香川照之、ニューヨーク屋敷、CHEMISTRY堂珍、あの女子アナも!「テレビADから成り上がり」伝説!!

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 人気音楽ユニット・CHEMISTRYの堂珍嘉邦(42)が8月25日、伊集院光(53)のラジオ番組『伊集院光とらじおと』(TBSラジオ)に出演した。

 オーディション番組『ASAYAN』(テレビ東京系)をきっかけに2001年にデビューし、その後20年にわたるキャリアを築いてきた堂珍は、広島時代、今では想像もつかない職業についていたという。

「デビュー前に堂珍は、地元・広島のテレビ局にAD(アシスタント・ディレクター)として務めていたといいます。堂珍は、音楽業界とのつながりが欲しかったため入局し、音楽番組への配属を希望していたそうです。ただ、それが叶わずバラエティ番組に配置されてしまったため、1か月でテレビの仕事はやめてしまったそうですね」(音楽誌ライター)

 堂珍は、短いAD生活の中で、名優に顔を覚えてもらっていたという。

「堂珍は、AD時代に2015年11月に亡くなった俳優の阿藤快さんのお世話になったといいます。堂珍は、デビュー後に阿藤さんと『HEY!HEY!HEY!』(フジテレビ系)で共演し、阿藤さんがAD時代の堂珍について語ることもありました」(前同)

■AD時代にキツい攻撃を受けた女優とは……

 テレビディレクターの補佐的な役割を担い、雑用が多く仕事もキツいと言われるAD。そこから表舞台で活躍する大スターになったのは堂珍以外にも存在する。

「俳優の香川照之(55)は、俳優としてデビューする前にTBSの緑山スタジオでADのアルバイトをしていたといいます。香川は、2015年2月放送のラジオ番組『たまむすび』(TBSラジオ)に出演した際、母親の浜木綿子(85)のツテでTBSの名プロデューサー・石井ふく子氏(94)を紹介してもらったことで、ADとして採用されたと明かしています。

 当初、香川は泉ピン子(73)から“何待ちなんだよ、オイッ!?”など“厳しい攻撃”を受けるなど苦労していたそうですが、母が浜、父がニ代目・市川猿翁(81)との事実が現場で知れ渡ると周囲の態度がガラリと変わったそうです。

 また、このとき後輩には後に映画監督となる行定勲氏(53)もいたそうです。香川は細やかな気配りができる人物であるとも言われますが、先々を見据えて動かなければならないAD時代の経験が活きているのかもしれませんね」(芸能ライター)

 2019年、2020年と2年連続で『M-1グランプリ』ファイナリストとなり、現在ブレイク中のニューヨーク。ツッコミ担当の屋敷裕政(35)は芸人になる前にADとして働いていた。

「屋敷は制作会社のADとして『ネプリーグ』(フジテレビ系)や『ザ!鉄腕!DASH!!(鉄腕ダッシュ)』(日本テレビ系)を担当していたといいます」(前同)

■リーダーの一言で「共演するまでやめられない」

 2月7日放送の『行列のできる法律相談所』(日本テレビ系)に出演した屋敷は、AD時代にかけてもらった忘れられない一言を明かした。

「屋敷は、ADを辞める日に『鉄腕ダッシュ』でお世話になったTOKIOの城島茂(50)に挨拶をしに行ったといいます。このとき、城島は屋敷に対して“楽しみにしてます”と芸人を目指す屋敷にエールを送ったといいます。屋敷はこの一言で“共演するまでやめられない”と決意したそうです。その後、ニューヨークが『M-1』ファイナリストにまでなったことを考えると、城島の言葉の重みが増しますよね」(前出の芸能ライター)

 フリーアナウンサーの笹川友里(30)は、TBS時代に驚くような異動を経験していた。

「笹川はTBSアナウンサー試験に落ちて、一般職としてTBSで採用されました。2014年6月28日付の『スポニチアネックス』の記事によると、笹川は情報制作局でADをしていたといいます。その後、裏方として頑張っていたときに、当時のTBSアナウンサー・林みなほ(31)がブログで笹川を“美人AD”として紹介したことから注目を集め、2014年4月、ついにアナウンス部へ異動をはたしました」(前同)

 笹川はADとして携わっていた『王様のブランチ』にアナウンサーとして出演し、進行役も担当した。

「ADの仕事は非常にきつく、体力が追いつかずにすぐ辞めてしまう人も珍しくない。そんな現場で必死に頑張れるだけの精神力や体力があるからこそ、後にそれぞれの世界で活躍できたのかもしれません」(同)

 ADで培ったパワーは凄まじい!

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  • 8/29 8:30
  • 日刊大衆

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