五輪柔道金メダリスト・古賀稔彦「あきらめからは何も生まれない」!昭和スターたちの「元気になる魂の名言」

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 阿部一二三・詩兄妹の金メダル獲得など、東京五輪を開幕直後から盛り上げた日本柔道勢。今年3月に亡くなった“平成の三四郎”こと古賀稔彦さん(享年53)が、その活躍を見ることはなかったが、代わりに、こんな言葉を残している。

「あきらめからは何も生まれない」

 1996年のバルセロナ五輪の本番直前に負傷。痛み止めを打ちながら最後まで諦めずに闘い、金メダルを獲得した古賀さんは、不屈の魂の持ち主だった。

「90年に、軽量にかかわらず体重無差別の全日本柔道選手権大会に出場。重量級選手を次々と撃破して決勝まで進出したのは、その言葉を体現するエピソードでしょう」(スポーツ紙記者)

 そこで今回は、故人をしのぶことが多いこの時期に、今年、亡くなったり、法要で区切りを迎えたスターが残した名言をクローズアップ。“明るく生きる力”をくれる金言を特集したい。

 今では日本の“お家芸”といわれる柔道が、初めて五輪種目となったのは、前回の東京大会から。同じ64年に、柔道をモチーフとした名曲『柔』を大ヒットさせた美空ひばりさん(享年53)は今年、三十三回忌を迎えた。

 芸能レポーターの城下尊之氏は、取材時の秘話を明かす。

「新宿コマ劇場で公演のリハーサルを撮影していたとき、1曲目を歌い終えたひばりさんが、ふと、僕ら取材陣を見回して、“ねえ……わたし、きれい?”って聞いたんですよ」

 ビッグスターのまさかの逆取材に、取材陣は何も言えなかったとか。

「そのとき、ひばりさんの付き人がすかさず“きれいです!”と叫んだ。おかげで、その場の空気が緩み、僕らは救われました(笑)。ひばりさんは、気持ちがストレート、素直で魅力的な方でしたね」(前同)

■田中邦衛さん、自身の魅力を熟知した一言

 小林旭と離婚後は、独身で通した彼女だが、こんな素直な言葉を遺している。

「恋はするわよ。いくつになっても、燃えるような恋だけはね」

 ちなみに、ひばりさんにはこんな噂もある。

「中村錦之助さん(当時)、大川橋蔵さんなど二枚目との共演が多かったからか、実はイケメン好きだったとか。“景色のいい男はいいわね”とも言っていたようです」(芸能記者)

 映画『べらんめえ芸者と丁稚社長』(63年)で、そのひばりさんの相手役を務めた梅宮辰夫さん(享年81)は今年、三回忌を迎える。

「若いときはプレイボーイで有名でした。仕事終わりに遊びに繰り出すのは当たり前。だけど、その翌日の仕事にはキッチリ顔を出すから、誰も文句は言えなかったとか」(前出の城下氏)

 夜の銀座でモテまくった梅宮さんだが、『週刊大衆』連載をまとめた『不良役者』(双葉社刊)には、初体験時のひと言が収められている。

「男性自身を真上から突けばいいもんだと思ってた」

 女を知り尽くした梅宮さんにも、ウブな童貞時代があったのだ。

 梅宮さんと『仁義なき戦い』シリーズをはじめ多くの作品で共演した田中邦衛さん(享年88)は、今年3月に亡くなった。生前、役者としての自分自身を、このように振り返っている。

「ちぃせえ男は似合う」

 大物は似合わない。確かに『仁義なき戦い』で演じた小ずるいヤクザも、『若大将』シリーズの青大将も度量の狭い男だったが、それがハマった。

「『北の国から』(フジテレビ系)の黒板五郎も気の小さい人物でしたが、田中さんにしか演じられない、人間味のある役でした」(前出の芸能記者)

 前出の城下氏が、田中さんの人柄がしのばれるエピソードを披露してくれた。

「胃の手術を受けた田中さんが退院すると知った僕らは、自宅の前で張っていました。やがて、それらしい車がやって来たんですが、そのまま通り過ぎて、どこかに行ってしまったんです」夜になっても車は戻らず。結局、そのネタはお蔵入りとなったという。

 現在発売中の『週刊大衆』8月16・23日号には、渡哲也さんやジャイアント馬場さん、野村克也さんなど多くのスターの残した名言を掲載している。

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  • 8/2 7:00
  • 日刊大衆

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