「夏の甲子園」予選で敗れ去った大物プロ野球選手の短すぎた夏

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◆ギータ、菅野智之、平良海馬、鈴木誠也、内川聖一も!
 
 夏の全国高校野球選手権大会、いわゆる“夏の甲子園”が2年ぶりに開幕。コロナ禍で出場辞退を余儀なくされる高校が続出するなどの波紋もあったが、今年はアツい球児たちのドラマを見ることができそうだ。

 そんな甲子園といえば、毎年のように“怪物”と呼ばれる球児たちが登場し、華々しくプロ野球の世界へ入っていくイメージが強いが、プロ野球の世界でエースや主力として活躍する選手の中には、甲子園に一度も手が届かずに夏を終えた選手も多い。今回は球界の現役スターとして君臨しながらも高校時代は予選で早々と敗れ去っていった選手を厳選して紹介していく。

◆無失点記録を更新した剛腕 平良海馬は県大会1回戦で散る

 まず、トップバッターは、埼玉西武ライオンズの中継ぎエース・平良海馬だ。小柄ながらどっしりとした体格をした平良の武器は最速160キロの剛速球。昨年から中継ぎとして頭角を現し、今年はスライダーやチェンジアップなどの変化球の精度も増してほぼ無双状態。プロ野球記録となる39イニング連続登板無失点記録をマークし、東京五輪代表にも選ばれた若手のホープも県大会であっさりと夏を終えていた。

 八重山商工(沖縄)のエースとして県内では注目の好投手だった平良。八重山商工といえば、2006年に春夏連続で甲子園出場するなど強豪のイメージがあるが、離島・石垣島にある高校という点や名将・伊志嶺監督が退任したこともあり、深刻な部員不足に陥っていた。3年春までは連合チームを組んで出場し、全く結果を残せないでいた。

 迎えた夏の沖縄大会は新1年生を加えてなんとか単独チームで出場することができたが、1回戦で首里高校に0-1で惜敗。エースの平良は150キロ台の速球で孤軍奮闘したが打線が沈黙。自身の暴投で許した1点を返すことができず、6月中旬で高校野球を終えることとなった。

 しかし、球場に詰めかけていた多くのスカウト陣から高い潜在能力を評価され、秋のドラフトで西武から4位指名を受けることとなったのである。

◆巨人の大エース・菅野智之も甲子園不出場

 読売ジャイアンツのエースとしてここまでプロ通算103勝をマークし、沢村賞を受賞したこともある菅野智之も意外にも甲子園出場経験がない。

 名将・原辰徳の甥っ子として東海大相模(神奈川)在籍時から注目を浴びていた菅野。しかし、右肩のケガに泣かされて、2年春に同校がセンバツ出場を決めたときはベンチ入りを逃していた。

 2年秋から本格派の右腕エースとして頭角を現して迎えた3年夏。歴代最強チームと呼ばれるほど戦力の整ったチームはみるみる決勝へ。相手は桐光学園。東海大相模は2年生の大田泰示(現日本ハム)が先制2ランを放つなど猛攻。ところが、前日の準決勝で168球を投げていた菅野は本調子の球威にはほど遠く13安打を許し、8-10で敗退。球界のエースも当時の過密日程には勝てなかった。

◆トリプルスリー・柳田悠岐はベスト4で散る

 “ギータ”の愛称で親しまれ、プロ野球史上初の“トリプルスリー”と首位打者の同時達成を成し遂げた福岡ソフトバンクホークスの柳田悠岐も甲子園出場がない。

 全国制覇の経験もある古豪・広島商業(広島)出身の柳田。しかし、当時の彼は現在のような強靭な体つきをしておらず、高校入学時は身長も160cmほどとかなり小柄で、3年生になってから身長は180cmまで伸びたものの、体重は68キロと細身体型の外野手。

 3年夏の県大会で2本のホームランを放っていたが、あくまで打撃スタイルは好打者タイプだった。チームも準決勝まで進出するが、如水館に7‐11と打ち負けた。柳田も力負けしたフライで打ち取られるなど、悔しい夏となった。その後、パワーのなさを痛感した柳田は肉体改造を経て、大学でその才能を開花させた。

◆二刀流だった鈴木誠也も甲子園ならず

 広島東洋カープの若き4番打者として君臨し、日本代表にも選ばれた鈴木誠也も甲子園の土を踏むことなく夏を終えた。

 二松学舎大付属(東東京)では1年秋からエースナンバーを背負い、最速148キロの快速球と多彩な変化球を投げ分ける本格派投手だった鈴木。また、打者としても高校通算43本塁打を記録するなど“二刀流”としてプロのスカウト陣に注目を浴びていた。

 しかし、一度も甲子園出場ができないまま迎えた3年夏。準々決勝で成立学園と対戦すると、鈴木の速球対策をしていた相手に猛攻を食らい、早々とノックアウト。8回に再びマウンドに上がるもここでも連打を浴びて、まさかの逆転負け。エースで4番という重圧に耐えきれずに最後の夏も屈してしまった。

◆両リーグ首位打者の内川聖一は決勝で悔し涙

 最後に紹介するのは、横浜、福岡ソフトバンクを渡り歩き、現在は東京ヤクルトスワローズに所属する両リーグでの首位打者を達成した天才右打者の内川聖一。彼も甲子園を目前に涙を飲んだ一人だ。

 父親が監督を務める大分工業(大分)に進学した内川は、当時から抜群のバッティングセンスを見せており、スカウトからも絶賛を受けていたもののケガで本領発揮できずにいた。

 そんななか、迎えた3年の夏。キャプテンとしてチームを引っ張って県大会決勝まで進むものの、対戦相手の中津工業の投手に徹底マークされた内川は自身の打撃技術を発揮できないまま0-4であっけなく敗れ去った。

 自身のため、チームのため、父のためにも悲願だった甲子園出場はならなかったが、その秋、横浜ベイスターズに1位指名されてプロ入り。ブレイクまでに時間はかかったが、球史に残る名選手へと成長したのだった。

 甲子園という晴れやかな夢舞台に立てなかった現役選手たちを紹介してきたが、高校時代の悔しさがあるからこそ、彼らはその後の鍛錬を経て一流選手へとのぼり詰めることができたのかもしれない――。

文/木田トウセイ

【木田トウセイ】
テレビドラマとお笑い、野球をこよなく愛するアラサーライター。

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  • 日刊SPA!

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