古舘伊知郎「週刊誌に俺が言ったことが全部ダダ漏れ」 『報ステ』スタッフの裏切りを告白

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1977年にアナウンサーとしてテレビ朝日に入社、“古舘節”と形容された『ワールドプロレスリング』の実況で人気を博した古舘伊知郎。1984年にテレビ朝日を退社してフリーとなり、F1の実況を担当。ドライバーに「音速の貴公子」(アイルトン・セナ)、「妖怪通せんぼジジイ」(ルネ・アルヌー)、「刻み納豆走法」(中嶋悟)などとニックネームを付け、新しい分野でも“古舘節”を炸裂させて大人気となる。またバラエティ番組のMCとしても引っ張りだことなり、NHKと民放全局でレギュラー番組を獲得。NHK紅白歌合戦の白組司会を1994年から1996年まで3年連続で務めるなど、テレビ界の“古舘伊知郎”時代が到来したのだ。

だが2004年、全レギュラー番組を全て降板した古舘は『報道ステーション』(テレビ朝日)の初代メインキャスターに就任する。オードリーの春日俊彰(42)が「いろんなバラエティのMCとかやってたのに、あまり喋られなくなる『報道ステーション』を引き受けた理由はなんですか?」と尋ねると、「その時は喋れなくても良いから、新たなチャレンジがしたかった」と答えた古舘。バラエティ、スポーツ実況、紅白の司会と制覇したが、やはり報道番組は喋ることを封印してでも挑戦したかったという。「天下を取りたい」みたいな欲望もあったとも明かした。

49歳から61歳まで12年間務めた『報道ステーション』は、メインキャスターとして時にはバッシングを浴びることもあった。「本当にどん底きた時は、一人で車の中で落ち込んでいたこともあった」「家に持ち込まないって思ったことも、持ち込んじゃったこともある」と、古舘は当時を振り返る。そんな時は鬱憤を晴らそうと『報道ステーション』のスタッフ4~5人を誘い、朝方まで酒を飲んだこともあったそうだ。“気のおけない仲間”だからこそ、古舘は調子に乗ってわがままなことも言っていたという。

だがこの信頼していた仲間から「最後に一部に裏切られた」と明かし、「週刊誌に俺が昨日言ったことが全部、ダダ漏れになっていた」と話す。「気のおけない仲間って思ってたのは、俺だけのひとり相撲だった。周りは全然イヤだった」と自虐的に語った古舘伊知郎。30、40代と人気司会者として積み上げてきた実績を捨てて挑んだ『報道ステーション』だったが、最後は仲間に裏切られるという最もショッキングな出来事が待っていたようだ。

画像2枚目は『古舘伊知郎/公式 2021年8月10日付Instagram「テレビ収録!」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 みやび)

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  • 8/27 11:34
  • Techinsight japan

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この記事のみんなのコメント

3
  • トリトン

    8/29 8:03

    古舘はヤクザの幹部や捕まったやん悪党やんそんな奴に人権有るのか?10人殺しても人権要らんわ悪党にはね、

  • ソフィア

    8/29 7:40

    裏切られる方の人間性にも問題があるから

  • 守秘義務がある訳では無いので…

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