繰り返し公言してきた彼女は、この件でも「どうでもいい」。このSNS隆盛のなか、世間で盛り上がっている話題に対しては、個人的に興味がないことでも何か立場・意見を示さなければいけないのではないかという気になってしまうけれど、そんな周囲の盛り上がりをちゃぶ台返しして「どうでもいい」と言っちゃうスタンス。もちろん、さんまが作ったスムーズな流れのなかでの発言なのだけれど、痺れた。

 だからもう、言ってもいいと思う。世間がまだ不倫を気にしてる的なスタンスでメディアに出てくる原田龍二はどうでもいいとか、言ってもいいと思う。って、そんな話題、世間では盛り上がってすらないわけだけれど。

 毎月1冊の名著を4回に分けて読み解いていく、伊集院光がMCを務める教養番組『100分de名著』(NHK Eテレ)。今月取り上げられたのは、フランスの心理学者ギュスターヴ・ル・ボンが書いた『群集心理』という本だった。指南役はライターの武田砂鉄だ。その第1回目が6日に放送された。

 群集の熱狂が社会を動かしていく過程や功罪を描き、19世紀末に出版された『群集心理』。同書によれば、群衆は感情が誇張的で単純である。武田はこの指摘を、テレビのワンシーンを例に説明する。いわく、テレビでは悲しい出来事があったときに「悲痛」などとテロップが出るようになったが、これは「『あなたたちこういう気持ちになってくださいね』っていうこと、これがいいことなんだっていうことに、なりすぎてんじゃないか」。

 さっきの話でいうと、群衆の感情の流れのなかに放り込まれたときには、なかなかあいなぷぅのように「どうでもいい」とは言っちゃえないということだろうか。

 で、伊集院が「胸が痛い」とこの話題を受けて語る。彼によると、テレビは「さぁ続いてはおもしろい話です」「続いては悲しい話です」という具合に、「出来事のなかのわかりやすくおもしろいところをギュッと」する。対してラジオは「おもしろ悲しくて、ちょっと悲しくて臭ぇな」というような、「全部入り」の話をする。が、そんなラジオの発言をもとにしたネット記事では、ラジオの複層的な話を単純化してしまったりする。

 ラジオで話したことと、それがネットで広がったときのズレ。そこで生じる伊集院光像のズレ。そのズレを武田が「しんどくないですか?」とたずねると、伊集院は次のように応じた。

「いやそれはしんどいんですよ、しんどいし、ただ逆に、それで得た名声はポッケ入れてるだろお前、っていう。それは自問自答の毎日。『匿名で悪口言うのはよくねぇじゃねぇか』っていうのを、タレントが思いっきり胸張って言ったときに、僕は、匿名の善意にもものすごく支えられているので。たとえばラジオにネタ送ってくれる人とか。匿名が悪いわけではない、って思ったりとか」

 番組はロベスピエールの話題に。フランス革命のなかで特権階級に立ち向かう姿が群衆から熱狂的に迎えられたものの、その後、反対派を処刑するなどいわゆる恐怖政治を行ったロベスピエール。しかし、その独裁的な姿勢が群衆から非難され、結局自身も処刑されるに至った。そんな彼の顛末に、伊集院はラジオで人気が出始めたときの自身を重ねる。

 伊集院いわく、「孤独だった自分たちが集まっていくと、初めての仲間がいる感じっていうのを受けるわけですよ」。だからこそ、学生時代に孤独をこじらせていた伊集院は、「毒舌を言う人」としてラジオのリスナーから徐々に評判を得るなかで、その好評価から抜け難くなったという。

「あれ? ちょっと待って、っていう。俺は、そもそも俺の思ったことを言う人だったはずで、毒舌を言うっていう目標でラジオをやってた覚えはないんだっていうんだけど、もう止まらないの。俺は毎週新たな毒舌を言う人っていう、群衆からのフィードバックにあってく」

「仲間の意思、周りの意思みたいなもので自分の個性を消していく作業。あんなに嫌いだった、そういう連中から弾かれて始まったはずの自分が、その居心地のよさから出れなくなる感じは、俺、ぞっとするほどわかるんですよね」

 周囲の評価が自身にフィードバックされる。その甘美な評価にいつの間にか身を委ねてしまう。そうすることで、自分の本来の在り方をどんどん見失ってしまう。なるほど、とても身につまされる話だ。

 そしてこの伊集院の話、前半の話と合わせて聞くと、さらに複雑だ。伊集院は匿名の声に支えられていたと語る。しかしそれが、甘美な声ではなかったという保証はない。他人により作り上げられた自分の像、そこに自分から囲い込まれにいってしまうような、そんな居心地のよい声ではなかったとは言い切れない。

 群衆の支える声と囲い込む声。その腑分けは難しい。あいなぷぅがあいなぷぅであり続けるのも、たぶんなかなか難しいのだ。

  • 9/17 17:00
  • サイゾー

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