『野火』雄大で美しい自然の中に漂う内臓の匂い【伝え続けなければならない戦争の真実】

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夏の真ん中、あのことを見つめよう。実際に体験したことのない、あのことを。知らない私たちは想像を膨らませ、近づこう。戦争ということについて。2014年、塚本晋也監督がこの世に放った『野火』という作品は、目を覆いたくなるような戦争の真実をただ真っ直ぐに私たちへと伝える。7年目の『野火』のレビューを紹介。

『野火』

『鉄男 TETSUO』(1989年)で劇場映画デビューを果たし、ローマ国際ファンタスティック映画祭でグランプリを獲得。その後国際映画祭の常連となり、世界中の映画監督やクリエーターにも影響を与え、カルト的人気を誇る塚本晋也監督。そんな塚本監督が長い間撮りたいと思い続けてきた作品が『野火』なのだ。

大岡昇平による小説『野火』に塚本監督が出会ったのは、高校生の頃。自分がまるで戦争へ行ったかのような心地になり、衝撃を受けたそうだ。『野火』は1959年に市川崑監督によっても映画化されている。スタイリッシュなオープニングが印象的で、モノクロームの映像でありながら、ぎらぎらと照りつける太陽の光、そこに流れる人間の汗と血が生々しく映し出された。そんな、日本の戦争映画の傑作として既に知られている作品と同じ原作の映画化に、塚本監督は挑んだのであった。

1999年頃には、フランスのテレビ局から新作出資の打診に『野火』を提案するものの予算で折り合わなかった。2005年にはフィリピン戦友会会長の寺嶋芳彦さんから体験談を聴き、戦場の写真を見せてもらう。さらに寺嶋さんの紹介でフィリピン・レイテ島での遺骨収集事業にも参加した。そして2013年3月に大岡昇平氏の遺族から原作権の許諾を受け製作に向け本格的に動き出した。

上野のミニタリーショップで1人分の軍服一式を揃え、Twitterでボランティア・スタッフを募集。映画制作を全く知らない若者と数名のベテランスタッフによって着々と準備は進められていった。12月30日、無事クランクアップを迎える。2014年6月末に初号試写を行い、同年9月にはヴェネツィア国際映画祭でワールドプレミア上映を果たした。構想から20年もの歳月をかけてのことだった。日本では2015年7月より公開。

それから7年。戦後76年にあたる2021年、今年も7年目の『野火』が上映されている。「『野火』を毎年終戦記念日に上映されるような映画にしたい」という製作当初からの塚本監督の思いは、それに共感した劇場によって繋がれている。

■あらすじ

太平洋戦争末期。フィリピンのレイテ島で田村一等兵は結核を患っていた。部隊から野戦病院へ行くよう命じられるが、多くの負傷兵をかかえ食料にも困窮していることから追い返されてしまう。部隊に戻ると野戦病院へ行くよう再び命令を受け、結局野戦病院の前で野宿をすることに……。

■夏、戦争映画

子ども頃、夏休みのある一夜に、毎年近所の小さな公共スペースで『はだしのゲン』が上映された。そこから徒歩5分圏内に住む40〜50名ほどの子どもたちは、“夏休みのイベントのひとつ”として、同時に半ば義務のようにそこに集まった。

白い布が下げられただけの簡易的なスクリーンの前にはゴザが敷かれ、中央より少し後ろに映写機(だと思う)が置かれた。それを囲むように、靴を脱いだ子どもたちがぎゅうぎゅうに座る。前方には未就学児や低学年の小さな子どもたちが、後方に進むにつれ自然と学年が上の子どもたちが陣取った。そしてその周りには大人たちが立見をしていた。夕食の片付けを終えてそのまま急いで出てきたであろうエプロンを着けたままのおばさん、白いランニングシャツ(タンクトップ)に七部丈のサッカー生地のパジャマのズボン、片手に団扇を持ち、険しい表情で無駄にどっしりと構える白髪のおじいさん、風呂上がりの濡れて黒々とした髪を下げ、この夏新調したばかりの自慢のフリフリワンピースを着た女の子など……、誰もが日常の延長でそこに集まっていた。

肝心の『はだしのゲン』の内容は正直なところあまり覚えおらず、ただ恐ろしかったこととその夏の一夜の風景だけが何とも中途半端な形で今でも私の頭の中に記憶として存在し続けている。そしてそのイベントは、いつの間にかひっそりと幕を閉じていた。

あれから20年以上経った2021年、“夏だから”戦争映画を観ようと思った。あの時の“義務”ではなく、大人になって自発的にそう思えたのだ。

■“所謂”ではない戦争映画

(C)SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER

「戦争映画」といえばどのようなものを思い浮かべるだろうか。

本作で最も特徴的なのが、その「戦争」というものの描かれ方だ。どこかの国や人を敵として描くわけではなく、時間の流れも掴みきれず、戦況がどうであるのかもわからない。ただ美しい青空と緑のジャングルの中で明日へ命を繋ぐために生きている。

つまり主人公・田村が見て聞いて実際に体験している「戦争」という世界は、何のために何に挑んでいるのかも、何が真実であるのかも、自分が今置かれている現状も把握することすらできない不確かな世界。そして自らが加害者にも被害者にもなり、最終的には人間の本能的欲望と理性の戦いとなる。

戦争を企てた人間は、安全な場所でコマを動かす。コマとなった大勢の人間は、ほとんど何が起きているのか訳もわからずに、近くにいる誰かからの僅かな情報を鵜呑みにするしかないのだ。そして見えない敵から降り注ぐ砲弾から逃れるために必死に走り、見えない敵を倒すために銃を構える。

戦争という化け物を上から見下ろして、刻々と変化する戦況を細部にわたり把握しながら戦っていた者など一人もいない。それがリアル。それが『野火』という作品なのだ。

■誰でもなりうる田村という主人公 *ここからネタバレあり

(C)SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER

塚本監督自らが演じた主人公の田村一等兵は、部隊から必要とされない、謂わば落ちこぼれ兵士。部隊からは「元気で行け」「頼んでも入院させてもらえなければ自決しろ」と、排除されるように野戦病院へ送り出された。その野戦病院が爆撃された時には、“治療が必要ない者”としてたまたま病院外に追い出されており犠牲にならずに済んだ。血を吐き歩き彷徨いながらも、何とか芋を見つけては食べていた。「死なんなあ……」と自ら言葉をこぼしてしまうほど、生きることへの執着もなかったのだ。

ただの普通の男が何となく生き残ってしまう、ただの普通の男が人を殺してしまう、普通の人が人でなくなってしまう……もはや「普通」など通用しないのが戦争だ。そんな田村の姿は決して特別なものではない。私もなりうるし、あなたもなりうる姿なのだ。

■賛否を呼んだ残酷な描写

(C)SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER

高コントラストで明るめの映像は、今まで私が観てきた戦争映画の中にはあまりないものだった。はじめは多少戸惑ったものの、よく考えてみると、自然の色は時代によって変化するものではないのだった。抜けるような青い空は今も昔もここにあり、ジャングルの緑も同じなのだ。そしてそれを見る私たち人間の目も。

寧ろ現実に近づいたそのリアルな映像こそが『野火』という作品を私の脳裏にはっきりと鮮明に焼き付けることになった。

頭から零れる脳味噌、内臓、肉の塊。恐ろしいほど鮮やかな赤を纏っている。人間の血の色だ。雄大に広がる空と大地の下、小さな世界で蠢く惨憺たる人間たちの姿よ。何のために?その先に何があるのかも分からずに。

(C)SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER

さらに主演の塚本監督をはじめ、安田を演じたリリー・フランキー、Twitterで募集されたオーディションにより永松役に大抜擢された森優作、伍長を演じた中村達也など、キャスト陣の切迫した力演がこの作品を傑作へと押し上げていることは言うまでもない。特に注目して欲しいのは、市川崑監督『野火』にはない、ラストのシーンだ。田村が戦時中に思い描いた「普通の暮らしをしている人間がいる場所」の象徴である野火のもとでの暮らしとは……。

あまりにグロテスクな描写に、目を覆いたくなる人もいるだろう。途中で観ることをやめてしまう人もいるかもしれない。それでも、一人でも多くの方にこの作品に向き合って欲しい。目を覆っても、途中でやめてもいい。そうさせるのが「戦争」であるということを忘れずにさえいてくれれば。それだけでもこの作品は毎年上映され続けるべきであると私は強く思う。

■作品情報

(C)SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER

『野火』
2021年夏、渋谷・ユーロスペースほか全国にてアンコール上映

原作:大岡昇平「野火」
出演:塚本晋也、リリー・フランキー、中村達也、森優作
監督・脚本・編集・撮影・製作:塚本晋也
2014年/日本/87分/PG12
製作・配給:海獣シアター (2016年4月より配給:新日本映画社)
公式HP:http://nobi-movie.com/

野火(2014)

野火(2014)

2014年/日本/87分

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