歌手と兼業する女性タクシードライバー、収入はアルバイト時代の倍以上

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 近年の市場縮小に加え、コロナ禍によるインバウンドの消滅、東京五輪の無観客開催と多重の打撃を受け未曾有の苦境に陥ったタクシー業界。しかしその余波により、ドライバーたちに思わぬ変化が起きていた!

◆働き方、目的、属性も十人十色のドライバーたち

 新型コロナウイルス禍の影響を最も受けたであろう職種の一つが、タクシードライバーだ。全国タクシー・ハイヤー連合会の調査によると、業界全体における’20年3月以降の営業収入は昨年対比で20~60%強まで落ち込んだ。

 給与においては、全国で最も高水準にある東京都の場合、’19年の年間平均推計額が481万円のところ、’20年は338万円と150万円近い減収となった。近年のタクシー業界の地殻変動を追った『コロナ禍を生き抜く タクシー業界サバイバル』の著者、栗田シメイ氏は「その一方で、ドライバーの顔ぶれにこれまでにない変化が起きている」と話す。中でも徐々に比率を増やしているのが、女性ドライバーだ。

「プロの歌手を続けるためにタクシードライバーになりました」

 コンドルタクシーに勤務する當山りえさん(26歳)が、業界に足を踏み入れたのは昨年9月。かつては歌手を目指して渡米、帰国後も歌手活動とアルバイトを並行していたが、その生活はコロナを機に破綻。予定していたライブは軒並み中止となり、ボイストレーニングすらままならない日々が続いた。そんな折、人づてに兼業が可能なタクシー会社があると聞いた。

「面接で音楽活動を続けたいと話すと『夢があっていい。採用!』とすぐに決まりました。驚いたけど、何となくここで働くと面白い未来があるんじゃないかという期待感があったんです」

◆収入はアルバイト時代の倍以上

 もう一つの理由は「音楽を続けるための費用と創作の時間を確保するため」。アルバイトは夜の時間が拘束され、音楽に専念できない。その点、タクシーなら休みが多く、集中して業務をすれば稼げるのが決め手となった。実際、月12日の勤務でありながら、収入はアルバイト時代の倍以上となっている。

「この仕事を通じて、音楽活動の選択肢が増えたことは間違いないです。歌手をしているとお客さんに伝えると『一曲歌ってよ』とリクエストをされたこともあります。喜んでもらえると、私との乗車時間が楽しかったということなので、やはり嬉しい。

 路上、田舎のレストラン、車中であれ、どこでも音楽はできると実感します。稼いだお金で、もう一度アメリカで勝負したいという気持ちもあります」

◆外国人ドライバー、当初は偏見の目も

 総数は少ないが、外国人ドライバーも増えている。青葉・バルビー・シンさん(45歳)。インドから来日して21年目になる彼は、実は有名作品に多数出演する俳優でもある。『テルマエ・ロマエ』、『ステキな金縛り』などのヒット映画の他、日本テレビ系列のドラマ『あなたの番です』では、バングラデシュ人のイクバル役として存在感を放った。4つの企業CMにもキャスティングされており、その実績は堂々たるものだ。

 ドライバーの仕事を始めた当初は偏見の目に苦しんだ時期もあるが、今では、居心地のよさを感じているという。

「『インドから来て、大変だね。苦労もあるだろうけど頑張って』と優しい声をかけてくれる人が多くて。『やっぱりカレーが好きなの?』とか『毎日何を食べているの?』など、素朴な質問をされる時間が何より好きなんです」

◆新卒採用に注力するタクシー会社も

 そして’10年からは、新卒採用に注力するタクシー会社も現れた。コロナ禍の今春でも、日本交通や国際自動車は100人超の採用に踏み切っている。

 国際自動車で勤務する谷治優平さん(23歳)は、教員採用試験に落ちたことをきっかけに、’20年4月からタクシー乗務の仕事に就いた。だが、将来的には教師になることを面接の際に伝えたという。

 実はタクシー業界には、彼のように他業種への転身を前提とした新卒者も珍しくないという。タクシー業界に入った理由を尋ねると、こう話す。

「この仕事の最も魅力的な点は、空き時間が多いことです。乗務時間も含め、勉強をしながら働くことが可能です。実際、先輩方も資格を取得したり、やりたいことを実現するために仕事をしている方も多い。

 今は経験や年齢だけで仕事を選ぶ時代ではないし、多様な生き方が認められていいと思います。回り道と思われるかもしれませんが、社会人経験は教師になっても生きてくるはず。ドライバーの仕事は楽しいですが、4年で目処をつけようと思っています」

◆議員と二足のわらじ

 議員と二足のわらじを履く人もいる。’15年に東京都武蔵野市の市議会議員となった下田大気さん(45歳)は、2期目を迎えた今もタクシードライバーとして時折、街を走っている。直木賞作家である志茂田景樹を父に持ち、若くして芸能活動や会社経営に乗り出した下田さん。だが、ことごとく失敗し、膨大な借金を背負うことに。人生に行き詰まり、32歳のときにタクシー業界の門を叩いた。

「議員になった後も一乗車あたり8万円くらいは稼いでいました。だから収入面でいえば、タクシードライバー時代のほうが全然稼げていましたね(笑)」

◆続ける意味は?

 とはいえ、多忙な公務の間を縫ってまでドライバーを続ける意味をどこに見だしているのか。

「単純に面白いんですよ、タクシー業界が。僕みたいに、会社が死んで、タクシーやって、また復活するような大逆転もある。それって夢があると思いませんか。走ることで街の本当の顔がわかるし、市場調査もできる。自分の目で確かめて、行動に移すこと。それは議員活動にも生きていますね」

◆弁護士に転身した例も

 そして、弁護士に転身したのが射場守夫さん(55歳)だ。現在は奈良県で「一法律事務所」代表を務める射場さんは、岡山県でタクシードライバーとして家族を養いながら、司法試験を突破した。高校卒業後は接客業を転々としていた射場さんが、弁護士を目指す決意をしたのは30歳のときだった。

「最初は、大卒や専門資格などの肩書が大嫌いだったんです。そこに安住しているのが滑稽に思えて。弁護士資格の取得はそれとは真逆ですが、ある日ふと、あえて挑戦しても面白いんじゃないかと突然思い立ったんです」

◆勉強するのに最適

 意外にもドライバーの労働環境は、勉強をするのに最適であった。二次試験に合格する’03年までの間の5年弱、乗客がいない時は講義テープを聴き、休憩中は一問一答の択一問題、論文を解くなど試験対策に時間を費やせた。’05年から弁護士として活動を始めた射場さんだが、タクシードライバーの経験は今に生きていると話す。

「『弁護士はすごい! 成功者だ!』と扱われることもありますが、私は単にタクシー業界から法曹業界に転職したという感覚。根底にあるのは、タクシーを含むサービス業に従事した経験です。人は付加価値をつけることで、喜ぶ生き物。そんな真理を学べたから、弁護士として人に寄り添えているのかなと思います」

◆多様化した背景

 食い扶持だけでなく、自己実現の手段として――。前出の栗田氏は、ドライバーの属性や就業形態が多様化した背景について、次のように話す。

「乗務員の総数は’15年の34万人から、’20年は28万人まで減少しました。そんな中、人材流出対策の一環として、勤務形態や採用対象を柔軟化せざるを得なかったともいえる。また、乗務員の高齢化が進み離職率も上がりゆくなか、外国人や女性、新卒採用などの流れは今後も加速していくはずです」

 ドライバーの裾野の広がりは、コロナ禍の収束とともに業界に回復をもたらすか? 今後も目が離せないだろう。

【栗田シメイ氏】
ノンフィクションライター。スポーツや政治、経済、事件、海外情勢などを幅広く取材。『コロナ禍を生き抜く タクシー業界サバイバル』が発売

構成/SPA!タクシー業界研究所 写真/栗田シメイ


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