死を気軽に語り合える「デスカフェ」ってなに?参加してみた

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新しいコンセプトカフェ?いや、そうではない。縁起が悪い、不吉だとして敬遠される「死」を話題にできる場のこと。コロナ禍や多死社会の訪れで注目されるデスカフェを実際に体験した。

◆終活や人生会議ではなく「死」を気軽に語る意義

「デスカフェ」――。なんともおどろおどろしい名称とは裏腹に、そのコンセプトは“カジュアル”だ。

 デスカフェとは、死をタブー視せずに受け入れ、気軽に語り合う場のこと。ヨーロッパ発祥で’11年から世界に広まり、70か国以上で開催され、日本でも関心が高まっている。今回、週刊SPA!記者は実際にデスカフェに参加してみた。

 会社員の山名幾多郎さんが開催するオンラインデスカフェでは、仏教哲学の簡単な講話があったあと、参加者5人に対しこう問いかけた。

「死に直面したとき、あなたは何をしますか? マイクとカメラをオフにして、5分間考えてみてください」

 穏やかなBGMが流れるなか、じっと目を瞑り思考を巡らせる。死ぬとなったら自分はどうしたいのか。普段考えていない問いになかなか答えは浮かばない。

 時間になり、順に参加者の回答を共有する。「家族と過ごしたい」「人生を振り返る」「普段通りに過ごすと思う」「正直、考えがまとまらない」――。理由を聞くと「やっぱり一番大事な人と過ごしたい」「死をネガティブに捉えていないので自然に受け入れたい」「心残りのないようにしたい」など、死生観が垣間見えて興味深い。

 筆者は「今ある悩みを解決したい。何かやりたいというより、目の前の不幸がなくせればと。後ろ向きかもしれないですが……」と答えた。主催者は「なるほど」と笑顔で反応し、否定も肯定もせずに、皆が耳を傾ける空気に包まれていた。

◆口に出しにくい死の経験をフラットに話せる

 死を突き詰めて考えていくことは、どう生きたいのかという問いにつながる。なんだか不思議と晴れやかな気分になり、ポジティブな効果を感じた。

 看護師の小口千英さん、図書館司書の田中肇さんが共同主催したオンラインデスカフェでは、テーマを設定せず、自由な談話スタイルで行われた。参加者7人から話題を募り、「コロナ禍での死者の見送り方の変化」から始まった。

「コロナの影響で遠方の祖母のお葬式に参列できませんでした。そのせいで、祖母が亡くなったという実感が湧かず、生と死があやふやになっている印象があります」

 会は挙手制で進行し、一人が話しだすと、触発されたかのように続々と手が挙がる。話題は葬式の意義へと移った。

「お葬式はその人の死を受け入れるためにも必要。そういう意味で、お葬式は残された人の自己満足なのでは」

「大事な人こそお葬式に出ないようにしている。記憶にさえ残っていればその人は生き続けている」

 筆者も思うところがあり、孤独死で葬式が行われなかった知人の出来事を語った。普段だと口に出しにくい死の経験をここならフラットに聞いてもらえた。

 ほかにも、身近な人の自死の経験や、海外と日本の死生観の違い、安楽死の是非など、さまざまな死の体験や意見に触れることで、自分の死生観がほぐれ、養われるような感覚があった。

◆医療従事者の参加も

 参加していた看護師の40代女性に感想を聞いた。

「コロナ禍で医療従事者とそうでない方の死生観にギャップを感じていたのですが、参加してその差を埋めることができたので、とても有意義でした」

 大学4年生の女性は、デスカフェに参加するのはこれで4回目。

「最近祖父が亡くなり、初めて身近な人の死を体験したときに、家族のなかでも死についての考え方がバラバラだとわかり、確立された宗教観がないなかで、死の考え方をどのように獲得していけばいいのか疑問に思い、いろんなデスカフェに参加しています」

◆死について身近に考えるひとつのきっかけに

 デスカフェを研究する京都女子大学助教の吉川直人氏は、日本のデスカフェについて次のように説明する。

「国内では’10年頃に初めて開催され、医療・介護従事者、僧侶、葬儀社、カウンセラー、図書館司書、教員の方などが主催者となり、コロナ前は喫茶店や会議室に集まって行われていました。昨年のデスカフェオンラインサミットでは老若男女400人が参加しています。

 デスカフェのガイドラインは、①自由に考えを表現できるようにすること、②特定の結論を出そうとしないこと、③カウンセリングやお悩み相談になりすぎないことと定められており、これに沿ってさえいれば中身は自由度が高い。日本ではワークショップ形式など、多様なスタイルで独自の発展をしています。

 高齢化による多死社会を迎えた日本において、将来的にはゆるやかにつながるネットワークとして新たな社会資源になる可能性も考えられるでしょう」

 死に関する取り組みといえば、終活やアドバンス・ケア・プランニング(人生会議)もあるが、どのような違いがあるのだろうか。

「終活は身辺整理や遺言といったハード面の準備をするものであるのに対し、デスカフェは意識や思いなどソフト面に重点を置いています。人生会議については、生きる上で大切にしていることを考える点では重なりますが、目的は医療ケアを話し合うことにあります。

 厚労省が推進していますが、デスカフェでは死という広義なテーマでざっくばらんに語れるため、より低いハードルで参加できるでしょう。自死遺族会や死別の悲しみを癒やすグリーフケア、身近な人と話すなど死の対話の場は様々です。デスカフェへの参加は、死について身近に考えるひとつのきっかけになると言えます」

◆死を考える機会が減った現代社会

 デスカフェを主催する僧侶の霍野廣由氏は、死を語る意義を次のように解説した。

「現代では核家族化が進み、晩年期を一緒に過ごす機会がなくなって、ほとんどの方が病院や施設で亡くなります。その影響で身近な人が死にゆく姿を目の当たりにする機会が減り、死生観を養うことが難しくなりました。コロナ禍ではなおさらです。

 また、宗教的な文脈でいうと座談会や講に近いものとなりますが、日本人の多くは無宗教。だからこそ、自分や身近な人の死が突然訪れたときのために、他者の死生観に触れ、死について考えるデスカフェの果たす役割は大きいのです」

 それぞれの人が思い思いに死と向き合うことの大切さを感じてもらいたい。

◆遊びの延長で死を学ぶ「死生観光トランプ」

 デスカフェだけでなく、死を考える機会をもっと日常に近づけたい。そんな思いで、デスカフェから派生して生まれたのが「死生観光トランプ」だ。企画した前出の霍野氏に話を聞いた。

「もっと死を語り合う場を増やしたいと考えたときに、日常に溶け込めるような遊びでできたら素敵だなと。コモンズ・デザイナーの陸奥賢さんに相談して、世界各国の死生観が載っているトランプを作ることになりました」

 クラウドファンディングで資金を募り、約109万円を集め、商品化を実現。販売だけでなく、誰でも手に取ってもらえるよう無料でダウンロードもできるようにした。各国の死生観が描かれたカードは、眺めているだけで面白い。

「ワークショップでよく話題に上るのが、南米の『遺体を叩け! 踏みつけろ! 死霊を追い払うために』です。『なんだこれは』と驚かれます(笑)。日本人には共感できない風習が多数ありますが、そこに善しあしはありません。『孫にプレゼントします』という方もいて、家族で死生観を学ぶきっかけになれば嬉しいです」

 多様な死生観に触れ、死の教養を深めてみては。

【吉川直人氏】
京都女子大学助教。社会福祉学・介護福祉学。'18年からデスカフェを研究。『デスカフェ・ガイド~「場」と「人」と「可能性」~』(クオリティケア)執筆代表・企画(執筆・編集 萩原真由美)

【霍野廣由氏】
浄土真宗本願寺派覚円寺副住職。京都自死・自殺相談センター事務局長。'15年から超宗派若手僧侶グループ・ワカゾーでデスカフェを主催し、過去50回以上開催

取材・文・撮影/桜井カズキ ツマミ具依


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  • 8/26 8:52
  • 日刊SPA!

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