「好きな人にソレだけはできない…」28歳・隠れ令嬢が心に決めた、哀しい逆ルール
東京には、お嬢様だけのクローズド・パラダイスが存在する。
それはアッパー層の子女たちが通う”超名門女子校”だ。
しかし誰もが永遠に、そのパラダイスにはいられない。18歳の春、外の世界に放たれた彼女たちは突如気づくのだ。
―「お嬢様学校卒のブランド」って、令和の東京じゃ何の役にも立たない…!
ハードモードデビュー10年目。秘密の楽園から放たれた彼女たちの、物語。
◆これまでのあらすじ
大手広告代理店に勤める凛々子の秘密と、不器用な恋。そして裕福な専業主婦・文香の葛藤と再生を紹介した。
今回は、売れっ子ライター美乃の悩み。
▶前回:「深夜、旅館に“ある人”を呼び寄せて…」超お嬢様たちがハメを外す、禁断の修学旅行
淋しい売れっ子ライター・美乃の話【前編】
「やっぱり80年代の映画はいいなあ」
映画館に行きやすいという理由で、両親に買ってもらった六本木一丁目のマンション。3LDKの一室はホームシアター仕様にしている。
「うう、いい映画だわ…」
美乃はプロジェクターに映ったエンドロールを見て涙をぬぐいながら、ビールを飲む。本当は週末までに書かねばならない原稿が2本あった。
でも今夜は、おなじみのハッピーエンドだとわかっている古き良き映画を観たい気分だったのだ。
そんなふうに感傷的になっているのは、たぶん昨日、文香に会ったから。
今でこそ売れっ子演劇ライターとして注目されている美乃だが、中高時代はダークサイド寄りだった。
人生で一番ひりひりするような思いを抱えていた頃。同時に、最も守られてもいた頃。
「文香にはあんなこと言ったけど…。私って、いいことあるのかなあ、この先」
私たちまだまだこれからよ、なんて言ったけれど。正確には「文香は」だ。それは幸せの王道から目を逸らさずに「清廉に、ひたむきに」生きてきた彼女の特権だと思う。
「目を逸らしまくって、こんな獣道に来ちゃった私は、どうなっちゃうんでしょうか先生…」
美乃は腫れぼったい目をごしごしこすって、またビールを飲む。
自分がどの時点で決定的に「女子の王道」からも、あれほど刷り込まれた「校訓」からも逸れたのだろうかと検証し始めていた。
お嬢様学校に入ったはずが…。美乃はいつ何を「間違えた」のか?
お嬢様の反逆
父の家系は神田にビルをいくつも所有していて、不動産管理業を中心に財を成した。
そこに嫁いできた美乃の母は「夫を支える資産家の妻」という役割を期待されていたようだ。
しかし誤算だったのは、母に商才があったということ。実は、母の実家は老舗の有名和菓子店だったのだ。
それをデパートに展開しブランドの知名度を全国区にしたのは、和菓子職人になった母の兄というよりも、経営を手伝った美乃の母の手腕だった。
有り余る不労所得で放蕩を続ける父。事業経営と趣味の舞台鑑賞にのめりこむ母。そして、そんな2人の間に産まれた美乃。
両親は美乃を可愛いがってはくれたけれど、どうしたって物理的に関わる時間は少なかった。
ただ「パパはめったに家にいないし、ママは忙しいけれど舞台には連れてってくれる。祖父母も近所に住んでいて、お手伝いさんもいるから淋しくない」と、幼い頃は思っていた。
母はなぜか、自分の趣味である舞台鑑賞には、いつでも連れて行ってくれたのだ。
そして美乃が頭脳明晰であることを早くから見抜いていて、幼稚園の年中からお受験塾に通わせた。そして1年ちょっとの対策で、超名門女子校に合格させる。
しかし美乃はのちに「早く娘を優れたレールに乗せ、自分の仕事に没頭したい」と思われているのではないかと、不信感を募らせるようになった。
その証拠に、美乃が中学に上がる頃。母は事業の海外展開のため、出張ばかりするようになったのだ。
母の関心が自分から離れていると感じた頃から、美乃の趣味にもなっていた舞台鑑賞には1人で行くようになった。…そして迷走が始まったのだ。
学校帰りに書店へ立ち寄るにも届け出が必要なくらい、厳しい女子校なのに。高校1年生の夏休み、美乃は髪を茶色く染めてスカートを短くし、ピアスをあけた。
そして観たい舞台のために、学校をサボった。
学校は蜂の巣をつついたような騒ぎになり、先生方は家庭訪問や個人面談で両親に直接お灸を据えようとしたが、日本にいない母と家にいない父ではどうしようもない。
通常であれば校内の風紀を乱したり、ふさわしくない行動を繰り返したりする者は、近隣にある格下の私立女子校に転校させられる。
どれほど諭しても、数ヶ月経っても素行を改善しない美乃に、風当たりはどんどん厳しくなっていった。
そして超名門女子校の宿命。「アノ存在」が美乃を追い詰める。
お嬢様学校の生徒はいつも監視されていた。美乃の退学を迫るのは、まさかの…!?
哀しい恋
やがて学校に「電車に乗っていたら、茶髪の後輩を見た」「慶應生と制服でデートしているところを見た」「帝劇に制服姿で来ている子がいる」などと卒業生から通報が相次いだ。
名門伝統女子校にしばしば散見される、総「姑化」である。
年長者では還暦を超えた卒業生もいたらしい。美乃のことを親身になって心配している先生たちも、厳しく対処せざるを得なかった。
面子もあるし、なにせ卒業生はファミリーでもあり、大事なスポンサーでもあるからだ。
「芹沢さん…。私たちはあなたが6歳の頃から見ているんだもの、今あなたに悩みがあることはわかっていますよ。何でも話して、力になりたいのよ」
と、先生たちは涙を浮かべた。しかし当時の美乃にはそれさえも鬱陶しくて、ますます心を閉ざした。
親でさえ自分を理解していないのに。もっと短い時間しか共有できない大人に、自分の心の在処などわかるはずもない。
別に放校になってもかまわなかった。親だって好きに生きているのだ。なぜ自分だけがいい子をやらなくてはならないのか。
しかし、やけっぱちになって糸の切れた凧のようになった美乃をつなぎ留めたのは、文香たち同級生だった。
「見たがってたブロードウェイの新作チケ、手に入りそうだよ!頼んでみようか」
「1組がピアスの検査始めた!誰か肌色クレアラシル持ってる人いない?早くはやく、美乃のピアスホールに詰めて~!」
「美乃、今どこ?え、もうすぐ校門?今日玄関でスカートの長さチェックされてるよ、20センチ折をおろしてから角まがって!」
「今日レポート出さないとほんとに成績つかないよ。5年前のお姉ちゃんのレポートだけど、同じお題だから切り貼りして美乃の名前で出しちゃおう」
幼なじみたちは、美乃の外見が変わり先生や家族が動揺する中でも、態度を変えることはなかった。
それが同調圧力の高い女子の集団において、どれほど稀有なことだったのか。美乃は卒業してから知った。…なぜなら、当時のような友達には未だ出会えていないからだ。
◆
「美乃、ひどいじゃないか、10日も僕を放っておくなんて」
渋谷拓斗。この世界では知らぬものはいない、演劇評論家。そして、15歳も年上の恋人だ。
「締め切りが8本もあったのよ。仕方ないでしょ?拓斗さんこそ、ご無沙汰じゃないの」
拓斗とのデートは美乃の部屋と決まっていた。ときには平日、この部屋で彼が原稿を執筆していくこともある。
テレビに出ることもある拓斗は、とても用心深い。買い物やデートに出かけたのは、付き合った2年間で数えるほど。
美しい夜景も豪華なパーティルームにも興味がない美乃にとって、このマンションはずっと「宝の持ち腐れ」状態だった。
後ろめたいことがある両親は、頼んだ1LDKよりもずっと広い部屋を美乃に買い与えたのだ。
上層階だから2億円はしただろう。この世にはもっといいお金の使い方があるはずだ。でも結果的に拓斗と長く続く要因になったのなら、感謝すべきなのかもしれない。
「美乃、今日も本当にキレイだなあ」
拓斗は照明を落としたリビングで、美乃を優しく抱き寄せる。素直に愛情表現ができるところが彼の美点だった。それからまるで幼子にするように、頭をぽんぽんと撫でる。
「体が冷えてるな。お風呂に入っておいで。その間に滋養のあるもの作っておくよ」
拓斗はがっしりとした大柄な男で、無骨な見た目と裏腹に器用だ。美乃が料理を一切しないと聞いて、美味しい食材を手土産に、こうしてさまざまなものをこしらえてくれる。
「今日はなに、作ってくれるの」
わざとぞんざいに尋ねると、拓斗は嬉しそうに「どうせろくなもの自炊してないだろ?韓国料理なんてどうだ」と、見たこともない調味料を次々と袋から取り出した。
「全然食べたくない。それ、あなたの好きなものでしょう」
「まあそういうなよ、うまいぞ」
上機嫌な拓斗をキッチンに残し、美乃はバスルームに向かった。
好きな男に自分の部屋でかいがいしく手料理を振舞うなんて、そんなあざといことは死んでもしない。それは美乃がこの恋愛で決めた、数少ないルールだった。
しかしそれにしても、こんなふうにつっけんどんにしてしまうのは、胸の底に溜まるモヤモヤがあるからに他ならない。
拓斗は既婚者だった。世間ではバリバリの愛妻家で、子煩悩なパパで通っている43歳の著名人。そりゃ愛情表現も巧みだろう。
…何せすべてを手にしているのだ。愛はあふれ出している。
片付けなければならない原稿。成就しようのない恋。何もできないわがままで未熟な自分。それらを見ないようにして、美乃はバスタブに身を沈めた。
▶前回:「深夜、旅館に“ある人”を呼び寄せて…」超お嬢様たちがハメを外す、禁断の修学旅行
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美乃の話【後編】:卒業以来、すっかり闇落ちしてしまったやさぐれ美乃の、行く末は…?