勉強がきらいでやる気もない私が、「なんで英語が話せるの?」と言われるまで

「英語での会話を楽しむ」にフォーカスをあてる

by Fa Barboza

ここ数年、ずっと英語を勉強し続けて、「自分の意見をきちんと英語で話し、外国人の友達と自然なコミュニケーションを取れるようになりたい」という目標を達成しつつある。今回は「勉強が嫌い」「意識が低い」「基本的にやる気がない」私が、日本人としては英語をそこそこ話せるようになった経緯や要素を振り返っていこうと思います。

「日本ではどのようなコロナ対策を行っているか」「日本の少子高齢化の原因は何か」「労働環境を改善するにはどうすればいいか」などの話題をパっと振られても回答できるようになったし、アジア人の友達ができると「なんで日本人なのに英語が話せるの!?」と驚かれたりするが、学生時代の私は「どうせ海外なんて行かないし、英語を勉強する意味ってあるの?」と本気で思っていた。知っている単語と言えば、“Yes”、“No”、“This is a

pen”。その程度の人間がまさか海外旅行に行き狂い、大人になってから英語を再勉強することになるとは……まったく予想していなかった未来ではある。

きっかけは、初めて一人旅で行ったインド。現地でできたチェコ人の友達に「君はもう少し英語を勉強するべきだ」と言われた。相手の言っていることがわからなさ過ぎて、嫌味を言われたことも苦笑いもされたこともあった。何語かさっぱりわからなかったとしても、悪口を言われていることだけはわかるんですよね。悔しかった。

そりゃ、話せたほうがいいに決まっている。それでもやる気にならなかったのは「勉強が嫌いだったから」という理由が大きい。でも幸か不幸か、一人で馬鹿みたいに旅行をしまくって、旅行に必要な単語は言えるようにはなったので最低限は困らないし、まあいいか……そう思いながら放置していた。それからなんというか、仕事への慣れや金銭面の余裕、会社でもたまーに英語を使う機会もあるしと、突然英語学習を始めることにした。

「英語を勉強するぞ」と思ってから今に至るまで、私がやっていることは20分予習し、25分先生と英語を話しまくり、5分おさらいをするくらい。たったこれだけのことをほぼ毎日とにかく繰り返している。面倒であれば休むこともある。普段聴いている音楽は洋楽が多いし、映画も見るしTED TALKを聴いたりもするが、意味があるとは思えない。他の英語を学習している人と比較すると本当にやる気がないし、体たらくだなと自分でも思う。単語力も低いし文法も結構めちゃくちゃだったりする。けど、あまり気にしていない。何よりも勉強が嫌いなので、いかにして「勉強してます」感をなくし、「英語での会話を楽しむ」にフォーカスできるかが自分のなかでの英語学習における重要な要素であった。机に向かってにびっしり単語を書いたり、テキストを買って勉強したりも特にしていない。最近になって、簡単な洋書や興味のある英語の記事を読むようにはなったが、本当にそれくらい。やる気がまるでない。

私たちは雰囲気で会話ができている

英語を話す上で、気づいたことはたくさんある。

日本語での会話も同じだが、私は会話のなかで基本的に簡単な単語しか使わないし、話題となる内容も決まっている。話もすべてちゃんと聞いている訳じゃない。どちらかというとどれだけ早く反応できるか? 面白いフレーズを言えるか? で人とコミュニケーションを取っている。だから、英語で会話をする際も、難しい言い回しをするのも、すべて聞き取ることも辞めた。伝えたいことがあるならシンプルでいい。

英語での会話となると、相手の発言の7割程度しか聞き取れないのだが、会話の流れ的にどんなことを言っているのかはわかる、し当たる。英語が全然聞き取れないことが悩みのひとつだったけど、それは居酒屋でべろべろになりながら日本語でクソどうでもいい話をしているときと同じである。大体何を言っているかわからないし、私たちはかなり雰囲気で会話をしている。そう気づいたとき、悩みがどうでもよくなった。

それから、言語は完璧じゃなくてもいいし、間違えてもいいという価値観を得られたのは大きい。会話をすることが目的なので、反応のためのフレーズを増やしまくると結構話は続く。

英語で会話をしていると、「これ、この表現で合っているのかな?」と思いながら発言することが多々あるのだが、割と修正されないし通じることの方が多い。日本で英語を話すと、常に100点じゃなければいけないし、「こいつ、英語で話している癖に間違えている(笑)」と馬鹿にしてくる人が現れるのだが、外国人相手だとそんなことはない。正確な英語であるには越したことはないのだが、とにかく通じればいいという雰囲気がなんとなくある。第二言語として学習した者同士だと、特にその空気を感じる。

話さないよりは間違えてもいいから何かしら発言したほうがいい。間違えることもコミュニケーションのひとつにはなるし、相手は「話を続ける努力をしてくれる人」として認識してくれる。そうすると、好印象を持ってもらえるし、自分自身の勉強にもなる。そして、一層深い会話ができるようになる。結局、人とのコミュニケーションって言語や語彙力だけじゃなくて、表情や価値観・考え方、ボディランゲージ、自分のバックグラウンドに通じる。そういうものを言葉に出来さえすればいいのだと思う。

ビジネスの場、通訳者として活躍する場合はそうはいかないだろうが、私はこうしてなんとなくではあるが少しだけ英語が話せるようになった。特に目的もないしやる気もない割には、上出来なんじゃないか? と思う。

異文化や少数民族、宗教が好きなので、英語が話せると日本語が通じない国の人の話を聞いて、自分の興味関心をさらに広げることができる。単純に今はそれがうれしい。もう少し単語は覚えた方がいいし、表現の幅を広げられたらいいんですけどね。「日本人の割に英語が話せる」という枠組みから離れたい。

英語学習は当分の間続けていくだろうな。やる気も大きな目標もないが、ひとつの目標を達成できたことは私の自信に繋がっている。今は同時進行で韓国語も勉強しているのだが、0から始めたので、かなりつまらないし退屈だ。「勉強してる」感がぬぐえない。韓国語も英語と同じくらい楽しくできるようになればいいのだが……。

Text/あたそ

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2021/9/14 11:00

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