『家、ついて行ってイイですか?』漫画『ニーチェ先生』の原作者が登場! “顔出しNG”だった素顔と生活を初公開する
9月8日に『家、ついて行ってイイですか?』(テレビ東京)が放送された。それにしても最近の『家つい』を見ていると、取材相手を探すために使われるのが埼玉の激安スーパーばかりなのだ。今回も、久喜と戸田にスタッフは馳せ参じている。そりゃあ、港区辺りだとワケあり家庭との遭遇率は低いだろうけど……。番組と埼玉の親和性の高さを、視聴者は毎回思い知っている。
「もう結婚できない」と絶望した白血病患者
埼玉県戸田市のスーパーでスタッフが声をかけたのは、2人の息子さん(1歳と5歳)を連れて買い物に来ていた27歳の母・なつきさんだ。スタッフが「家、ついて行ってイイですか?」と尋ねると、まずは義理のお母さんへの確認が必要とのこと。電話で確認を取ると、義母からの返事はOKだった。実は、お義母さんは『家つい』のファンだそうだ。
「お義母さんを(家に)呼んでもいいですか? 住んでないですけど、一緒に」(なつきさん)
一緒に住んでいない義母の確認がなぜ必要だったのか……? 兎にも角にも、なつきさんの家へお邪魔することに。到着すると、番組ファンという51歳の義母・みかさんもやって来ていた。彼女はもう、51歳にしておばあちゃんなのだ。
それにしても、家が大きい。新築3階建ての一軒家で、価格は約4,000万円。35年ローンだそうだ。ちなみに、リビングは21帖という広さ。新しくて綺麗なお家だけど、室内はいい感じに散らかっている。小さい子どもがいるんだから、これはもう仕方がない。
3階に上がると、もっと散らかっていた。現在はあまり使用しておらず、物置状態らしい。要するに、将来の子ども部屋になるのだろう。
ちなみに、ご主人の達也さんはなつきさんと同じ27歳。この若さで新築一戸建てを買うなんて凄い! 達也さんの職業は信用金庫の銀行員で、なつきさんは看護師だ。なるほど、ド安定である。夫婦でがっちり稼いでいる。共働きだから新築一戸建てを買えたのだろう。なつきさんは以前は血液内科に、今は美容外科で働いているそうだ。
そうこうしている内に、達也さんが仕事から帰ってきた。また、優しそうな雰囲気の人なのだ。俳優・池田鉄洋似の顔立ちは“いい人オーラ”で溢れている。
「息子が結婚できると思ってなかったんですよ。だから、お嫁ちゃんが来てくれて嬉しくて」(みかさん)
ん? わからない。ちゃんと仕事もしているし、爽やかだし、普通に結婚できそうな好青年だ。ところで、このご夫婦はどこで出会ったのだろう?
達也さん 「え~と、入院してる病院です」
なつきさん 「(夫は)入院してましたね」
――なんで入院してたんですか?
達也さん 「白血病で」
なつきさんが以前働いていたのは血液内科だった。白血病とは血液のがんである。23歳で病院にやって来た達也さんのそのときの状態は“死にかけ”だったそう。そこで達也さんの検温や点滴をしたり、熱が出れば採血をしたり、看護していたのがなつきさんだった。そして、2人はいつの間にか結ばれた。
「入院中も『俺はもう子どももできないし、結婚もできないかも……』ってボヤいてたんですよ」(みかさん)
いや、なつきさんと結婚できているし、お子さんも授かった。2人の馴れ初めは、どういうものだったのか?
――どちらから好意を? アプローチしたのは?
なつきさん 「忘れちゃったよね」
達也さん 「どっちですかね」
言って! 忘れてるわけがない。ともかく、白血病は命にかかわる重大な病気だが、入院しなければ2人は出会わなかった。すごく運命的だと思う。そして、現在の達也さんは白血病を寛解。つまり、乗り越えたのだ。
「でも忘れられないのが、入院したその日。主人は仕事で病院に来れなかったんですけど、達也が病気になって悪いと思ったんでしょうね。『お父さんにゴメンって言っといて』って。それを言われたときはもう……さすがに涙が出そうになりました。『何で謝るの!』って。『お前が悪いわけじゃない!』って言って。あの言葉は一生忘れられないです」(みかさん)
そんなことを息子から言われたら、泣くに決まっている。だから、看護師が奥さんになってくれて心強く感じるのだろう。母は“お嫁ちゃん”に心から感謝しているようだ。
「結婚もできて孫もできてなんて、あの頃の私には想像できない。(なつきさんは)女神ですよ、女神! だって普通、病気になった子のお嫁さんになります? いや、ならないですよ! 『えー!』って嬉しくて、私は」(みかさん)
料理を教わるなど、なつきさんはみかさんに心から頼っているようだ。そして、みかさんはなつきさんが可愛くて仕方ないように見える。家族として素敵な形だ。
「薬(抗がん剤)の影響で子どもできないって言われたけどね、子どもは産まれたし(笑)」(なつきさん)
看護師だからか、なつきさんはどこか肝が座っているようだ。確かに心強い。
最近の『家つい』には、病を抱えていたり、家族が亡くなったり、つらい現実に苦しむ人が数多く出演する。みんなそれぞれ、何かを抱えながら生きていることの表れだろう。その事情を1人で抱えるのではなく「誰かに聞いてほしい!」と思う人が多いということも、今の傾向の理由な気がする。
千葉県印西市のお菓子店でスタッフが声をかけたのは30歳の男性、佃俊平さんだった。
「文章を書く仕事をしてまして、行き詰まるとお菓子に逃げたりとか(笑)」
実家に住んでいるという彼の家に、スタッフはついて行くことにした。
ところで、「書く仕事」とは何だろう。ネットライターか、はたまた売れない作家志望か? 聞けば、今の仕事を始めて今年で9年目とのこと。大学を卒業した夏に「書く仕事」を始めたそうだ。じゃあ、卒業から夏までは何をしていた? ちなみに、卒業した大学は中央大学である。
「1年生のときからコンビニでアルバイトを始めて、ずーっと夜勤やってました。学生時代に1番打ち込んだものはレジ打ちみたいな」(佃さん)
到着したのがまた、いいマンションなのだ。しかし、不可解にも裏側から建物へ入ろうとする佃さん。それには理由があった。
「いつもエントランスが怖くて、裏口から入ってます。(表は)コンシェルジュさんがいるんですけど、挨拶されるので。(人が)あんまり得意じゃないですね」(佃さん)
そんなことを言いつつ『家つい』の取材は受けているわけだが、逆に初対面の人は話しやすいのはよくあること。それはわかる。
「好奇心が強いので、(自分から)興味を持ったら大丈夫なんです。極端なんですよね」(佃さん)
というわけで、彼の家へ到着。すると、優しそうなお母さんが出迎えてくれた。家は4LDK。部屋の中に貼ってある1枚の漫画ポスターを発見した。どうやら、『ニーチェ先生~コンビニに、さとり世代の新人が舞い降りた』(KADOKAWA)のポスターのようだ。
「息子が原作をやってるんです」(お母さん)
累計200万部を突破するヒット作で、コンビニの接客事情を描く作品が『ニーチェ先生』だ。その原作者!? そういえばさっき、コンビニで働いていたって言ってたな。なるほど、佃さんは経験を生かして成功したのか。だったらもう実家を出ていてもいいのに……とも思ったが、このマンションは佃さんが自力で購入した可能性もある。
何しろ、『ニーチェ先生』は2016年に日テレでドラマ化を果たしている。監督は福田雄一で、主演は間宮祥太朗。佐藤二朗や内田理央といった豪華キャストが名を連ねており、佃さんがモデルの松駒役を演じたのは浦井健治だ。
「演じていただいて光栄なんですけど、(見た目の)詐称が過ぎる。ごめんなさい(という気持ち)」(佃さん)
当初は就職浪人で、コンビニで働きながら原作を書いていた佃さん。職場に迷惑がかからないよう、サイン会にはお面を被って出席した。つまり、ずっと“顔出しNG”だったのだ。彼の顔は今回が初公開である。
というか、この番組には漫画関係の人がなぜか頻繁に出演する。前回は『デリバリーシンデレラ』の作者が登場したし、今回は漫画原作者だ。なぜなのだろう……?
あと、佃さんが就職浪人になったのも不思議だ。なぜなのか?
「(小さい頃は)友だちがいなかったので瞬間的に受け答えするのが苦手で、人と楽しく会話することができなかったんです。就職活動(で必要なこと)ってコミュニケーション能力だと思うんですけど、人とどう接したらいいか全然わかってなくて。だから就職活動もうまくいかなくて、どこからも内定もらえないまま卒業式を迎えてしまい、就職浪人になり……という感じでした」(佃さん)
そんな中、コンビニに入ってきた新人のエピソードを大学4年の頃からTwitterで書き込むようになる佃さん。その初ツイートは、2012年4月16日の以下だ。
「お客様は神様だろぅ!?」とお怒りになったお客さんに対して、淡々と「神は死んだ」と返した期待の大型新人が夜勤にやってきました。ゆとり世代ならぬさとり世代である彼の今後の活躍に期待したいところです。
— 松駒@matsu_koma) April 16, 2012
佃さんの一連のツイートは反響を呼び、出版社からは書籍化の話が舞い込んだ。つまり、『ニーチェ先生』は持ち込みじゃなかったのだ。人生、どうなるかわからない。
「変な気分でした。就職活動ではこちらが頭を下げて『職をください』とお願いをしてるのに、『漫画化させてください』って編集長や会社の偉い方々が直々に頭を下げに来るのでおかしくなりそうですよね、バランスが(笑)」(佃さん)
結果、発売されたコミックスの1巻は即売れ。すぐに重版をかけたが、注文数が殺到しすぎてその重版も追いつかなかった。かなりの額があった奨学金を佃さんは1年半で完済したという。
「実写化でピークだった2016年は、年収で言ったら1,000万円以上は行ってました」(佃さん)
いや、逆にそんなものなのか!? 1年間で100万部以上売れ、ドラマ化されて、それでも1,000万円程度。これは意外だった。そして、現在は……
――今、どのくらいの収入になっているんですか?
佃さん 「年収100万円とか200万円とか」
原作だけだと、漫画の仕事って難しいのだろうか? 実家住まいだから生活できているのが、佃さんの現状だった。でも、次回作の構想はもう練られている模様。動物が好きという彼は、動物園の飼育員の話をおもしろおかしく書きたいと考えている。
あと、人と接するのが苦手な1人の男性がマンションのコンシェルジュと接してみる漫画はどうだろうか? 『ニーチェ先生』はコンビニの後輩がモデルだったが、今度の作品は自分がモデル。だって、彼の話しぶりを見ていると、質問には的確に返すし、会話は上手だし、とてもコミュ障とは思えなかったのだ。だから、自分のことそんな風に言わないでほしい。