<純烈物語>ついに公開!戦隊映画『スーパー戦闘 純烈ジャー』はスクリーンの垣根を超えたライブ<第113回>
―[ノンフィクション連載「白と黒とハッピー ~純烈物語」]―
◆<第113回>スクリーンの垣根を越えた距離感で見られる映画――『純烈ジャー』はライブだ!
スーパー戦隊シリーズ本編とはまったく違う新たなヒーローモノ……それはつまり、ゼロからのスタートを意味する。酒井一圭、山本康平、そして中野剛プロデューサーの三者対談にてアイデアが出された時点では、何一つ形になっていない。
そこから誰に監督を任せ、キャラクターデザインをどこに頼み、脚本家を決めるなどしていく必要があった。各々の意見を聞きつつ、それらをまとめて話を持っていくのがプロデューサーの仕事である。
中野氏が企画プロデュースセクションに入ったのは14年前。戦隊モノのDVD用特典映像を製作していた。『侍戦隊シンケンジャー』についたのが初めてで、その後は『海賊戦隊ゴーカイジャー』で過去のレジェンドヒーローが出てくる作品を担当。
戦隊モノのVシネマを作る中で山本と出逢い『忍風戦隊ハリケンジャー 10 YEARS AFTER』へとつながっていく。つまり、DVDの中身をどうするかから始まったのだ。
「僕はスーパー戦隊シリーズの本編を作っているプロデューサーではないので、本体が作ったもののVシネマだったり特典映像だったりとスパイスを入れる側だったんです。ゼロから作るところにはいなかったから、できあがっているものにどんな面白い要素を足せばいいかを、ずっとやってきたんですね」
◆戦隊モノは面白く、日本の文化として誇れるもの
東映ビデオに入ったのも『あぶない刑事』や『仁義なき戦い』が好きだったからであり、特撮に携わりたかったのが理由ではない。ただ、担当として向き合うと戦隊モノは面白く、日本の文化として誇れるものだと思えた。
子どもの頃に見ていた世界は、このようにして作るのか、こうしてヒーローのキャラクターは形成されていくんだ、何よりもみんなが愛を持ってやっている。
その奥深さを知るほど、作品を生み出す立場としてプレッシャーにはならなかったか聞いてみる。スーパー戦隊シリーズを愛するファンの思い入れは強い。常に応え続けるのは、なかなかのハードルである。
「僕は詳しくなかったからよかったんです。詳しい人は周りにいるので、守らなければいけない設定やツボは教えてもらえる。僕は新しいものを入れたがる方だから、伝統を引き継ぎながら新しいものを作ろうと思ってやりましたね。自分のような人間が入った方が、新しい血も入っていいんじゃないぐらいの気持ちで。だから、知らないことは知らないと割り切っていました」
◆東映の古きよきコメディー、トラック野郎や寅さん、網走番外地みたいな要素を入れたらどうか
そうしたプロデューサーとしてのベーシックな姿勢があったから『スーパー戦闘 純烈ジャー』を肉づけしていく中でも周りの意見をよく聞いた。佛田洋監督からは「普通の特撮じゃ面白くないよね。トラック野郎や寅さんのような東映の古きよきコメディー、網走番外地みたいな要素を入れたらどうだろう」と言われた。
戦隊モノを得意とする脚本家だと普通になると、これまで一度も特撮を書いていないが東映作品に詳しい久保裕章氏へ依頼したのも、監督の発想があってのこと。「ヒーローっていうけど、純烈ジャーっていったい何を守るの?」という根本的な存在理由を熟考した結果、温浴施設にいたった。
これまでとは違いゼロから生み出す立場になりながら同じ姿勢でやれて、かつ斬新な発想で一つずつピースをはめ込んでいく行程は、中野氏にとって楽しめる作業だった。純烈ジャーの自由度が高い世界観は、プロデューサーの作品に対する姿勢を下地に成り立っている。
「僕はプロデューサーの言うことを聞けというタイプじゃないので、現場のアイデアが優先です。今回は純烈さんの映画なので、純烈さんが気持ちよく楽しく、純烈さんのアイデアと佛田監督のアイデアが化学反応を起こして面白いものになればいい。設定自体がとんでもないんだから、監督は特にデフォルメすることなくやってくれと、自然体を要求したんだと思います。
劇中歌にしても、純烈の音楽としての新しいテイストが入った。エンドロールで流れる曲も、よく聴くといろんなメッセージがこめられているし、監督がそこに過去の写真を入れたいと言って……皆さんのお力で、想像以上の作品になったと思います」
すでにライブで盛り上がるナンバーとして定着している『NEW(入浴)YORK』も、純烈ジャーがなければできていない。映画の存在が、ムード歌謡グループとしての枠を思い切り飛び越えるきっかけになった。
◆「ラスボス」としての小林幸子の存在
何より、小林幸子がキャスティングされたところで全体が整ったという。ラスボスとしてのキャラクターが決まれば、作品全体がそれを要に回っていく。
巨大化した悪の権化を倒すという、わかりやすくもヒーローモノの王道を具現化できれば方向性が定まる。そしてもっとも重要なのは、作品の中で純烈の姿勢がしっかりと描かれていることだ。
9月10日より公開されたので、すでに劇場で体感した方も多いだろう。ストーリーの描き方そのものが、これまで純烈として積み重ねてきたものがベースとなっている。制作サイドがそれを理解していなければ、このような作りとはなるまい。
「そこは酒井君からいくつかありました。柱としては後上(翔太)君がヒーローになるのと、最後に“こういう力”で倒すというのをやりたいと言っていて、それを脚本に落とし込みました。そのアイデアがあったからこそで、オリジナルの脚本をゼロから作るのは難しいから純烈の骨格を提示してもらえたのは僕らとしてもありがたかったです。
康平君や僕も監督も特撮時代の酒井君たちを知っていて、気になって追いかけてはいた。そこがうまい具合に、キャラクターや物語へ落とし込めた。全然知らない仲じゃないから理解力が高かったんだと思います」
純烈ジャーという新たなヒーロー絵巻を器にし、劇場へ足を運んだファンとスクリーンの垣根を越えてつながる。たとえ本人役だとしても、映画であればそこには距離感が生じるものだが、この作品は限りなく近い。
つまりスクリーンの中であっても、スーパー銭湯のような至近距離で純烈を感じられるのだ。おそらく劇場で鑑賞された方はライブと同じ余韻を味わえるはず。
「スクリーンを通してつながっているつもりで僕らも作ったので、そう思っていただけると嬉しいですね。身近で会える歌謡グループ、距離感の近いアーティスト……ライブ自体、僕も何回かいかせていただいて、ファンも一緒にライブを作るということを明確にしていたので、物語の根底にはそういう部分を描きました」
◆「ペンライト、振ってほしいですねえ」
「ペンライト、振ってほしいですねえ。本当はコロナじゃなかったら応援上映をやりたかったんですけど、今は難しい。ただ、ペンライトを振るためのものは提示したので、あとはお客さんがどう楽しむか。映画って、僕らが作っただけでは完成しないんですよ。ファンやお客さんに見ていただいて、見終わったあとの気持ちを含めて完成なんで」
映画は見られて、何かを感じてもらった時点で完成品となる――この言葉にこそ、プロデューサー・中野剛の思いが集約されている。
だからこそ、公開されたあとのリアクションにドキドキしているという。純烈のファンだけでなく、一般層や特撮好きが見ても人間にとって何が大切なのかを改めて噛み締められたら……。
「この時代、作り手側もこれだ!というのを提示できないと思うんです。なぜなら善と悪がわからなくなっている時代じゃないですか。コロナで社会状況も変わってしまって、1年前に正しかったのが今も正しいのかわからない。昔は単純に悪いやつを正義のヒーローが倒して痛快だったのが、今は本当にこの人が悪なのか、ヒーローというものが本当に正しいのか複雑化してしまっているので、そういうことを考え出すと答えが見つからないし、作り手側も難しい。
でも、そうは言いつつ単純に見て楽しめればいいんじゃないかと思います。共感できるものがあるのであれば、そこで一緒に楽しみましょうと」
たとえそれが難しくなっても、そこに意義を見いだせるのがヒーローという存在。酒井一圭は、郷愁だけで故郷へ戻ってきたのではない。
写真提供/東映ビデオ
―[ノンフィクション連載「白と黒とハッピー ~純烈物語」]―
【鈴木健.txt】
(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxt、facebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売